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『I.G交差点』ひとりめ: P.A.WORKS 堀川憲司代表取締役 (第3回)

horikawa_胸像

PA_rogo_切り抜き

第2回からの続きとなります。
前回の記事はこちらから。


I.Gのイズム

――――:別にI.Gの制作進行にそういうことを教育しているわけじゃないですが、当時の雰囲気は石川の作った社風かもしれませんね。堀川さんから見てうちの石川ってどうでした?

堀川:僕がI.Gに入ったときは、本社と3スタ(第3スタジオ。当時は本社である南ビルにあった後藤隆幸のいる第1スタジオ、黄瀬和哉のいる第2スタジオ、そしてINGビルには劇場班、デジタル仕上げ、ゲームスタジオの入った第3スタジオがあった)が別れていたので、石川さんに会うことってそんなになかったんだよね。毎週の制作会議では会うけど、石川さんが海外によく行っていたこともあって会わなかったかなぁ。たまに一緒に鴨汁うどんを食べるとかそんな感じでしか接点はなかったかも。

堀川:タツノコからI.Gに入ってまず不思議だなと思ったのは、石川さんはあれだけ会社にいないのに、I.Gの社内文化に石川イズムが浸透していることを感じたこと。それと、失礼な言い方になるけど、優秀なクリエイターが、プロデューサーの頭を越えて、みんなほとんど姿を見ない石川さんを見て仕事をしている気がした。

堀川:石川さんが浮浪雲のようにふらっと現場に来ても指示を出すことはないけれど、なぜ現場にあれだけの存在感があるのだろうとすごく不思議だった。

――――:それはありますね。突然、Gジャンに野球キャップ被った石川がふらふら~っと現場にやって来たりしてたのを僕も覚えています。

堀川:それで廊下ですれ違った制作進行の女の子に「きれいになったね。恋してるね」ということくらいしか言わないし。僕が入る10年くらい前からいた、先輩の三本さん(三本隆二氏)たちは、現場に一番お金を落とさなきゃいけない、頑張ってるのはクリエイターだから、そこが報われなければいけない――、という思いで石川さんが戦ってる姿や、バリバリ現場で制作的な指示を出していた姿を見て、石川イズムをまともに吸収できた人たちだと思う。でも僕は、現場はプロデューサーに任せるよと石川さんが制作現場から一歩引いた時期に入ったので、受けた影響は先輩の制作たちとは違うかもしれない。

――――:石川イズムってなんなんでしょうね。

堀川:僕も知りたい。あの人間力、カリスマ的な? 自分の意思を押し付けずに現場にイズムを浸透させる、何でそんなことが出来るのか不思議なんだけど。ただ、本当は石川さんは、もっとこうするべきだという歯がゆさがあったんじゃないかなと思う。アニメーションの制作会社が持てなかったものを闘って獲得してきた人なので、今のI.Gの内部が制作会社としてどんなふうになっているのかは僕には全くわからないけれど、石川さんは『俺が長年闘って作り上げたI.Gはこれでいいんだろうか』と思ってるかもしれない。もしそうだとしても、そのことに対して、現場になにか言う人ではないんだよ。そこはなんか人を信じているようなところがあって。

――――:近くにいて、それはすごく感じますよ。

堀川:石川さんからは今も、1年に1回くらい、ぽつんとメールが来るくらい。何年も会ってないし、メールが来ても禅問答みたいな。今年も正月ぐらいにメールが来て「一日一生」という言葉と「前後際断」「風車、風が吹くまで昼寝かな」ってやつ。その3つくらいがぽつりと送られて来て、ここから汲み取れということだろうな――と思うけど。きっとI.Gは優秀な社員がいるので彼らを信じて風が吹くまで待てるっていう意味かもしれないけど、僕はせっかちなんで、そんなふうに構えて見守っている余裕なんてない。

――――:石川からは人がなにかを作るのが好きだとよく聞かされてますけど、堀川さんはクリエイターたちとどう向き合われてるんですか?

堀川:初監督をデビューさせる、その人の初監督作品に携わって世に送り出すというのは好きかな。たまたまかもしれないけど、沖浦監督の『人狼 JIN-ROH』も吉原の『有頂天家族』もうそうだし、橋本監督(橋本昌和氏)の『TARITARI』や、岡田麿里さんの『さよならの朝に約束の花を飾ろう』(略称『さよ朝』)もそう。この人の初監督作品を世に出してみたいなと思うことは多いかもしれない。

――――:そういうときは堀川さんが指名されるんですか?

堀川:両方あります。『さよ朝』は岡田さんから来たし。I.Gで優秀なクリエイターにいっぱい会っていたので、この人、監督やったら面白いかなぁ、という人はたくさんいた。『メダロット』監督の岡村天斎さんも『花咲くいろは』の監督の安藤真裕さんも、I.Gで『人狼 JIN-ROH』をやっている頃からの付き合いだった人だし、あの頃知り合った人たちにはその後もずっと助けてもらってる気がします。

P.A.WORKSのイズム

――――:その中でも特筆すべきは吉原さんとの付き合いですよね。

堀川:大将(吉原正行氏の愛称)がよく東京から富山に着いてきてくれたなと思うよ。I.Gの頃の暴れん坊だった大将と今の大将は全く違う。根の部分は変わらないけれど、こんなに人を育てることに長けていたとは知らなかった。クリエイター同士の、クリエイターを見る目には何か僕にはわからない特殊なものがある。制作のことはわかるけど、クリエイターの繊細な感情はよくわからない。そうそう、でもひどい話で、会社を富山で立ち上げてから最初の10年くらいは、大将は神山さんとずっと東京で仕事してて、その間、富山はほったらかしだったし。でも、10年後に戻ってきてからは、作画のことは全部任せてる。彼がP.A.WORKSのクリエイション部をどうして行きたいのかに合わせてやっている。

堀川:本社のクリエイターを全員社員雇用にしたとき、アニメーターの養成所を始めることにした。養成所のカリキュラムは、就職したときに今の制作現場で戦力として通用するためには何を学ぶべきかを大将が中心になってまとめていった。毎週1回、社内の演出と作監と動検とデザイン担当を集めて、ミーティングを重ねながら2年かけて作った。なので、クリエイション部にはしっかり吉原イズムが浸透しているかな。

堀川:P.A.WORKSの制作現場をビジョンに向けて改善しているんだけど、クリエイション部は手応えを感じられつつあると思う。たけど、制作部がまだまだ見えない。それは大将と僕の人を教える力量の差かなと思ってる。大将のもとでクリエイション部の育成と改善がどうやってうまく軌道に乗り出したのかを見ながら、制作部でも人を育てながら改善を進める効果的な方法を考えて見つけなくちゃいけない。それが、僕が今一番、力をいれなくちゃいけないこと。

――――:吉原さんの人柄もあるんですかねえ。

堀川:人柄や優しさとかじゃなく、クリエイターの場合は技術に対するリスペクトが一番説得力があると思う。鉛筆1本でこの人には敵わないということをわからせる。制作とは違うけど、クリエイターっていうのは自分より下手な人の言うことは聞かないから。それがうちの社内で恋があんまり芽生えない理由なのかなぁ。

――――:……いきなりどうしたんですか?

堀川:アニメーターは女子の割合が多いんだけど、自分より下手な原画マンはパートナーにしたくないのかなって。もし結婚したら自分が稼がないといけないと思うからかな。

――――:この世界、技量が全てな部分もありますからね。吉原さんの話に戻りますが、記憶違いだったら申し訳ないですけど、僕が知ってる吉原さんはハモニカ吹いてて屋上に取り残されたり、髪の毛の脱色時間間違えて真っ黄色になったりした、アニメーター以外のずっこけなところばかりなんですが、吉原さんの良さって『万能野菜 ニンニンマン』に出てると思いました。

堀川:大将自身、監督としての経験値はそんなにない。時間はかかるけれども彼の作りたいものを、彼自身がどうやって形にしていくのかを見てきた。うまくいかないことがあったら、その経験から大将が今でも自分を更新し続けていくのを見ているので、年齡を重ねても経験を積むことで進化し続けていく人なんだなと思って見てます。

――――:人に教えることで成長できることってありますからね。

堀川:うちの取締役でクリエイション部の部長だし、立場的なこととか、自分の担う責任とかはかなり認識してると思う。『人狼 JIN-ROH』やってた金髪の頃からは想像もつかないけど。

――――:(笑)

第4回につづく(全4回)
[ゲストと聞き手]
ひとりめ 堀川憲司さん(株式会社ピーエーワークス 代表取締役)
聞き手 藤咲淳一(株式会社プロダクション・アイジー 脚本家)

『I.G交差点』とは

Production I.Gのnoteをスタートしようとなったときに、作品の公式サイトでも、I.Gの公式サイトでもない、noteという媒体で何を伝えたいのかな考えました。
作品のことでもなくて、単なる企業の今を伝えるということでもないな、そうぼんやり思いました。じゃあこの場では何を発信したいのか?考えて、考えた結果、もっと内側の「人」のことを伝えられないか、と思い立ち動き出したのが「I.G交差点」です。
ものづくりの会社には毎日たくさんのスタッフが出入りします。ずっとI.Gにいる人もいれば、今日新しく入ってくる人、そして、新しい場所へ向かう人もいます。
人が行きかう「場」としてのI.Gの輪郭を、様々な立ち位置の方たちからインタビュー形式でお話しを伺いながら、見つけていきたいと思います。

公開日:2021年02月05日