I.Gログ 第02回「八ヶ岳」
「I.Gログ」は、いずれ編纂されるかもしれないProduction I.G社史において正式に記録されることもなくただ語り継がれていくであろう昔話しをnoteという形で記録に残しておこうというコラムとなります。
筆者の主観を軸とした、その時、その瞬間の記憶と聞いた話で構成されておりますので、その際には修正を加えていこうと思います。
文・藤咲淳一(株式会社プロダクション・アイジー 脚本家)
八ヶ岳保養所
以前、プロダクション I.Gは八ヶ岳保養所という施設を所有していた時期がありました。
山梨県北杜市内のある日野水牧場の近くにその施設はありました。
舗装された道から脇道に入り、車の底を擦るような凸凹道をゆっくりと走っていくと、不意に開けた場所の奥に白い建物が建っていました。
ペンションの趣を持ったその建物は、玄関を入るとエントランス部分に受付のようなカウンターがあり、そこを起点に右側には週に一度来てもらっていた管理人さんが寝泊まりするスペース、左側にはダイニングとリビングへと続く廊下、そして2階の寝室へと続く階段がありました。
二階の寝室は9部屋ありました。
二階の各部屋にはベッドが3台置かれ、一部屋に三人が泊まれるようになっていました。
そしてそれぞれの部屋ごとに置かれた布団カバーには、超有名アニメのキャラクターがプリントされており、部屋のドアにABCとアルファベットのプレートはあったものの、各部屋、そのキャラクター名 で呼ばれていたと記憶しています。
一階のダイニングは大口の業務用ガスコンロがふたつ、湯沸かし用の小型のガスコンロがひとつ、シンクがふたつあり、ここで大人数の料理を作ることができました。調理スペースの隣にはダイニングテーブルが4台ほど置かれ、そこで皆、食事を取っていました。
今にして思うと、あの業務用コンロは本当に使い勝手がよく、寸胴で湯を沸かすときも相当早かったような気がします。もしかすると高所にあったので気圧が関係していたのかもしれませんが。
そしてリビング。
奥にはバーカウンターが設置されており、会社から持ち込まれたレーザーディスク やVHSビデオテープ、そしていつからあるのかわからないボードゲームがいくつか置かれていまいた。
折りたたまれたままの卓球台とミニ・ビリヤードの台も置かれていました。
正確な広さは忘れてしまいましたが、バーカウンター込で20畳くらいあったような気がします。
部屋の壁には暖炉が置かれており、この保養所のシンボル的な存在でした。
なお暖炉の着火にはコツがいることもあり、初心者が着火すると空気の流入などの流れも不十分で不完全燃焼を起こしリビングが煙臭くなる事態が発生したのもいい思い出です。
他に、特筆すべきものとして、エントランスのロビーカウンター奥にある小部屋には『バーチャファイター2』の入ったアーケードゲームの筐体が設置されていました。
この筐体は『バーチャファイター カスタマイズクリップ』(西久保瑞穂監督)制作の際に参考で提供されたものだという認識ですが、当時、VF2にはまっていてこの作画監督をされた黄瀬和哉氏へのギャラ代わりだったという噂もありました。
キャラクターデザイン協力でクレジットされている吉原正行氏のウルフのパートの子供たちの作画は夢に見るほどのものだと社内で話題になりました。
作画陣はとても豪華な逸品です。
ちなみに筆者は螳螂拳のリオン使ってました。
合宿
この保養所は主に新人研修合宿と作品制作のための合宿で使われていました。
会社が利用していないときは使用料を払って個人利用(I.G社員の同行が必須)することもできました。
新人研修は毎年ゴールデンウィークの時期に行われ、国分寺駅前を出発したリムジンバスに揺られること二時間半、日野水牧場へと入り脇道の入り口に設置された小さな看板の前で降ろされ、そこからは徒歩で10 分ほど森の中を行くところから始まりました。
全員がバスで行くわけではなく、周りにはコンビニエンスストアなどまったくないような場所ですので、買い出しに行くための制作進行車を1、2台同行させ、それを使って必ずといってもいいほど、ひまわりスーパー(現・ひまわり市場と向かいの場所にあった)に買い出しにでかけていました。
保養所に入ったスタッフは、割り当てられた寝室に荷物を置くと、食事の買い出しに行く者以外はほとんどが自由行動でした。I.G在籍のスタッフと新人との交流が主目的でしたので、研修によくある講義とかマナー研修のようなものは一切ありませんでした。
また当時、I.Gは社員、フリーランス含めて100名以上が在籍していたため、一度に合宿することは不可能。そのため約30名ずつ3回に分けて、交代制で研修を行うというスケジュールで進めめられていたと思います。
アルバイトで調理経験のある者、料理の得意な者は厨房の指揮者となり、手伝う新人たちを指揮し始めます。
また配膳などでも陣頭指揮を行う者 、保養所を退去する際の清掃を率先して行う者など、ここで新人の特性が見られたような気がしました。
新人にとっては目的のないような研修旅行だったのですが、I.Gに在籍していたスタッフからはこの新人たちとどう向き合っていくかを見定める有意義な時間だったような気がします。
まとめ買いした食材 は3日目には余ったりすることもあり、最終日の担当になるとその食材の処分に追われることもありました。そうなると選択肢としてカレーを作ることが多かったような気がしています。
夜になると、皆が持ち寄ったお酒類での宴が始まります。
特になにかを話すでもなく、仕事の話だったり、プライベートの話だったり。暖炉の火を眺めながら、ゆるやかな時間が流れていったのはいい思い出です。
合宿を通して排出されたゴミなどの処理も行わなくてはならず、どこかで情報が間違って伝わり、生ゴミを制作進行車に積んで匂いに耐えながら持ち帰ってきたスタッフもいたのはいい思い出になったことでしょう。
実際のところ、当時、生ゴミの処理は現地にて「土に還す」作戦が遂行されておりました。
周辺にあるのは森だけ。
そして夜ともなれば無駄な明かりがない場所ですから、星がとてもきれいな保養所でした。
都会の喧騒を離れ、様々なノイズを断ち切り、物静かに作品のことを語り合うには最適な場所ということもあり、作品企画合宿にも多く使われました。
筆者が関わった思い出深い合宿は、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の「笑い男事件」のディティールについて二泊三日で語り合った脚本合宿、『BLOOD+』の全体構成についての会議した脚本合宿、『獣の奏者エリン』の構成会議をした合宿などです。
これは、ある春先に最初に閉所していた保養所で合宿を張ったときの思い出です。
保養所につくと、まず最初にするのが水の元栓を開けること。
冬の間は水抜きをして施設を閉鎖していたため、元栓をあけることが春一番に合宿所を使う者のやるべきことでした。
そしてボイラーの灯油を調べて、足りなければガソリンスタンドに連絡をいれて給油してもらい、設備周りの確認が済んだら、次に待っているのが買い出しです。
食材と飲み物、必要であれば暖炉に焼べる薪を買い、戻ってくると馴れない手付きでナタを使って薪割りを始めます。
そして暖炉に火を入れ、 ようやく一息ついたところで会議が始まります。
この時点で夕方近いのですが、議題を話し合い、ある程度の落ち着き、もしくは煮詰まったところで食事となります。
当然、会議のお供として様々なお菓子が並ぶことも多く、それぞれの企画によって出るお菓子のレギュラーというものがありました。だいたいが大量に入っていたものが好まれたようです。
また6時間ほど会議をしていると糖分が足りなくなることまり、糖分補給の目的でチョコレートやのど飴などの割合が多かったように思います。
その後、食事休憩を挟んでまた会議。
朝方まで語り合うことが多かったと思います。
そして翌日は昼頃に起床。
外にランチにでかけるついでに足りないものの買い出しを行い、午後からまた会議。
とりあえず一日目と同じ様に夕食を食べ、翌日は合宿所を出るために就寝時間を決めてそこまで会議をするという流れです。
春先にはカマドウマ、秋深くなるとカメムシという虫たちが多く部屋の中に現れたのも今ではいい思い出です。
小規模の合宿の場合、制作進行車と各自が車を持ち出して相乗りしての移動が常でした。
筆者も自分の車で何度かこの合宿に参加していました。
ガソリン代と高速代はあとから請求していましたが。
一度だけ、高速道路走行中にフロントガラスに小さな亀裂が入り、走行するごとに大きくなっていったという思い出があります。
あの時ばかりは大切なスタッフを乗せていたので慎重なドライブを心がけましたが。
なにか煮詰まったときに「八ヶ岳に行こう」がこの頃の決り文句だった気もします。
あそこにいけばなにか答えが見つかるような気がしていたのかもしれません。
とにかく顔を付き合わせて作品のことだけに集中して語り合う時間を設けられたのは、今でもいい思い出になっています。
食事なども自炊生活だけでは飽きてしまいますので、近隣のレストランなどが空いているランチタイムは皆で食事に出かけることもありました。
またちょっと離れたところにある公共温泉や、買い出しも気分転換の時間でした。
そして気分転換として最も人気があったのが、近くにある日野水牧場までの散歩 でした。
牧場ではソフトクリームなどが販売されていたこともあり、それを目的に歩いたり 、放牧されている羊を眺めているだけでも、リラックスできました。
この八ヶ岳保養所は既に取り壊され、更地となっており、今はありません。
ですがここを経て育った作品たちが今もなお、I.Gの歴史に刻まれています。
I.Gログの更新は不定期となります。