引っ越しの日

11月初旬の連休、ついに両親の引っ越しをすることになった。

8月、9月に一度ずつ、10月に二回親の家に戻り、連休前日に休暇を取って、戻った。

昨年から取り組んできた片付けだが、終わることはなかった。書類や布類が積まれた山はかなり残った。
それでも、和室2つ分の服、布、寝具、本を箱詰めすると、さすがに布類が多すぎたことに、母は気づいてくれた。

業者さんの来る前夜は、4時まで寝られなかった。物が多すぎて、段ボールを置く場所は6畳ぶんくらいしか確保できない。そこに、あらゆる箱を詰むだけでなく、夜は父がリビングに布団を敷くので、その動線を確保しなければならない。

引越当日は、朝から動線確保が必要だった。飛び回るように物置や外に物品を運び出した。壁にかかっているドライフラワー、兄が中学校で作ってきた花台、庭の除草剤や上木鉢と一緒に、ポリ袋に包まれた真っ白なヒツジのぬいぐるみがいた。「なぜ、君は、ここにいるのだい?」と聞いてみる。「んー、わかんない、たぶん、わすれられちゃった。」
まあ、そうだろうね。

「あら。それ、どこにあったの?探してたのよ」と母は言う。「友の会」のヒツジだそうで、平和なお顔である。

ともあれ、業者さんは、早くやってきた。申し訳ないけれど、それはちょっと困るんです、と一旦戻ってもらう。我々に、早目に始める余裕はない。
それでも嫌な顔ひとつせず、手際よく積み出しをしてくれた。北国の11月は寒かったけど、真冬とは違う。始まれば、我々は、ほぼ手出しできることはない。

また片付けに帰ってくること、家電も家具もほとんど古くて、運ぶ価値がなかったことから、中途半端な引っ越しだったが、そのために忘れ物が多かったが、気づいたのは後からである。余った箱を置いていってくれと頼んだら、それは聞いてくれたが、なぜかガムテープは持っていってしまった。これも、後から気づいたが、持ってきてもらう元気もなかった。

荷物の積み出しをしたら、母は疲れはてて、ストーブの前に転がって、寝てしまった。
その間に、片付けや、翌日の出発のための動線確保、スーツケースに入れる荷物の準備はある程度したが、翌日飛行機に乗るまでに、食卓回りなどの日用品をスーツケースに詰める作業が、できなかった。
翌日は、飛行機に乗れたのが奇跡なくらい、朝から飛び回って荷造りをしても、忘れ物だらけだった。
最後にタクシーの迎えが来たとき、まだ身の回り品や引越業者に預け忘れた段ボール2つを閉めたところだった。空港に持っていく途中で宅急便にしようと思っていたが、空港の預け荷物にしなければならないほど、時間がなかった。
父は、なぜか、普段着のままだった。急いで着替えさせた。
遅れて、空港に着くのがギリギリになるほどの時間にようやく出発できた。

痛恨のミスは、母の常備薬と保険証の両方を忘れてきたこと。引越の一週間後、私はこれ以上仕事に穴をあけられないので、母はまた飛行機にのって往復することになり、ついでといって炊飯器まで担いで来た。家電を買ったり、最低限の荷ほどきをして、落ち着くまで3週間私の家で逗留していたが、その間も疲れが取れたようではなかった。
よく考えたら、炊飯器はこちらで買えばよかった。

親の呼び寄せは、極力やらない方がいいとは、よく言われる。それは知った上で、色々考えて出した結論ではある。これで寿命が縮まっても、文句は言わない、とまで合意して、決行した。
それでも、日々、薄氷を踏む思いである。まだ、環境整備は続いているからだ。

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