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「小説 名娼明月」 第11話:怪しの人影

 才之進から突っ込まれて、監物は隠すことができなかった。すなわち、昨夜のことの顛末を詳しく語り聞かせて、人違いをした訳を話し、もし自分が下手人であるということが、もう判りでもしたのかと才之進に聞いてみれば、いまだそうではないらしい。しかし、乱世とはいえ、自分が怨みから人二人を殺したからには大罪人である。
 ことに気掛りなのは途(みち)に落とせし財布である。遅かれ早かれ、あの財布は人が拾わずにはおくまい。拾えば必ず「あのこと」の証拠となって、自分が当の下手人と判ってしまう。判れば金吾から親の敵(かたき)と付け睨(ねら)われるにきまっている。こうなれば、もう逐電のほかに途(みち)はないと、ここに監物は一刻も早く踪跡(そうせき)を晦(くら)まそうと決意した。
 逐電するとすれば九州が遠くてよい。九州は大友か龍造寺か…
 そうだ、龍造寺の許(もと)に身を寄せるがよかろうと、いよいよ落ち行く先を、肥前龍造寺と定め、今よりすぐに仕度に取掛かり、鶏鳴の時を期して忍び出ようと、監物主従が密談しているところに、そっと縁先に忍び寄った人影がある。金吾の若徒、三郎である。
 この夜、金吾は、父左右衛門の遺骸(なきがら)を滞りなく菩提寺に葬ったが、無念は前夜来胸に燃えて、しばらくも熄(や)まぬ。躯を八つ裂きにしても足らぬ矢倉監物め、どうしているかと、三郎に命じて監物の宅を窺(うかが)わせた。
 三郎は忠義の一徹から、霜凍る夜も厭わず、裏道伝いに監物の屋敷に忍び込み、奥庭に入り込んでみたが、家内(うち)はしんとして声だにもない。はては、事露見とみて逃げたのかと、いささか元気が抜けて、今と思わるる縁先の雨戸に寄り添うてみれば、中より微かな密談の声が漏れてくる。確かに監物主従である!
 胸の衝動を鎮めて耳を澄ませば、夜の明けぬうちに肥前を指して落ち延びようとのこと。こは一大事と三郎は宙に飛んで帰り、主人金吾にありのままを報告に及べば、待ちかねいたる伏岡金吾、

 「すでに丑満時なれば、一刻の猶予はならじ!」

 と、腰の物取るより早く飛び出した。三郎も遅れじと金吾に嗣いて飛んで行った。
 かくとも知らぬ監物は、下僕らに暇遣わし、旅立ちの用意も落ちなく整えた。
 別れの惜しまるるは、家来才之進との間である。よし今でこそ主従の間柄であれ、才之進とは東西も知らぬ幼児より同じ乳房に縋(すが)って大きくなった乳兄弟である。

 「もしおまえが、これから上方の方へ仕えを需(もと)めてみて都合が悪いとならば、肥前へ自分を尋ねてこい」

 と涙のうちに離杯を酌み交わし、互いに武運の長久を祈りながら、

 「さらば!」

 とて起ち上がれば、さらに別れの惜しまるるのである。
 このとき、けたましく時を告ぐる鶏の声に監物はびっくりし、

 「それでは、ずいぶん達者で!」

 と思い切って外に出づれば、暗い空には星影が僅かばかり瞬いている。
 矢のように飛んで来し金吾と三郎、いまだ逃げてはいまいと、門外に構え、腕を擦って、門内を垣の隙より窺(うかが)えば、どうやら人が出て来る気配。踊る胸を抑えて暁闇に見透かせば、朧(おぼろ)ながら人影が現れて来た。
 まさしく監物に相違ない!
 
 「不倶戴天(ふぐたいてん)の親の仇(あだ)、今が最後ぞ! 観念しろ!」

 と一刀引き抜いで此方(こなた)に待つとも知らず、門の扉押し開いて一足踏み出すところを、真っ二つになれとばかり斬りつくれば、一溜りもなく「あっ!」と叫んで、その場に倒れた。
 

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