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「小説 名娼明月」 第15話:仇討の首途(かどで)

 阿津満は金吾の寝室(ねま)に通り、金吾が病を押して起き上がらんとするを無理に留めて枕辺に坐り、金吾が無念そうに語る一昨夜来の一伍一什(いちぶしじゅう)を聞いて、懇(ねんご)ろに金吾を慰め、夫一秋の残書(のこしがき)を渡した。金吾は寝ながら押しいただいて封を切れば、

 「吾れ今鈴木孫市氏に伴われて大阪石山に向かう。死を期して出でたからには再会も覚束なかろう。さすれば、伏岡窪屋両家において男たらんものは、和君(おんみ)ただ一人である。死せし左右衛門殿及び吾に代わりて両家の万事よろしく頼む。別けて、娘お秋との婚儀の一件は、忌明くを俟(ま)って直ぐに行ってもらいたい」

 と走り書きに書いてある。
 金吾は寝ながら目を閉(つぶ)って考えた。
 舅(しゅうと)一秋殿の残書(のこしがき)に反(そむ)くことは、さらさらなけれど、目差す監物の生首を見るまでは安閑として無事を楽しみたくはない。すでに監物の行先も肥前の龍造寺隆信と極(きま)っている。忌明(きあけ)の翌日出発して、かの地へ向かい、本望を遂げて帰りし上にて祝言するも遅くはないと心に定めて、阿津満に決心のほどを語り、

 「どうぞこれのみはお聞き入れくだされ」

 と、折入っての願いに、阿津満も留むることもできず、やがて自宅に帰ったが、娘のお秋の顔を見れば、かわいそうでたまらぬ。金吾旅立ちのことを聞いたら、さぞ娘が落胆することであろう。
 いっそうのこと、いましばらく隠しておこうかとも思ったが、それも辛い。その世思い切って、それとなくほのめかせば、お秋は早くも、それと悟って、かえって嬉しい顔を母に見せた。是非金吾をして本望を遂げさせたい祈っていたからである。
 金吾は寝床にあって病を養いながら三郎を待ったけれど、五日経っても十日経っても帰って来ぬ。また音信もない。あのとき渡し置きたる旅金も尽きたであろうに、どこにどうしているのであろうか。万一監物の返討(かえりうち)に逢うようなことはあるまいかと案じ暮らすうちに、その年も暮れた。
 明ければ天正元年である。正月七日は金吾が待ちかねし五十日忌明けの日である。いよいよ三郎が帰らずとすれば、独りで発とう。と出発の準備を整えて十日までまったけれども帰って来ぬ。
 もはや是非もない。出立をいよいよ明日と定めて窪屋家へ通知をすれば、阿津満とお秋は飛ぶようにやってきた。母娘に気掛りなのは金吾の帰りの日である。何はおいてもまずお帰りの日はと、尋ねる母娘の心を金吾も察して、

 「敵(かたき)監物が龍造寺隆信のところに、ほどよく仕えておれば、三月(みつき)で足りる。仕えておらぬとしても半ヶ年が間には必ず本望を遂げて帰りましょうほどに、女ばかりのお心細く思しめすも道理(ことわり)なれど、半年の月日の立つくらい造作なし。出立の準備も残らず整いたれば、惜しき一夜を語り明かしましょう」

 と、下僕や下婢に命じて酒肴を運ばせ、さて下僕らにも当分の暇を遣わすからとて、いっしょに呼び上げて盃を取らせ、主従一室に集まって十時過ぎまで行く末のことなど語り交わした。
 阿津満は、明日の旅に差し支えてはならぬと、強いて金語を臥(ね)させた後、自分ら母娘も一室に入って寝に就いたが、さすがに弱き女心のさまざまに思い乱れて一睡もしなかった。
 別けてお秋は、立派に本望を遂げてくだされと、勇ましき夫の旅立ちを喜ぶものの、ただ何とはなしに涙が罩(こ)み上げて枕を伝った。
 明くれば出立の日である。空は一面に曇って、いっそう送る人送らるる人の心を曇らせた。
 金吾の扮装(いでたち)は黒羽二重五紋(くろばぶたえいつつもん)の着物に紺緞子(こんどんす)の野袴、左巻の旅包を斜(はす)に背負い、父に譲られし二尺五寸の銘刀は、永正祐貞(えいしょうすけさだ)が鍛えし物。
 勇ましく扮装(いでたち)たる金吾の姿が二丁ほど路の角にて振り返り、軽く会釈したのが名残で姿は消えた。門辺に送り出でし阿津満とお秋の頬を伝うて涙が流れた。
 ちょっと書き漏らしたが、若徒三郎、監物を討ち逃せし夜、旅籠屋(はたごや)に泊まったが、もう主人に合わす面目がない。他日充分のお詫びをしようとて、故郷の讃岐へ帰った。
 

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