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達人が達人たる理由(三船久蔵先生と山田先生のお話)

私が昔、合気道を習っていた 山田先生という先生に 

山田先生が若い頃に講道館や武道専門学校で 練習していた時の話を、 よく聞かせてもらったのですが、 印象的な話が多い中で 柔道の名人(三船久蔵 十段)[通称:([空気投げ]の三船)] の話は 非常に記憶に残っています。

身長159センチ体重55 kgで 当時65歳ぐらいだった 三船久蔵先生に、 当時20代だった 山田先生は まったく歯が立たなかったそうです。

ある日練習が終わったあと、山田先生が 三船先生に 疑問に思っていたことを質問したそうです。

「 三船先生は お年を召しても 若い柔道家に負けないほど 大変お強いですが、 先生が(全盛期だ)と思える頃の年齢はいったい 何歳頃だったのですか?」

と質問したところ、三船先生は ポカンと( 何言ってんだ?)みたいな顔をして、

「今だよ。 今の自分の技が1番冴えている」

と、答えてくれたそうです。

山田先生は、その答えを聞いて「あぁ、自分は今 黒帯に恥ずべき質問をしてしまったんだな」と反省したそうです。

山田先生の話を聞いて、 私自身が達人と呼ばれる人と手合わせをしてもらった事や

 達人のお話を聞いた (私なりの結論)は、
60代になっても 現役の選手と戦ったり 現役の選手を倒したりするような強い(達人)と呼ばれるような人は、
その人たちは[歳をとっても通用する特別な技術というものを(最初から知っていた特別な人)] というわけではなく、

若い時から、ずっとずっと強い現役の選手との勝負を続け、(勝ったり負けたり)を若い頃から年を重ねても勝負し続けた結果、
「自分なりの、その年齢なりの戦いかた(勝ち方)」を身につけた人達が(達人)と呼ばれるようになる。という事です。

体格や年齢を言い訳にせずに勝負を続け(勝つための練習)を継続し探求し続けるから[年をとっても強かった]

結局、特別だったのは おそらく「柔道に対する」と「探求心」だったのだと思いました。

なんだか、特別な結果を出した人が 最初から特別だったということを普通の人は思いたがるのですが、

 特別な結果を出す人達は「普通の人以上の特別な努力」「勝つための(結果を出す練習)に時間をさき続ける」という対価を当たり前のように払い続けた人たち だということ。

忘れがちになってしまうことを 思いをさせてくれるような話でした。

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