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かかえていくもの

これからここに書くことは全部わたしの傲慢だと思う。でも、おばあちゃんとのことが完全に記憶の中の出来事になってしまう前に書き残しておきたいから、ここに記します。(本当は、私の年齢的にも「祖母」と書いたほうが良いのかなとも思う。でもわたしにとって、おばあちゃんは小さい時からずっと「おばあちゃん」だったから、そう呼ばせてください。)

あたたかくて穏やかな日だった。朝、子どもとの散歩のために外に出たときの空気がやわらかくて、あ、春がきたんだな、と思った。3月16日。おばあちゃんを見送ることになった日のことだ。『おばあちゃん、もうほんまに危ないみたいやから、会えるときにできるだけ会いにきてあげて』と母からLINEが入った2日後のことだった。
おばあちゃんが体調を崩したのは去年の9月のことだ。風邪を拗らせて入院、と聞いたときは正直そんなにおおごとになるとは思っていなくて、(糖尿やリウマチで毎月通院して血液検査やその他の諸々の検査を細かくしてもらっていたし、数年に1回くらいの頻度で短期間の入退院を繰り返していた。)今までもそうだったし2週間くらいか、長くて1ヶ月くらいかなとか私はそんなのんきなことを考えていた。おばあちゃん本人もそう考えていたみたいで、病院についたときはスタッフのひとに「個室にしてほしい」と伝えたそうだ。
年齢的なものもあったのかもしれない。今までの入院とは何かが違ってしまっていたみたいだった。
個室にしてほしい、と言ったあとすぐに肺の調子がかなり悪い状態だと判明して、そのままICUに入ることになって、約1ヶ月くらい意識のない状態が続いた。そのあいだに喉の切開をして、透析をすることになった。
意識が戻ったのは10月の中旬くらいだったと思う。喉を開いて、いくつかチューブを入れているから前みたいに話すことができなくなり、透析も体に相当堪えているみたいだった。話すことが大好きだから、透析のしんどさより、思うように声がだせないことがめちゃくちゃ不満だったんだろうと思う。(意思疎通ができなくて、はじめてあんなに睨まれた…と母が言っていた)それでも家に帰りたい、という気持ちは強かったみたいで自分に出来るかぎりのリハビリを頑張ってくれていた。
もう家で好きなように過ごさせてあげようと思う、と母から連絡が入ったのが10月の終わりだった。透析もしない。チューブも必要最低限の本数(1本のみ)しか繋がないことにしたと。「退院したらもって2~3週間」と告知されていて、本人も了承済みだと。
11月のはじめにおばあちゃんは帰ってきた。
口からはもうごはんは食べられない、と言われていたけれど、少しずつなら食べられたし、チューブの本数がかなり減ったからか、声も以前ほどではないけれど出せるようになった。
それだけでもああよかったな、と思えた。顔色も良くなって、クリスマスも迎えられて年も越せて、わたしの子どもの3歳の誕生日(1/29)も見届けてくれて。
できれば卒園式と入園式も見てほしかったけれど。

脈がなくなってからしばらくしても、おばあちゃんの手のひらはあたたかくて、柔らかだった。だいぶ痩せてしまっていたから、シワシワになっていたけど、「おばあちゃん」と呼びかけたら握り返してくれるんじゃないかな、と思ってしまうくらいの温度だった。

わたしがおばあちゃんに教えてもらったことできちんと再現できるのは、玉子丼くらいだ。ボタンの付け方も、着物のたたみ方も、やろうとしてもわたしが救いようのないくらい不器用なせいで、歪でぐちゃぐちゃになってしまう。(おばあちゃんがほつれたスカートの裾を縫い直してくれたり、ボタンをつけてくれるたびに、それらは綺麗に既製品のようによみがえって魔法みたいだな、と常に思っていた。)
おばあちゃんの玉子丼の味が大好きだ。
別に特別な出汁を使っているわけでもない、顆粒だし(ほんだしのやつ)とその辺のスーパーで売っている醤油を煮立てて、そこに溶き卵と適当な野菜を入れるだけのものだ。
たったそれだけのものが、なぜかとても美味しくて、(さじ加減の問題かもしれないけど、これもじゅうぶん魔法みたいだと思う)両親が仕事で遅くなるときや、夏休み、冬休みのお昼ご飯はほとんど玉子丼を作ってもらっていた。
おばあちゃんの玉子丼には、ほうれん草、たまねぎ、油揚げが入っていた。全部入っているときも、玉ねぎだけだったりほうれん草だけだったりすることもたびたびあった。そういうとき「今日はこれだけしかなってん、ごめんな」とおばあちゃんは言っていたけれどおばあちゃんの玉子丼の美味しさが変わることはなかった。
「適当でええ」玉子丼のつくりかたをおそわつているとき、おばあちゃんはそれしか言わなかった。わたしも見よう見まねを繰り返して、どうにかつくれるようにはなったけれど、きっと、おばあちゃんの味には叶わない。いつか、自分のつくったものがおばあちゃんのよりもおいしいと思えるときがくるのだろうか。
もし来るとするなら、それは今はまだ、ずっとずっと先で良い気がしている。

「あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら、今も彼女は笑っているし5歳のあなたと5歳の彼女は、今も手を繋いでいて今からだっていつだって気持ちを伝えることができる」

『大豆田とわ子と三人の元夫』7話

わたしとおばあちゃんの間にはドラマティックな確執や諍いも、隠し続けられていたとんでもない秘密も(おばあちゃんはそういう韓ドラが大好きだった、毎日何かしらの韓ドラを観ていた)なにもなくて、おばあちゃんがわたしのワンピースの飾りのボタンをごはん粒だと思って引きちぎろうとしたことだとか(わたしが保育園の頃のことだ)(このことを話す度におばあちゃんは爆笑していた)夜中に2人でこっそりラーメンを半分こしたことだったりだとか、病院の定期検診の帰りにコンビニでおばあちゃんが1万円分くらい爆買いして(わたしが車を出したらお駄賃や、好きなもん買い、と言って自分が食べたいものをカゴに放り込んでいた)(ほとんどお菓子とジュース)店員さんに軽く引かれていたことだとか、夏に「暑いなぁ」とワインを瓶からガブ飲みしていたこと、わたしの産褥期、夜中に子どもが泣いたら起きて来てくれて「あんたは寝とり」と言ってかわりに子どもをあやしてくれていたこと…些細なことばかりで取るに足らないことばかりかもしれないけれど、全部、わたしにとっては欠かせないものだ。

そのひとつひとつの瞬間が過ぎ去ってしまったわけではなくて、消えてしまったわけではなくて、どこかに存在しているのだ、と思うと心が少し軽くなる。『家族』の定義が血縁関係や過ごした時間の長さだけではないことは分かっている。でも「むかしのおばあちゃんと、今のお姉ちゃんの顔やっぱり似てるところあるね」と言われてわたしはうれしかったし、長い間一緒に過ごせたおかげで大切な瞬間がたくさんできた。

「幸せな結末も悲しい結末もやり残したこともない。あるのはその人がどういう人だったかっていうことだけ」

『大豆田とわ子と三人の元夫』7話

よく喋り、よく笑い、そしてよく食べる人だった。止めなかったらひとりでずっと喋ってる。たまたま家に来たセールス営業のひとをつかまえて喋り倒したりするし(セールス営業ひとは若干引いていた)オレオレ詐欺を撃退したこともあった。人前ではめったに泣かない。(でも時々、本当に時々、仏壇の前で声を殺して泣いていたのを知っている。)わたしは(猫背なので)「(姿勢)しゃんとしい!」とよく言われていた。「これでなんかええもん食べてき」と言ってよくお小遣いをくれた。お肉が好き。特にロースと脂身。ウィンナーやハムは苦手。焼いたサバは嫌いなのにサバ寿司は大好き。お味噌汁やすき焼きの残りに玉子を落として食べる。
問答無用でスイーツが好き。家の近くのケーキ屋さんのコーヒーロールがお気に入りだった。
お化粧も好き。外に出るときはいつでもちゃんとお化粧をしていた。ネイルも時々塗っていて、わたしや妹がそれに気づくと「うふふ」と笑っていた。
ヨン様が大好き。
ポスターを集めて部屋中に貼っていた。「あんたら(わたしと妹)のどっちかがヨン様と結婚してくれたらええなと思っててん」と言ってひとつの写真立てにわたしと妹の写真とヨン様のブロマイドを一緒におさめるという儀式(?)をしていたことを知ったときは妹とふたりで笑うしかなかった。

いまは、たくさんお喋りのできる場所に、思い切り笑うことができる場所に、すきなものがたくさん食べられる場所に、居てくれたら良いなと思う。

おばあちゃん。
もしかしたらどこかでこれを読んだりしてくれていますか?

あっけらかんと笑うおばあちゃんの顔や、笑い声が大好きです。
好物を幸せそうに頬張るおばあちゃんを見ているとこっちも自然とお腹が減ってしまいます。
新しく買ったらしい口紅を塗って「どう?」と聞いてくるおばあちゃん、かわいくて、わたしも頑張ってお手入れしよう、と思います。

もう会えないんだ、とふとしたときに思います。仕事の休憩時間に仮眠をとるときとか、信号待ちのときとか、子どもとふたりで散歩をしているときとか。そういうときはたまらなく寂しくなるし、やっぱりまだ涙は滲んでくるけれど、おばあちゃんがどこかで、「しゃんとしい!」と、「そんなことで泣いてたらあかんやろ!」「わてのことはもうええからちゃんとだいちゃん(子ども)のこと見といたり!」と言ってる気がします。当たってますか?

しっかりしぃと言いながら甘えさせてくれるおばあちゃんが大好きです。
テレビのお笑い番組を「こんな下品なもん…」と言うのに5分後にはそれで爆笑してるおばあちゃんが大好きです。
糖尿で甘いものがなかなか食べられないけどときどきこっそり、チョコを食べて、それを隠そうとするけどお母さんにバレて、怒られてるときに、こっそり舌をだしてるおばあちゃんが大好きです。(子どもみたいだ…)

お葬式のとき、ちゃんとさよなら、と言えなくてごめんなさい。(おつかれさま、としか言えなかった) 言ったらもう本当にお別れのような気がして、それが嫌で、だから今もまだ、言えません。
でも、おばあちゃんがそばにいないのは寂しくてたまらないけど、本当はもっと甘えていたかったけれど、おばあちゃんが元気なときの姿で、たくさん話して、たくさん笑えて、好きな食べ物を思い切り食べられるところにいるなら、それはそれで良いな、と思っています。本当です。

いつかまた、会えるときがくるかな。
そのときはまた玉子丼つくってね、それから、思い切り甘えさせてください。

おやすみ。

「人生にはふたつのルールがあって、亡くなった人を不幸だと思ってはならない。生きてる人は幸せを目ざさなければならない。人はときどきさびしくなるけど人生を楽しめる。楽しんでいいに決まってる」

『大豆田とわ子と三人の元夫』7話



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