そのさきにあるもの

※ミュージカル『ヴァグラント』の内容に触れています。公演は終わっていますが2024年1月にCSで放送されるらしいので、そちらで観る、という人はご注意ください




え?昭仁さん出てきて歌う?

ミュージカルのOP(?)前奏(?)が流れたときにそう感じた。
それくらい、なんというか、最初から晴一さんの、ポルノの曲だった。
先日、9/17に晴一さん原案のミュージカル、『ヴァグラント』を観劇してきました。
ミュージカル、というものを観るのが初めてで、界隈のこと(ミュージカルにおける主なテーマ設定とか筋のルールとか)には全然詳しくないのですが、観終わって、とても良かったな、と思えたので、自分のためにここに記しておこうと思います。

観終わって思ったことは、自分の語彙力のなさに泣くしかないのだけれど、「晴一さんすごいな…」だった。
階級社会・そこから生まれる格差と対立・分断差別・抑圧・連帯が全編にわたって手をゆるめることなく描かれていて見ていて苦しくなったし、行き場をなくした閉塞感はとてもリアルに感じられた。結構抉ってくるな…とも思った。晴一さんの『原案』がどこまでミュージカルの内容に具体的な言及をしているものかはわたしにはわからないけれど、たとえそれがぼんやりとしたイメージみたいなものだったとしても、ここまで盛り込んでくるのってすごいなと思った。(ファンの欲目です)
手を抜いたりするひとではない、と分かっていたし、晴一さんも色んな人の手を借りた、と言っていたけれど、それでも晴一さんのつくる物語の核や、曲や、脚本、出演されている俳優さんたちのパワー全部が、私の想像のはるか上で、何もかもに圧倒されてしまった。

とくに面白いな、と思ったことは、『マレビト』と呼ばれる役割のひとたちの設定で、【マレビトの仕事は「ヒト様の人生に区切りをつける」こと。それゆえ「ヒト様」と安易に接触することを禁じられている。】とされている。
メインキャラクターであるはずなのに、ある種傍観者のような位置にいるところがまず最初に「あれ?」となった。佐之助は「ヒトのことを知りたい」という理由から能動的に動くところもたくさんあるしある人を庇って代わりに殴られたりもする。けれど「俺らは区切りをつけさせるだけ、決めるのはあいつら(ヤマの人間たち)だ」みたいなことを言ったりするし、相棒の桃風は佐之助にそれ以上関わるな、と言ったり止めたりしてヒトと関わることにあからさまに(わたしにはそうみえた)消極的で、物語の中ではより傍観者的に(1番)みえた。(ただ彼女もずっとそのままというわけではなくて、少し変わる。物語の終盤、ヤマを去るときに桃風と佐之助が交わした会話がとても好きです)

物語のなかに、『階級社会』も描かれている、としたけれど、『マレビト』はどこの階級からもはぐれた存在で、それは階級の下層に位置するヤマの鉱夫たちの言葉や態度や、(マレビトに触れると病気がうつって死んでしまうとか)マレビトである佐之助や桃風の言葉(マレビトだから医者に診て貰えない、とか)から読み取ることができた。下層にいる鉱夫たちがマレビトのことを仲間意識を持つどころか逆にそうやって差別的に見ているという描写の仕方が特に上手いな、と感じました。
鉱夫たちがヤマのことを「ここは治外法権だ」と嘆くシーンがあるけれど、マレビトが属している集団自体(マレビトたちだけで成されているムラ?)もヒトからしたら治外法権的な場所で、ヒトの社会とは別のものであるということを踏まえると、マレビトはやっぱり観察者的な立ち位置に据えられている、と思う。

それってすごく晴一さんっぽいな、というか、晴一さんのつくる曲(応援ソングといわれるもの、特に歌詞のほう)っぽいな、と思った。晴一さんの書く応援ソングの特徴のひとつとして、『無闇矢鱈に背中を押さない』『ポジティブを押し付けない』(それでいて聴いた人が少しだけ前を向けたり、肩の荷を下ろして気持ちを休めたりできる)というものがあるとわたしは感じていて、そういった晴一さんの歌詞の哲学(?)みたいなものをマレビトである佐之助や桃風の台詞から確かに受け継がれているものだ、と感じられて嬉しかった。(晴一さんの言葉がある、と思えたから。それは色んなひとたちの台詞のあちこちや、劇中で歌われる楽曲すべてに晴一さんの遺伝子をひしひしと感じたし楽曲に至ってはめちゃくちゃポルノじゃない…?ってなったけれど、特に、という意味です。)

大抵、自分のなかで迷いが生じているときや、あと一歩踏み出したい(だから何かに背中を押して欲しい)という気持ちになるとき、わたし自身の中では答えはもう決まっていることが多くて、そんなときにポルノの曲を聞くことで、自分のなかのスイッチをオンにしたりGOサインを出したりしている。それはわたし以外の人からすれば些細でなんでもないようなことかもしれないけれどわたしにとってはひとつの『区切り』になったりもするわけで。
「君のことを応援している、そばにいるよ。でもこの曲をどう受け止めるのか、これからどうするのかは君が自分で決めるんだよ」
そんなふうに、こちらを煽り立てるだけではなく、1歩引いた視線がある晴一さんの応援ソングが好きだから、佐之助と桃風のマレビトとしての振る舞いや言動に親しみを覚えたし、納得できた。

物語の佳境で「これはあいつら(ヤマのヒトたち)にとってひとつの『区切り』になるはずだ。『区切り』を見届けるのが俺たちの仕事だ(うろ覚え)」という佐之助の台詞があって、それを聞いて、は、晴一さん〜😭晴一さんがいるよ…🙏🏻となったし、ミュージカルの最後に披露された楽曲の歌詞のなかに、物語から100年先にいるわたしたちへの問いかけへもあって、ハッとさせられたりもしたし、この物語を見届けることが出来て良かったなとも思った。(開演が12:00で終わるのが14:55と予定に会ったからちゃんと最後までついていけるだろうか…とちょっと不安だったけれど、あっという間の時間だった)

わたしの知っている晴一さんの言葉や、晴一さんが大事にしている(とわたしが勝手に想像している)ものが物語のあちこちにあって、でもそれらを織り成して作られたものは今までとは違う新しい晴一さんの物語だった。

だから、これからが余計、めちゃくちゃ楽しみになった。
ポルノの曲にせよ、小説にせよ、そしてまたミュージカルにせよ、今度はどんな世界を見せてくれるんだろう?とわくわくする。晴一さんの言葉に触れることが今までよりもっともっと楽しみで待ち遠しくてならない。

晴一さん、素敵な体験をさせてくれてありがとうございます、そしてお誕生日おめでとうございます、これからも晴一さんのやりたいことがたくさん叶いますように。

↑晴一さんへのお祝いのつもりで買ったシャインマスカットのタルト- ̗̀ 🎂 ̖́-🥰おいしかったです

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