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フィリップ・K・ディック『時は乱れて』感想

昼飯も食べ終わって、コーヒー飲んで歯も磨いて、いまから着手すれば今日中には読み終わるかな……と読み始めた本書だけれど、あまりに面白くて手が止まらずまだ明るいうちに読み終わってしまった!

面白い、けど……!

第二次世界大戦後の古き良きアメリカの田舎町、スーパーマーケットに務める男とその妻子、同居している妻の兄と、頻繁に訪ねてくるお隣の若い夫婦(ヨシリンとミッチーか?)がなんとなーく生活をしている描写から物語が始まる。おとなり同士、よくポーカーの卓をかこんだりしてわりと交流があるけど、かといって親密なわけでもない。相手を軽蔑したり、せせら笑ったりするディティールがなんだか読んでいて楽しい。
俗っぽさの象徴のように文中に当時のTVスターとかの名前がよく上がってくるんだけど、まあ現代日本に生きるわたしたちにはわからないよね。※印で注釈されているし。でも、ふと拾われた雑誌に書いてあったのは、あの『マリリン・モンロー』。……その名前はさすがに知ってるぞ! と読者が思うのもつかのま、登場人物たちは困惑して顔を見合わせる。こんなハクいチャンネー、知らんけど? ってなる。
そう、作中の世界にはマリリン・モンローが存在せず、なのになぜか彼女が特集された雑誌が存在しているというのだ。

主人公は上記の『妻の兄』で、彼はこの世界の虚構性になんとなく気づいている。世界は偽物で外側から誰かが自分を監視しているのではという直感を持つにいたる。同時に、この自分は単なるパラノイアでは? という疑念を持つのもスリリングでよかった。(パラノイアっていうのはディックの小説にしばしば出るね)

主人公が見た『幻覚』?

この主人公、なんとなく隣家の若奥様にムラッときて、ある日プールへと誘うんだよね。
そのプールのソフトドリンクスタンドでビールを買おうとしたところ……彼の目の前でそのソフトドリンクスタンドが揺らぐようにして消滅し、そのあとには『ソフトドリンクスタンド』と書かれた一枚の紙だけが残されていた!
出たよ出たよ、ディックの現実崩壊。待ってました。単にモノが消滅するのでなく、名称が書かれた紙が残されるというのもなんだか超現実的で良い。
しかも、彼はこれまでにも同じような現象を体験しており、すでにいくつかの、名称が書かれた同様の紙を所持しているという……
しかもこの名称が書かれた紙と同様の物が、上記のマリリン・モンローの雑誌と一緒に発掘されたというのだから謎は深まってくる。
そして引用される『はじめに言葉<ロゴス>があった』という聖句──いったい、この世界はどうなっているんだ?

虚構の世界って無理があるから、無理が出る

ネタバレになるけれど言ってしまえば、この1950年代の世界は作り物である。本当の世界は1990年代であり、宇宙移民との戦争のさなかにあった。この町はある目的のために1950年代当時の状況を再現されていて……という建付け。
過去の古き良き世界を再現している、というのはなんだか他の作品でも見たことがあるよね。
そしてそのたびに思っていたこととしては、果たしてそういう情報操作って本当にうまくいくのか……? という疑問である。
結論からいうと、本作ではうまくいかない。ちょっとずつ世界設定から逸脱している証拠が集まっていき、バレてしまうのだ。

……あれっ? あの『名称が書かれた紙』は?

1950年代の世界は、物理的に作られた町一つ分のセットだったわけだけど、あくまで地球上に作られた実際の町である。仮想空間とか精神世界というわけではない。……じゃあ、あの名称が書かれた紙は? モノが消滅する超現実的現象とかは?

とくに、説明なし!!!

結論からいえば、とくに解明されない。
最後まで読んで、そんなのありかよとひっくり返ったとさ。

これまでに他のディックの小説の解説とかを読んでいて『ディック作品にしては破綻が少なく~』みたいな文章を目にしていて、そもそもディック作品ってそんなに破綻していたか? とちょっと疑問におもっていたが、おそらくこれのことなんでしょうね……

どうも本作は短期間で書き上げられたものらしく、妙に納得できた。あたかもジャンプ漫画のようなライブ感というやつだ。

でも、面白い小説

とはいえね、上記のズッコケはあったにせよ、全体として面白かった。
当てこすりや皮肉に満ちた会話や、日常に顔を覗かせる不穏、超常現象の描写、主人公の決断と行動、そして明らかになっていく真実──と、とても読み応えのある傑作でした。
これまでに読んだディックの小説で一番おもしろいかも。


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