見られる意識について
微妙に性についての話です。シスヘテ男性の語りですので、苦手だなと思われる場合はブラウザバック推奨です。これくらいの内容だと規制もかかるか分からないので。
冴えないシスヘテ男性として生きてきた私は、他人から「恋愛対象」として見られたことは少ないですし、「性的対象」として見られたことはもっと少ないんだと思います。まあ、気づいてないだけかもしれないですけど、少なくともそれに鈍感では居られるし、むしろ見る方が多いはずなので。
でね、そんな自分にとって一つ不思議な感情があることを思い出したんですよ。
私はちょっと太ってるんですけど、「太っている男性がタイプ」っていう女性がいたとしたら、ちょっと苦手というか嫌かもしれないな、って。
いわゆる蛙化現象みたいな感じなんですかね。好かれたら嫌みたいな。
なんでそう感じるのか考えてみます。
一つは価値観があってないからじゃないですかね。
私は私の体は嫌いです。太っていることはそんな嫌いでもないんですけど、私の太っている体は嫌いです。それを好きっていうことに、なぜか強めの拒絶反応が出るんですね。
なんでそれに拒絶反応が出るかっていったら、より身体を好意的に見られているということに慣れてないんじゃないですかね。
自分自身が自分の身体を受け入れられていない状態では、他人にそう見られる準備もないし、言ってみれば許可もない。
「自分の体を勝手に好きにならないで」
くらいの気持ちなのかなって。
こう思うとね、これまで自分は「性的に見られること」の実感が沸かずにいたのが、急に解像度高く見えるような気がするっていうか。
これまでより自分の事として見たり考えたりしやすくなるんじゃないかなって。
ただその一方で、見られるということに対する肯定的な感情がより遠退いた感じもするので、バランスよく感じられるようになりたいような気もするんですが。
自分の体、嫌いなんよなあ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?