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13年前から毎日、私の観音様に般若心経を唱えています。観音様、みんなを守って下さいね

福岡の義母の認知症が始まったのは、もう13年以上前のこと。

義父が亡くなり、義母は福岡の家で独身の義兄とふたりで暮らしていました。

義兄には昔から精神障害があります。
義母と義兄は共依存だと皆が言います。
義母に認知症が始まったので、高齢者施設に入ることになり、義兄はまだ50代だったけれど特別に隣室に入居できることになりました。

福岡の大きな義実家は空き家になり、私は義母から御位牌を託されました。
「まりりんさん、毎日、お経を詠んでね」

13年前くらい。
福岡から東京に御位牌だけを持ってきて、毎日私はお経を唱えることになりました。

夫と一緒に般若心経をCDで毎日練習して、空で言えるようになりました(義母の詠みかたとアクセントが違うのは、CDを真似して覚えたからだわね)

だけど、毎日、お経を詠むときに御位牌だけに手を合わせるのは何だか味気なかった。

福岡の実家の仏壇には阿弥陀如来がいらっしゃる。
義母は嫁いでからずっと阿弥陀さまに話しかけてきたそうなの。

回りに親戚が多く、五島から嫁いできた本家の嫁に風当たりは強かったらしい。
義母は私のことを大事にしてくれたけれど、自分はかなりお姑さんたちに虐められたらしい。

自分がされた嫌な事をまた嫁にする人もいるだろうに、、。
義母は厳しいけれど優しかった。
家事は全て任されたけど、上手でもない料理を三食みんな文句も言わず食べてくれました、、

私はお味噌汁の作り方も知らなかったのです(料理教室にも結婚前に行ったけれど全然覚えられなかった~)

義母に教えてもらった料理は、一年間でノート一冊になりました。今も義母に教えられたメニューを作ると夫は喜びます。

義母は悩みがあると何でも阿弥陀さまに相談していました。
いつも御仏壇の前に座ってぶつぶつお話していた。

「阿弥陀さまの顔はヒデ(私の夫)に似とらんね?」と義母に言われたことがある。
もしかしたら、義母にとっての阿弥陀如来は末の息子だったのかも、、、

長男は不憫で可哀想で甘やかしていたけれど、ほんとに心の支えだったのは次男だったのかも、、とその時ふと思いました。

長男の義兄は、生まれつき身体も弱く精神も不安定なまま、定職に就くこともなく義母にずっと甘えて実家で暮らしてきました(私がお嫁に来て同居している間は離れに住んでくれましたが食事やお風呂や洗濯などは一緒でした)
義兄に精神障害があるとわかったのは30代になって入院することになってからですが、それまで回りの誰も気がつきませんでした。
ただ人の気持ちに気がつかなくて、人が嫌いなだけと、みんなに思われていたみたいです(でも、私は会った時から違和感があり苦手でした、、)

義母は、義姉や夫には大変厳しい方だったけれど、義兄にはものすごく優しかった(義兄に優しかったのは義母だけだからだったかもしれない)

義母と義兄には濃密な関係がある事は、はたからみていてもすぐにわかりました。

夫は「母は兄ちゃんのもの」といつも言っていました。

夫は、もしかしたら小さな頃から兄に遠慮して母親に甘えることが出来なかったのかもしれない。
夫は小さな頃は3歳上の兄にかなり虐められたらしい。
いろんなストレスのはけぐちだったのかもしれない。

兄より強くなりたいと思いながらきっと夫は成長したんだろう。
同居中、夫と義兄が口をきくことは、ほとんどなかった。

高校生のとき、下級生の夫に何となく心惹かれた。強がっているのに、ちょっぴり淋しそうな目に私は弱い、、


話がそれましたが、13年くらい前に義母は阿弥陀さまと義兄と一緒に高齢者施設に入居し、福岡の実家は空き家になりました。

東京で毎日般若心経を唱えることになった私は、夫に「私もお母さんみたいに好きな仏さまが欲しいな」と言い、「阿弥陀さまは福岡にあるけん、観音様にせんね。観音様なら阿弥陀如来の横に置けるけん。」と夫は答え、それからふたりで観音様探しが始まりました。

休みのたびにふたりで銀座や浅草に、観音様を探しに出かけました。
そして見つけたの。私の観音様↓

私の大事な観音様

毎日この観音様に手を合わせ、お経を唱え始めて13年になります。

6年前には、義母は突然、脳出血で高齢者施設で倒れました。
意思の疎通も出来ないまま、胃瘻をした状態で寝たきりで、今も入院しています(夫は2ヶ月に一度は福岡にお見舞いに通ってます)

義母が6年前に倒れてから、福岡の空き家の仏壇を東京に運んできました。

義父が大切にしていた仏壇を夫は受け継ぎたかったみたいです。
義母の大事な阿弥陀如来も一緒に。

そしてようやく私の観音様は阿弥陀如来さまの隣に↓

仏壇の中の阿弥陀如来と観音様

狭い東京の我が家は、一部屋がもう大きな仏壇でいっぱいいっぱい。

だけど、娘たちも独立して夫婦ふたり暮らしなので狭くても何とかなりますね。。

御仏壇が我が家にきたすぐ後、その年の人間ドックで婦人科検診を受けていないことを何故か急に思い出し、初めて新宿区の検診を受けました。

結果は初期の子宮癌。

身体は何の不調も感じてなかったのです。虫の知らせでしょうか。

検診に行ってなければ抗癌剤を使うようなステージになっていたことは間違いありません。

きっと義母の阿弥陀如来が守ってくれたんだわね。そうとしか思えない。


私の代わりにヒデをお願いねと、あなたは身体をちゃんと治しなさいと、義母が阿弥陀如来さまを通して病気を教えてくれたのかもしれない。

福岡の義兄は、義母が倒れてから、やはり急激に体調を崩して、今は義母と同じ病院に入院している。
共依存て、そういうことになるのね。

義母や義兄のことは何から何まで福岡の義姉がしてくれていて感謝でいっぱいです。義姉のおかげで、私は東京でのほほんと暮らしていられます。

義母が倒れて、福岡の仏壇が六年前に我が家に来てからすぐに私の癌の手術。
癌の手術の直前に、突然二番目の孫のマナちゃんが亡くなりました。

仏壇の中にはマナちゃんの写真。

毎日、お経を詠むときに義母やマナちゃんに話しかけている。

一歳七ヶ月で突然亡くなったマナ

我が家にきた御仏壇。

娘たちは嫁いでしまったから、夫や私がいなくなったらどうなるのかしら?

先のことを考えても仕方ないわね。

阿弥陀如来さま、観音様、
みんなを守ってくださいね。

私は毎日、般若心経を唱えています。

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