『源氏物語』と歴史上の人物の黒人化に共通する心理

最近の西洋(特に英語圏)では、ハンニバルやクレオパトラや中世ヨーロッパの王侯貴族を黒人に演じさせたり、弥助を「伝説の侍」として描くなど、イマジナリーな世界で偉人を黒人化/黒人を偉人化する歴史改変ブームが起こっているが、それを推進するリベラル白人の思考は👇の井沢元彦説で藤原氏→白人、源氏→黒人としたものにかなり近いのではないかと思われる。

もっとも、ベースにある「宗教」は異なり、リベラル白人では山口真由が「リベラル信仰」と呼ぶものになる(キリスト教から派生)。

「人種間の平等」がリベラルの”宗教“であるという考えを、私は直接的にはハーバード・ロースクールの憲法の授業で、ノア・フェルドマン教授に習った。

リベラルという病』p.21

「そう、黒人を奴隷としてきた歴史が、我々が抱える『原罪』だ。

p.23

「さて、南北戦争によって流された血、リンカーン大統領とキング牧師の暗殺、これによって『原罪』はすべて消えてなくなってしまったのだろうか」

p.27

「そう、『原罪』はなくなってはいないね。アダムの罪を人類全体が共有したように、我々祖先の原罪を、アメリカ国民は共有している」

p.27

「そう、我々はいまだ消えぬ『原罪』を抱えている。道半ばに倒れた『キリスト』の意志を継いで『白人と黒人の平等』という教義を世に広めようと努力し続けている。信仰にも似た熱心さと従順さで。この『人種間の平等』が我々リベラルの心の拠り所だ。この教えをリベラルの『信仰』としないで、他の何が信仰の名に値するだろう」

p.27-28

すべての人間は平等、という信仰を、仮に「リベラル信仰」とでも名付けておこう。信仰から自由だと思われたリベラルは、実は相当に信心深い。人々の平等を掲げる「リベラル信仰」を熱心に信仰し続けている。

p.28

つまり、alternate historyで黒人を大活躍させるのは、白人の原罪に対する贖罪行為ではないかということである(贖宥状の現代版?)。

リベラル白人がヨーロッパやアメリカを舞台にしてalternate historyを創作するのはご自由にだが、日本やエジプトなど他文明の歴史を勝手に改変してそれを正当化するところにリベラルの独善性が表れている。

なお、歴史改変においてこれと両輪を成しているのがウリジナルの黒人版のアフロセントリズム(アフリカ中心主義)。従軍慰安婦は日本の良心的左派+韓国人の合作だったが、偉人の黒人化もリベラル白人+黒人という似た構図である。

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