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鑑賞記録vol.1 Viva Video! 久保田成子展

これは、2022年になって初めてアート鑑賞に興味を持ち、美術館に足を運んでみた初心者の記録です。(ちなみに、美術の成績はかろうじて3が取れるか、といったタイプの人間でした。)前提知識はゼロに等しいですが、純粋に感じたことを記録するため書いてみようと思います。

今回vol.1として記録するのは、2021年11月13日(土)- 2022年2月23日(水・祝)まで東京都現代美術館にて開催された、「Viva Video! 久保田成子展」です。

もっと早く書きたかったのに、いつの間にかこんなに時間が経ってしまっていました。。

鑑賞のきっかけ

この展覧会に訪れたきっかけは、2022年、何か新しいことを始めたいと思っており、美術館に行ってみよう!と思い立ち、比較的アクセスしやすかった東京都現代美術館に訪れたところちょうど開催中の企画展の一つが久保田成子展だったからです。久保田成子展の他に同時開催していたのは、「クリスチャン・マークレートランスレーティング[翻訳する]」と、「ユージーン・スタジオ 新しい海 EUGENE STUDIO After the rainbow」の二つで、その中で展覧会情報を見て気になった、クリスチャン・マークレー展と久保田成子展のセット券を購入して、美術館へと足を踏み入れたのでした。
ちなみに、この日はクリスチャン・マークレー展→久保田成子展の順に鑑賞したのですが、クリスチャン・マークレー展でかなり力を使い果たし、久保田成子展は消化不良で鑑賞を終えてしまったので、別日に久保田成子展をもう一度、それと共にユージーン・スタジオも鑑賞してきました。(書ければそれぞれの感想も書きたい)

久保田成子とは?

アートに特段興味が特になかった私にとって、久保田成子は名前を聞いたことのないアーティストでした。

展覧会の情報は以下です。

東京都現代美術館では、新潟に生まれ、国際的に活躍した久保田成子(1937-2015年)の没後初、日本では約30年ぶりの大規模な個展を開催します。映像と彫刻を組み合わせた「ヴィデオ彫刻」で知られる久保田は、ヴィデオ・アートの先駆者の一人とみなされています。しかしながら、彼女の現代美術への貢献は、十分に評価されているとはいえません。

本展の目的は、アメリカを拠点に日本人女性アーティストとして活動した久保田成子について、最新かつ文脈に沿った研究成果を国際的な観客に提供することにあります。2015年に彼女が亡くなった直後、その遺産を保護し、さらに発展させるために、久保田成子ヴィデオ・アート財団がニューヨークに設立されました。財団の全面的協力によって開催される本展では、復元されたヴィデオ彫刻のほか、作家によって保管されていたドローイング、資料などを中心に、国内美術館の所蔵品や作家の遺族からの借用品を含め、初公開資料を多数展示します。

ヴィデオというメディアの黎明期に、世界を舞台に自らの芸術を展開する一人の女性作家として、何を考え、どのように表現を追求したのか。新潟県立近代美術館、国立国際美術館との協働で企画された本展では、代表作「デュシャンピアナ」シリーズをはじめ、ヴィデオ彫刻、映像作品、それらのためのスケッチやアーカイヴ資料などにより、久保田の仕事を多角的に展覧します。

https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/shigeko_kubota/

展覧会は、久保田成子の生い立ちから、渡米してからの活動、ヴィデオとの出会いとヴィデオ彫刻の誕生、パートナーであったナムジュン・パイクとの人生を順に追っていくような構成でした。

彼女の来歴について

まず、展覧会冒頭は資料の展示が多く、彼女の生い立ちに関する記録資料が多く展示されていました。新潟で住職の娘として生まれた彼女は、舞踊家の邦千谷を叔母に持つなど、当時としては比較的文化的に豊かな環境で育ったということがわかります。その中で彫刻家を目指し、作風を現代的に進化させていく中で、1963年開いた初の個展「1st.LOVE,2nd.LOVE…」の招待状とその写真が展示されていたのですが、案内状の英文も、会場をラブレターに見立てた紙でいっぱいにし、来場者はそれを登らないと作品を見れない、という構成も、とても現代的(当たり前かもしれませんが)で、とても新鮮なものに感じました。当時は、反響がなく展評が出ることもなかったそうです。
日本での女性アーティストの活躍の場が限られていることに失望した彼女は、1964年に渡米します。

きっと、この時代に芸術家として女性が渡米することは、現在と比べてもかなりハードルが高く決意のいることだったのではないかと推測します。ここで渡米という決断をした彼女はとても勇気と信念のある女性だと思いました。

渡米とフルクサス

渡米した彼女は、ジョージ・マチューナスが率いる前衛芸術家集団、フルクサスに所属します。
(アート初心者の私は前衛芸術家集団何それかっこいい!と純粋に思ってしまいました。)
フルクサスのイベントの中で彼女が行ったとされるパフォーマンスが、「ヴァギナ・ペインティング」です。このようなパフォーマンスをこの時代に行っていたということに、私は衝撃を受けました。
ただ、晩年彼女はこのパフォーマンスについて自分のアイデアでやったものではない、と後に述べており(フェミニズムから距離を置くような発言もしている)、これに対する見解も様々に分かれているようですが、時代を考えると、このようなパフォーマンスを行ったことはフェミニズムアートの先駆けだったと評価されているそうです。

WHITE BLACK RED&YELLOW

彼女は、人種の異なる三人の女性アーティストと共に、WHITE BLACK RED&YELLOW(表記順は場合によって前後する)というグループを結成し、ライブイベントを行ったそうです。
女性アーティストの活躍が限られている中で、また異なる人種のメンバーでこのようなグループを結成し活動を行っていたということが、彼女の女性アーティストとしてのエネルギーを強く感じました。

ヴィデオ・アーティストとして

ブロークンダイアリー:私とお父さん という作品はとても印象に残りました。病床に臥した彼女の父が紅白歌合戦を見ている様子に、彼の死後彼女が泣いている様子が重なり合うように映されます。紅白歌合戦を知らないアメリカの人々にはある意味その映像自体が印象的なものに見えたかもしれませんが、日本人としては、紅白歌合戦という年末の華々しい歌番組の様子、(おそらく)黒柳徹子さんの司会の声、それと明らかに弱っている様子の彼女の父の姿が映っている様子に、何とも言えない物悲しさを感じました。

ヴィデオ彫刻の誕生

彼女は様々なヴィデオ彫刻を生み出します。「ヴィデオ彫刻」とは何ぞや、と思ったの私でしたが、鑑賞してみて、動く映像としてのヴィデオと、動かない物体としての彫刻が組み合わさってアートを構成するという点に、表現方法としての可能性を彼女が感じたのではないかと思いました。

特に印象に残ったのは、初期の作品である「ヴィデオ・ポエム」です。正直不思議な作品だと思います。今回の展示会の表題になっていた、Viva Video!というのは、この作品から引用されています。

また、デュシャンピアナシリーズの「階段を下りる裸体」も印象に残りました。(私は、デュシャンについても何となく名前聞いたことあるかも、確かにトイレに名前が書いてあるやつどっかで見たことあるな?といったくらいの認識しかなかったので、帰ってからGoogle先生で情報を補完しました。)
上り下りする建物の一部としての階段が、それだけ取り出されて美術品として存在しており、ヴィデオの中で女性が階段を下りている、これも正直見ていて不思議な感覚に陥ったのですが、階段を下りる裸体の元作品を見て、これを立体として表現したかったのか、と思うと非常に面白いなと思いました。

デュシャンピアナ:階段を下りる裸体

彼女が創作対象を徐々に自然のモチーフに変えていく過程も興味深かったです。「河」は、水面に反射するヴィデオの映像と一定のリズムで作り出される波がそれを揺らしている様子が、とても美しく感じました。

また、韓国の墓やスケート選手は、作品が光を浴びて壁にキラキラと反射しとてもきれいに輝いており、空間全体が作品として構成されているのだな、と感じました。

スケート選手


晩年

晩年、彼女は夫であるナムジュン・パイクの看病のため創作活動を中断しますが、その中で彼の入院生活を記録したヴィデオ作品「セクシュアル・ヒーリング」は、皮肉的なようでありながらも、彼女が彼を愛していたことが自然と伝わってくるように思えました。

また、展覧会の最後に飾られていた、彼女のスケッチも、とても印象に残りました。

Videoは時間のARTである。
時は流れ、過ぎ去るものは常に美しい。

時間をアートとして昇華させるものとしてのヴィデオに彼女は魅了されていたのだな、と私はこの言葉に強く惹かれ、強い余韻を感じたまま美術館を後にしました。。

終わりに

とにかく、美術館でここまでしっかり鑑賞したのは初めてだったのですが、とても、圧倒されました。それは、彼女の人生の軌跡と彼女のアート作品双方についてです。感動した、とかそういった感想というよりも、ただただ、そのパワーに圧倒されたな、という印象を受けました。

また一方で、勝手に私はある意味シンパシーみたいなものを感じたのだと思いました。彼女が生きた時代に、彼女のようなアーティストが存在していたことにとても勇気づけられたような気がします。

正直、現代アートってなんか難しそうだし意味が分からなそうなものが多いな、と思っていた部分があったものの、現代アートは作品が制作された時代が近い分作者の生きた時代背景や問題意識を想像しやすく、だた、美しいと感じるだけでなく、作品から何を受け取るかを問われているような感じがして、様々な刺激を与えてくれるものなんだ、と実感することができました。

今後も積極的に干渉を続けて、自分を刺激していきたいと思っています。

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