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自分が生きていてよかったなぁと思えることはあまりないけれど


突然、卒業生から連絡がきた。

突然、卒業生から連絡がきた。
ようやく自分の夢が叶ったという連絡だった。

大学にいたときから、彼は自分の夢を語っていて、周りの大人の多くは「それよりも君は優秀なのだから」と、一般的な(わかりやすい)社会的成功を期待していた。
私は、夢を持てること、そのために努力できることも才能だと思う人間なので、「そんなこと気にするな、一緒に頑張ろう」と周りの大人を無視して、(大人の都合の良い方向に導いていこうという雰囲気も無視して 笑)彼が彼らしくいられることを大切にしてきたつもりだった。

だけど、彼が卒業して、それからも時々「あの子は今何しているのかな」「夢を諦めてしまったかな」と思っていた。
これくらいの年になれば、当然「夢を持っていた」人たちが諦めて、それにしがみついたり、自暴自棄になったり、なかったことにしたり、そういう人をたくさん見てきたわけで、それでも仕方ないと思いつつも、それでもどこかで「叶ってくれたらいいな」と思っていた。

教員である以上、彼らの進路選択に関わらざるを得ない場面が多く、関われば関わるほど、「自分の判断は間違っていなかったのか」と誰か後悔している人はいないかと、思うときも多々ある。

そんな中でも、彼からのメールだった。

「先生、ようやく夢が叶いました。

周りから夢を諦めろ、叶うわけがないと言われたとき、とてもとても苦しかったですが、先生は否定せずにずっと親身に支えてくれました。
本当にありがとうございました。」

といった内容で、私は人気のないところに行き、ひっそりと泣いた。

そうか、よかった。夢が叶ったんだ。
諦めずに走り続けているんだ。本当に本当におめでとう。
自分がいたことで、誰かが走ることができていることも、とても嬉しくて、とても嬉しくて、私は泣いてしまった。

私はものすごく自信のない人間で、「自分の生きている意味」を10代20代は本当に考えていた。そして、大体の結論としては、生きている意味はないと思っていた。
だけど、子どもが生まれて、絶対的に必要な存在ができたことや、彼のような学生たちに支えられて、ここまでこれたんだなとつくづく思う。
支えているようで、支えられているな。
と、こうして時々やってくるご褒美のような連絡に、いつもいつも思う。
本当にありがとう。連絡嬉しかった。そして、これからも応援しているね。

*本文章は個人情報などを一部変更してupしています。

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