「小説 名娼明月」 第30話:悪僕要助

 「今朝より、どうやら仔細ありげな和女(そなた)の物案じ、気がかりでならねば、包まず聞かしてたまわらぬか?」
 
 との優しい母の言葉に、お秋はいままで母に打明けずにいたことが、何か大罪でも犯したように心苦しく思われ、これがために母の心を悩ませしことを深く謝したあとで、思い切って己(おのれ)の決心のほどを打明けた。
 母はもとより驚かぬわけにはゆかなかった。

 「とはいえ、主人も戦死したる今日、自分ら母娘が、いつまでこうしていても、しようがない。見れば娘の決心も随分固い様子。かつ娘の云うことには道理もある。さればとて、過ぎし旅の災難のことを思えば、娘一人を旅に出したくはない。その上に、自分が以前紀州雑賀にありし頃、激しき眼病に罹(か)かり、すでに盲目にならんとしたとき、九州日向は生目(いくめ)八幡様へ祈願を罩(こ)めて本復したことがある。それ以来、いつかは願解きの参詣をしようと思い暮らして、とうとう参詣もしなかった。今度こそ好(よ)い機会である。
 自分も行こう! 自分も行こう!
 そうして可愛い娘を金吾と添わせてやりたい!
 そうである、是非に金吾を捜しあてよう!」

 と決心して娘に明かせば、お秋はいっそう驚いた。母は自分の決心を聞いて、さぞ嘆くであろう、落胆するであろうと予期していただけ、驚きも大きかった。それと同時に、多年の胸の凝結(むすぼれ)が解けたように嬉しかった。
 
 「年老いたる母上を、苦悩多き旅に伴わんこと、心苦しき次第ではあれど、母上一人を残して旅立たんことも本意ない。幸い母上は筑紫行きのことに気も進んでおらるると見ゆ。さらば、一日も早く出立つべし!」

 と覚悟を極めて、お秋はその準備にかかった。心易い近傍の百姓へ、田畑の手入れから家屋敷の世話一切を頼んで、すべての容易は出来た。天正四年の九月中旬、落葉の音雨と繁くして、空を渡る雁の声侘(わ)びしき時、阿津満とお秋は、尠(すく)なからぬ金と着替えの着物とを両掛(りょうがけ)に納めて、和平次という下僕に担わせ、筑紫を志し、永年住み馴れ備中西河内の家を、残り惜しげに、振返り振返り出て行った。またいずれの時わが家に帰ることができるだろうかと思えば、屋根の端が見える限り、家の前の榎(えのき)の梢が見える限り、阿津満母娘は見返りがちの足も進まず、トボトボと歩いて行った。
 行く秋の空は拭うばかり澄み渡って、葉を振い落した路辺(みちべ)の痩せ木が、阿津満母娘を送り、また迎えた。
 金吾を思う心は母娘の胸に燃えてはおれど、何といっても馴れぬ旅である。昨日は六里、今日は五里と、捗(はかど)らぬ足をもどかしがりつつ行く程に、十二日を経て、安芸国(あきのくに)玖波(くば)の駅(しゅく)まで来た。ここは佐西郡の南にあって、田舎ではあれど、宮島へ渡るのに近いから、旅人の集まる者が多い。母娘は、道のついでに宮島に息災を祈ろうと思って、この駅(しゅく)に泊まることとなり、ある旅籠(はたごや)へ入った。
 母娘は、旅の疲れと慎みとのために、どこの宿に泊まっても、滅多と出歩いたことはなかったが、下僕の和平次は、旅籠へ着くとすぐに飛出して、物珍しき土地を見物するのが常であった。今日もまだ早いからとて、駅(しゅく)の隅々から宮島へ向いた海岸辺りまで見歩いて、黄昏るる道を一人帰っていると、

 「そこに行くのは和平次ではないか!」

 と後の方から声掛けた者がある。こんな遠い旅で自分を知っている者のあろうはずはない。人違いであろうと、和平次は見向きもせずに行こうとすると、またも、

 「オイ! 和平次!」

 と一段声高く呼ぶ。
 どうやら聞き覚えのある声だと、和平次が振返ってみれば、意外にも、要助である。かつて夜中の小松山でお秋に不義を挑みしその時の下僕、要助である。 

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