アルバイト、やってみました
何となく聞いたことはあった「103万/106万/130万/150万円の壁」。
ところで私はまだ学生で、民間企業や国からの奨学金は頂いているものの、親の脛をかじっている状態です。アルバイトといっても、お小遣い稼ぎ程度に、学習塾のチューターをずっと続けてやってきました。
そんな時、知人の税理士の方が「コロナで休業していた飲食店でアルバイトの人を探している」とご紹介を受け、日本懐石のお店で卒業までの期間限定でアルバイトを始めました。
まず驚いたのは、「サービス残業」が当たり前ということでした。
お着物や割烹着に着替える時間はタイムカードを切れず、それを支配人に言えば「時給高いから(許して)」というような回答。そのタイムカードも、15分刻みのシステムで、たとえ10分まで勤務したとしても15分でカードを切ることは許されない。
そして他のパートの方もアルバイトの方も、それを問題として指摘する気はなく、むしろ指摘しようとする人を抑えようとする始末。
次に、この記事の本題である「103万/106万/130万/150万円の壁」。まだ働いてお金を稼ぎたいし、シフトにも入る時間の余裕があるけれど、扶養や社会保障の関係から給与が「103万/106万/130万/150万円」を超えないように勤務を制御する。そしてお店の側もそれを許容し協力する。
この事実を知った時に初めて、第三次産業(サービス業界)の非正規雇用者が置かれている状況を、現実として目の当たりにしました。同時に、こんな状況では、政府がどれだけ「社会全体で最低賃金を上げる!」と取り組もうと言ったとしても、最低賃金以外の制度が邪魔をして、結果的に手取り額は上がらないだろうと考えました。
このままでは日本に住む大多数の人が、貧困に苦しむことになるのではないでしょうか、と不安になります。
実際、最近「お金」を理由に何かを断念したり、諦めたりする人が多いような気がします。あるいは、「お金」を理由に非人道的・非道徳的なことに手を出してしまう人、そういったニュースを多く耳にするような気がします。
結局のところ、政府の中にいる人や、政府を支える立場にある人は、最低賃金だけではどうにもならない「現実」を目にしておらず、報告書を読んだり聞いたりするだけであるのではないでしょうか。
だからこそ、現実とのギャップは埋まらず、政治への期待感は全体として薄まっていく傾向にあるのかもしれません。