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大河ドラマ「いだてん」が大好きな20歳がオリンピックについて思うこと。

「オリンピック」という言葉がこれほどまでに禍々しいトーンを持つようになってしまったのはいつからだっただろう。オリンピックの話題から顔を背ける癖がついてしまったのはいつからだっただろう。少なくとも、いだてんが放送された2019年には全く違った。

いだてんは最高だ。Amazon Primeでの評価があまり高くないことに腹が立って長文のレビューを書いてしまうくらい、私はいだてんが好きだ。

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ところで、私はスポーツがあまり好きではない。運動神経が子供の頃から恐ろしく悪いのもあり、観戦にも特に興味がない。箱根駅伝は一年中楽しみにしているが、それは新年であること、そして「たすきをつなぐ」というイベント性が高いからだ。

なので私は昔からオリンピックをあまり観てこなかった。2000年に私が生まれた2週間後にシドニーで開催され、それ以来4回開催されてきたが、どれも私の記憶には残ってはいない。

いだてんという作品は、確かにオリンピックの物語だ。1912年に日本人で初めてオリンピックに参加したマラソンランナー金栗四三と、1964年東京オリンピック招致の大功労者である田畑政次の2人の物語を、「東京オリンピック噺」と称して落語家の今亭志ん生が語る。だがオリンピックをただのスポーツ大会としては決して描かなかった。語ろうと思えば一晩中語ってしまうのでここでは割愛するが、いだてんは、オリンピックという軸を通して描く、近代日本が歩んできた、本当に血のにじむような足跡の物語だ。

ここまで心を動かされた物語は少ない。私はこの大河ドラマを19歳の時に観られたこと、そして観た上で東京オリンピックを経験できることにこの上ない幸せを感じた。

いだてん最終回から1年半たった今、世界は大きく変わってしまった。私はこの1年間、ただただ「東京オリンピックは呪われているのだ」と感じ、絶望した。オリンピックがキャンセルされたことは長い歴史の中で3回しかないなか、1回が東京であり、今回のような延期は史上初。

いだてんを観ていない私だったら、そこまで今回のことが気にならなかっただろうと思う。だが、いだてんを観た私は、どれだけの人間が、どれくらい人生をかけて、オリンピックという場に立っているのかを知ってしまった。アスリートにとって、4年間という期間がどれくらい重いかを知った(金栗四三の優勝間違いなしと言われた1916年のオリンピックは第一次世界大戦のために中止になった)。

そして何より、オリンピックが東京で開催されることに、ただワクワクするようになってしまった。

少し話が変わるが、多くの人のように、私は「特別出演」が大好物である。例えば金栗四三を演じた勘九郎が聖火ランナーをするとなったら、それこそ歓喜、号泣してそれを観ただろう。だが昨日そのニュースを聞いた時、私はただ「なんと地獄な展開のことか」と思った。「これを喜べたらどんなによかったか」と心が沈んだ。

それでも。我らが勘九郎が足袋を履き、坊主頭で登場した時、ああ金栗だ、と思った。

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(ほんとに大好きです・・・)

この経験と思いを何かにつなげる器量も気力も今の私にはない。今はただ、せめてこの大会が無事に終わることを願う。

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