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鍵っ子だった頃の話

大学進学を機に一人暮らしを始めるまで、私は団地に住んでいた。親は遅くまで働きに出ていて、学校から帰って一人で留守番をする…いわゆる「鍵っ子」だった。特段珍しい存在でもなく、幼い頃は特に危機感すらなかった。
地元は絵に描いたような田舎だ。畑、海、山、空き地、廃屋…錆と土と潮の匂いのする、ほとんど村と言っていいところ。息苦しいほど時がゆっくりと流れているような、そんな空気すらある。そういう空気も手伝って、危機感というものを感じにくかったのかもしれない。
かつては全国的なニュースになるほどの事件や反社絡みの事件もあって、しかもそれが自分の家の100m圏内で起きたのに、自分にはそんなことは降りかかるはずがないと信じていた。いや、発想すらしていなかったと思う。

けれど、あの日を境に、私の危機意識は一気に変わった。
独り歩きや施錠に警戒するようになった、あの日の話をする。


* * * * *

小学5年生だった私は、鍵っ子も板についてきて、夜遅くまで一人で家で過ごすことを楽しみにすらしていた。
その日も、学校でのクラブを終えていつもの帰路を辿っていた。夕日に照らされた道を友だちとわいわいはしゃぎながら歩く、いつもの光景。

「じゃあ明日ね!ばいばーい!」

ほとんど車の通らないがらんとした国道から、私は友だちとわかれて団地への道へと逸れた。ひび割れたコンクリートから砂利の混ざる車一台分の道。それもいつもと同じ。帰ってから何をしようか、おかしもこっそり食べてしまおうか、そんなことばかり考えて後ろなど全く振り返らなかった。

団地へたどり着いて、自分の棟の階段を登る。私の部屋は4階。コンクリートがむき出しの階段を、いつものように上がっていた。1階から2階への踊り場に差し掛かったとき、下の方でザッ…という音がした。

(?この棟のひと…?)

私はここで少し嫌な予感に包まれた。団地は1つの棟に4列あり、2部屋が向かい合うようにして配置されている。この棟のこの列は、私たち一家を含めて5家族が住んでいた。1階は老夫がひとりで、2階は老夫婦と老親子が住んでいる。4階は私たちと幼児のいる家族がいて、3階と5階は両方空室。その中で、この時間帯に帰宅するのは私だけだった。
何かがおかしい気がする。そう思いつつも、下の階のひとかもしれないし、とそのまま階段を上がった。
2階を通り過ぎて3階に来た。もう少しで自分の家だ。

ザッ…ザッ…

下から聞こえる足音は未だ登り続けている。止まる気配のない足音に、やっと私は気づいた。

(ここのひとじゃない…私に着いてきてるんだ!)

全身の血の気が引くのがわかる。がくがくと震える足をなんとか動かして、4階まで駆け上がった。相手も気づいたのか一気に追ってくる音がする。

首から下げていた鍵を差して、私はすばやく体をドアの内側に滑り込ませた。焦りと恐怖で震える手でなんとか鍵を締めたと同時に、バンッッ!と強い力で鉄のドアを叩かれた。ドアノブが狂ったようにガチャガチャと回されている。息を荒げて涙でぐしょぐしょになりながら、チェーンキーもかけた。その音で察したのか、ドアの向こうの何者かはさらに激しくドアノブを回してきた。

この団地のドアは本当に古い。内側から外を見るのは覗き穴ではなく覗き窓で、内側についている蓋を開けて見るタイプ。今かけたチェーンも錆びついていて、留め具も心もとない。こんな状況でドアを開けられては、もし力の強いやつだったら留め具ごと外れてしまうかも…。
そして極めつけは郵便受け。ドアの下部に着いているうち開きの蓋を開けて郵便受けに物が入るようになっているのだが、この蓋の部分がゆるくて受け口が広い。その気になればうち鍵にも手が届く。

そう思っているところに、郵便受けの受け口からにゅっと腕が差し込まれた。

「ひっっ…!」

私は慌ててドアから離れた。腕は探るように空を掴んでいる。このままでは、鍵を開けられる。そうなっては命はない。私は考えるより先に、玄関に置いてある傘を掴んで腕へと振り下ろした。

「あぐっ!」

男の声だった。腕は一瞬びくっとしたが、すぐにこちらに掴みかかろうと暴れて腕をめちゃくちゃに動かしている。こんな子どもの力ではどうにもならないのか…!どうしよう、どうしよう!
腕はどんどん差し込まれて、もう二の腕あたりまで入れんばかりだ。私は目の前の恐怖のあまり、警察を呼ぶことも親に連絡することすらも頭に浮かばなかった。とにかく目の前のこいつをどうにかしなければ。それでいっぱいになっていた。

そのとき、腕が内側のドアノブに触れた。

まずい。そう思ったときにはすでに傘を振り下ろしていた。初めて人を殺すつもりで殴った。足で蹴りつけもした。バン!バン!とドアの音が大きく響く。
さすがに耐えられなかったのか、腕がするすると引いていく。このままもうどこかに行ってくれ。腕が受け口から抜かれた。

キイ…

と、郵便受けの蓋が押し開けられ、腕の主と目が合った。息を呑む私の顔を見て、その目が嬉しそうに歪む。笑ってやがる…。
体中を怒りが駆け巡り、私は持っていた傘の先をその目に向かって勢いよく突き刺した。

「うわあああ!」

柔らかいものを突いた手応えがあった。ドアの向こうで尻もちを着いている気配がする。私はすぐさま玄関にある靴やダンボールを郵便受けに詰めた。蓋がびくともしなくなるまで、ぎゅうぎゅうに押し込む。
荒い息が聞こえる。コンクリートと服のこすれる音も。私は息を殺し、ドアの前に立って気配を探った。

バンッッッ!!!!

大きな音に私の体がビクッと跳ねた。どうやらドアを蹴りつけたようだ。階段を降りていく音がする。ドアの向こうの気配は完全に消えた。
全身の力が抜けて、私は玄関にへたりこんだ。良かった、というと何か違う気がするが、とにかく安堵した。絶対殺されると思った。撃退できてよかったが、ただ運が良かっただけだということもわかっている。恐怖と安堵で大きく息を吐いた。今更ながら恐怖がせり上がってきて、私は声を挙げないように泣いた。


その後、母の携帯に連絡を入れた。仕事中だったので留守電になってしまい、いつもどおり帰宅は夜遅く。母が仕事から帰宅するまで、家の電気はつけなかった。あいつが戻ってきたらと思うと、気がきではなかったから。
留守電を聞いた母が警察にも通報したそうで、警察官を伴って帰ってきた。そのときの状況や人相などを聞かれ、たどたどしく答えた記憶がある。なんだか私が取り調べられているような居心地の悪さを感じていた。

私はその日のうちに近くにある祖母の家に移ることにした。団地とは正反対の位置にあり、学校からも近い。休日以外はほとんどそちらで過ごし、その生活は小学校卒業まで続いた。

* * * * *

犯人が捕まったという話は、10年以上経った今でも聞いていない。もしかしたら逮捕されたとしても、とっくに社会に戻っているだろう。

あの経験が私にもたらしたものは大きい。
あの時から一人で歩くときは常に警戒するようになったし、ドアを締めると同時に鍵を締めるようになった。一人暮らしをするときも、防犯対策の厚いところをできるだけ選んできた。

こんな警戒など、しないで済むならそうほうが絶対に良い。警戒する方も疲れるし、警戒される方だって良い気分ではないだろう。
それでも、この社会において「警戒しない」という姿勢をデフォルトにすること、ましてや優しさであるとすることは、とても危険なことだ。悲しいことだが、力の弱い女性や子どもなら尚更。私のこの経験以外にも、これまで起きた様々な事件がその危険性を教えてくれる。

危機感を持って警戒することと、礼節を持って他人に接することは両立できると、私は信じている。

こんな世の中でも、感謝や尊敬を他人に伝えられる自分でいたい。他人の警戒に対して、たとえばすぐに締められる鍵の音で、自分の存在を拒否されたとは思わないように、相手の心を慮れる自分でいたい。

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