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「男」であるという絶望

この界隈に生きていれば、「シスヘテ」「(マジョリティ)男性」が絶望的に嫌われていることなんて教わらなくても分かる。

Togetterに「シスヘテ」という言葉が使用されたツイートをまとめた記事があった。そこには、様々なシスヘテ男性への言葉が鋭く連なっている。私はそれを最初から最後まで見た。それなりのダメージを負いながら、しかし見なければならないと思った。


私がジェンダー学に興味を持った頃、私はジェンダー学に救いを求めていた。男性でありながら、男性のあるべき姿を体現できなかった自分に、男性学をはじめとしたジェンダー学はどんな言葉を送ってくれるかワクワクしていた。

男として魅力のない人間だと思っていた。見た目、運動能力、頭の出来、性格...。どれを取っても、成功者になる未来は見えなかった。「男かくあるべし」という概念をぶち壊してくれる存在として、私は男性学を知った。男ゆえの辛さに言及してくれたことは、自分にとっての福音に思えた。

しかし、最初に気づいたのは、男性学でも「辛い男性がいるとして、ではどうすべきか。」ということにまでは明確に方法論を教えてはくれない、ということだ。だから、救われる気はしたけど、実際に救ってくれるわけではないとも思った。

そして、なんとか答えを探そうとジェンダー学への学びを深めていけばいくほど、私は気づきたくなかったことまで気づいていくのだった。

私は、とても「普通の男性」だった。

私は自分を男性の出来損ないだと思っていた。男らしさを体現できていないダメな男性だと思っていた。それなのに男であることの責任はバッチリ負わなくてはならない、そんなのはゴメンだと思っていた。その代わり、私は男性が持つ暴力性などは持っていなくて、女性に対しても横暴ではないと思っていた。その意味でも私は他の男性とは違う存在だと思っていた。そして男性学やジェンダー学は、そんな自分にはピッタリだと信じていた。

しかし、ジェンダー学を学ぶほどに、自分は自分の男性性に気づいていく。男性特権への無自覚さを自覚した。女性蔑視や異性愛主義が埋め込まれていることも自覚した。その他沢山の軽蔑されるべき要素を持ち合わせていることを自覚した。私は、実に「普通の男性」だった。

ショックだった。この学問領域に救いを求めてやってきたのに、かえって自分の罪を知ってしまった。自分が忌み嫌った人々とも、そう大差はなかった。自分も嫌悪される男性だった。自分のそれまでの人生がひっくり返ることが分かった。

正直嫌にもなった。自分が持つ男性性にも、男性であることにも、ジェンダー界隈にいることにも、嫌気がさした。どういうわけかジェンダー界隈からは出ていくことはなかったけど。

今でも男性性への嫌悪感は続いている。日頃いつでも意識させられる機会はある。多分、女性が女性であることを嫌悪するのと同じくらいか、それよりは少ないくらいには。

最近グレイソンペリーの『男らしさの終焉』を読んだ。その中に「進歩的な男性は混乱している。正しいことをしたいと思って何かをしても、何千年も続いた男性の悪行に汚されていると感じてしまう。私の世代の男性は、同じ男性のことで謝り続け『強姦魔ではありません』という首輪をつけていないといけないと感じている。暗い夜道を一人で歩く女性を怖がらせないように、引き返したりルートを変えるなど、妙な行動をしたことのある男性と何度か話したことがある。『ほんとに強姦魔じゃないんですよ!』」といった文章がある。(同書は異性装者の男性が自らの男性性もさらけ出しつつ、保身的になることなく男性性について論じた素晴らしい作品であった。)

上の文章には共感するところがある。女性の後ろを歩きたくなくて道を変えることは実際にある。その一方で、上の文章と異なるところもある。文章中の男性は悪行をする男性と自分達を切り離しているようだが、私は自分は悪行をする男性サイドからそう遠くないと思う。自分の加害者性に気づかされているから。


自分の持つ男性性は嫌われて当然である、ということを認識している。油断すればその男性性を発揮してしまうことも認識している。だから、togetterでのシスヘテ男性への言葉の全ても、全身で受け止める必要があると思った。本気の内省なしには新たな男性性を構築することはできないと思った。

とはいえ、痛いもんは痛い。自分はそう簡単には変わらない。自分の男性性を気づかされては、また痛む。しかしどれだけ絶望しても、どんなに自分が自分のことを嫌おうと、私はシスヘテ男性だった。

私はきっとこれからも、自分の男性性に絶望し続ける。もし自分にできるなら、こういう絶望を二度と他の男性に味わせることのないように力を尽くしていきたいが、もしそれができなかったとして、せめてこの記事が気休めにでもなってほしいな、と思う。シスヘテ男性を救うべきは、やっぱりシスヘテ男性だと思っているから。


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