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南方仁の心の散歩道No.1       求めないということ

 いきなりですが、私はこのnoteで皆さんからの反応を求めていません。
 もちろん、反応していただけるとすごく嬉しいのですが、反応していただけないからと言ってがっかりしたり、読んだだけで通り過ぎる人を恨んだり、たくさんの反応を得ている人気クリエイターの方を妬んだり、そんな人間にはなりたくなりのです。

「随伴性自尊感情」という言葉があります。
人から認めてもらえることによってどんどん自尊感情があがっていき、そうでなければがくん下がるという感じです。
 私は、そうではなくて、自分のことを自分で認める「本来的な自尊感情」を持ちたいのです。

 良いところも悪いところもまるごと含めての自分。
 今、一生懸命にやっている自分。
 それだけで十分。
 人に認めてもらえなくても、自分が納得いけばそれでいい。
 こんなふうに思っています。

マズローという人が欲求5段階説を唱えています。
1 生理的欲求
2 安全の欲求
3 社会的欲求
4 承認欲求
5 自己実現の欲求

 人間は、これらの欲求を順に満たしていくことで安心感を得ることができるそうです。
 まず、食欲、睡眠欲、性欲等、生きる上で最低限必要な欲求を満たす。
 次に、身の安全を確保する。
 そして、社会的地位や良い人間関係を得て安心感する。
 その次が、承認欲求です。
 マズローによれば、承認欲求は誰にでもあるもので、これを満たさない限り、次の自己実現の欲求はみたされないということになります。
 やはり、人から「さすが!」「すごいね!」「尊敬します!」と認めてもらうことは自己実現に至るための必須の条件なのでしょうか?
 私は、そうは思いません。
 人に認めてもらわなくても、自分で自分を認めてあげれば良いのです。
 それって、ただの自己満足???
 そうかもしれません。
 そうかもしれませんが、「あ!今日も3人『すき』を押してくれた!!」  「あ!コメントがついた!!」という感じで一喜一憂する自分ではありたくないと思うのです。
 認めてもらえることは嬉しいことですが、みんな忙しいのです。
 そんな忙しい中で、わざわざ私のために貴重な時間を使ってくださる方がおられるのは、本当に、文字通り在り難い(在ること難し)ことです。
 認めてもらえないことが当たり前で、スタンダードだと私は思っています。

 次は、「認めてもらえないことがスタンダード」について書いていきます。

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