【プリズンライターズ】初犯長期刑務所ライフ・Vol.1
朝6時半、「起床~」の号令で飛び起きて、荒々しく寝具を畳み、掃除や、洗面等を済ませて、点検を受けて、刑務所の一日が始まる。
全くと言って良いほど、変化のないムショ生活でも、その一日が、どんな日になるかは、工場に出てみないと分からないところがあります。
自分のいる千葉刑務所は初犯長期刑務所で、長い人は無期、短かい人は十年程度、刑期は様々ですが、人間関係においては違いはなく、気の合わない人とも狭い空間の中で相対しないといけませんので、いつ揉めて、喧嘩になってもおかしくない場合があります。
特に前日にちょっとした火種を残した人にとっては、今日工場へ出て、夕方に舎房へ戻れる保証はありません。
ムショの中、管理上の規則が無数にあって、ウクライナの地雷地で生活しているようなもので、懲役の中には、叩けばほこりの一つや二つ、出る人が多く、作業中に「誰々、処遇!」と呼ばれた人はドキッとします。
受刑経験のある人は皆知ってますが、処遇部門に呼ばれるのは、良い事が一つもありません。
怒られて、戻って来られるのはラッキー。そのまま調査、懲罰行き、という事の方が多いです。
誰かが呼ばれたら、本人はさて措いて、仲の良い人は心配し、仲の悪い人は喜び、全然関係のない人でも、何があったか興味津々。
結局は堀の内外を問わず、他人の不幸は蜜の味、は共通した人間の心理です。
その中でも、「満期上等!」を標榜(ひょうぼう=主義主張などをかかげて公然と示す)する人達は実に逞しい。
大抵は割と刑期が短かく、血気や遊び心が旺盛な方が多いが(ヤケクソになった無期の人もいたりします)、普通に一緒に遊ぶ分には、楽しくておもしろいです。
でも、その分、一緒に罰を受けるリスクもともないます。
昔、雑居房(今は共同室という)にいた頃、同居に仲良くしていた満期間近の人がいて、規則を屁とも思ってなくて、「こんなもん一々守ってたら、頭がおかしくなっちゃうよ。食わないものや要らないものを他人に上げちゃいけないとか、他人(職員)が横に立って、こっちを見てるのに、こっちは見ちゃいけないとか、入浴ができなくて頭が痒いのに、タオルで拭いてもいけないとか、娑婆じゃありえないだろう」といつも言っていました。
私も同感できる部分があります。
手先が器用で、頭も良い人なので、色々考えて、色々作って、ムショ生活をエンジョイしていました。
いずれもムショでは禁制品で、また懲役の憧れで、自由の象征的なものですが、ここでは書くことすらできません。
彼一人だけでなはなく、一時何人かがバレて、懲罰を食らいました。
中には、ポットを使って、××を作ろうとして、発酵しすぎて、ガスが膨張して、ポットの頭の部分が「ボン!」 と、音と共に飛んで、工場に持っていって、「交換をお願いします」と申し出たら、「おまえ!ポットが××くさいじゃないか!」と速攻バレてしまった間抜けもいました(笑)。
その仲の良い人を横で見ていて、楽しそうにやってるなあと、率直に思ってしまう自分がいました。本当か?と言われそう(笑)
日本の刑務所は、懲らしめを主目的としている部分が強く、先進国の中では断然厳しく、受刑者の人権は軽んじられています(と言っても私に他の国の刑務所経験があるわけではなく、あくまで本などからの知識しかないが)。
被害者感情を考えれば、社会一般的にはそれが支持されています。当然と言えば当然で、支持されている以上は、改善される見込みも薄いが、日本は常日頃、西側の一員であることを自慢してるのですから、こういう面でも是非見習って欲しいです。
「来た以上は少しでも楽しく生きよう」と考える人もいれば、長期間の自己抑制によって、精神面での異常(としか言いようがない)をきたして、全ての事に無関心で、感情を失ったような人も多くいます。
逮捕時に精神耗弱と認定されてなかったという事は、最初からそうではなく、ムショ生活の中で、徐々に変化して来たのだろう。
原因はいくつか考えられますが、事件に対する内省、人間不信、それからトラブル回避のため、等々。
工場では誰とも話さず、笑わない、話しかけられてもろくに返事もしない。部屋にいても、定位置に座って、ジ~ッと壁の方を見てる人。
ノートにただボールペンで黒く塗るという意味不明な事を延々とやってる人。
そういう人は、何を思い、自分の未来をどう考えているのか、誰も知らないし、興味も持たない。
「かわいそうに」と思うほど、他の人も余裕があるわけではない。
彼らが社会に戻ったら、再犯しなくても、別の意味で問題になるような気がしてなりません。
でも、官としては、トラブルを起こさないから、管理しやすく、特に心のケアもせず、放っておかれます。
言ってみれば、官と同衆両方から空気のように扱われます。
そして、増々集団の中にいながら、孤独になっていき、いざ社会に放っぽり出されたら、一体どう生活していくのだろう。
こういう人と、活発的で、自分をしっかり持っているが、時々規律違反を起こす人と、管理側にとって、どっちがありがたいか、どっちが社会にとって使い道があるのか、皆さんも想像はつくでしょう。
刑務所での作業時間は短かいが(実質6時間くらい)それでも一日が終われば、それなりに疲れます。
娑婆なら、疲れが目に見える形での成果を得られて、疲労感が充実感や達成感になることも多々あるでしょうが、ムショでの疲労は、単に体力と精神の衰弱しか齎(もたら)さない。実際、仕事は大抵やりがいがないし(最高の1等工でも「時給」が50数円、業者が払う加工賃も平均したら多分100~120円/時間程度だろう)、重要視もされてない、いくら建前上では作業の大事さを説いても。
どれだけ仕事をこなしてるよりも、一日大人しくその席にいる事の方が大事ですから。
これはムショ経験者なら、誰でも知ってます。管理する側に改善する気がなければ、管理される側は当然、仕事はどうでもよくなります。
長くなれば、それが習慣になって、社会復帰しても抜けなくて、仕事が辛くなったらすぐ逃げだすだろう。
そういった怠け根性の仕事できない人間を次から次ぎへ作り出して、外へ放り出す。
そして、仕事はできないが(辛くてやりたくない or 使えなくて雇って貰えない等々)、生活するにはお金が必要。となると、また犯罪に手を出す。
だから、「再犯」は決してその人だけの問題ではありません。
作業が終って、いつも通り一日を無事に過ごして、何の感想もなく、とぼとぼと舎房へ戻る人もいれば、家族と面会があって、嬉しい気持ちを抑さえて、軽い足取りで戻る人もいます。勿論、雑居で他の人とうまくいかず、帰るのが憂うつに感じる人もいます。
「やっと一日が終わったよ!」と、楽しく同房の人と夕食につく。
「これ食えないから、やるよ」。「ありがとう、貰うよ」。
その瞬間、「おい!おまえら、何をやってる!このまま動くな!」、食べ物の不正授受で現行犯逮捕、懲罰行き。
結局は良い一日の終りにはなれなかった。そんな事は日常茶飯事。ムショでは、一日中油断大敵です。
なにごとも思い通りにいかないのは、これもまた塀の内外関係なく、同じです。
明日は明日の風が吹く、とりあえず今日をなんとか楽しく生きよう、反省しながらも。
その延長線上、トンネルの出口が見える日がやって来る(かも知れない)。
「一日一笑」、私はその思いで生きていきたいです。
A22さんの過去の投稿
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