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どう東京生活は?楽しい?て聞かれて気づいたこと


東京に来て、7か月半。

友だちに「どう東京生活は?楽しい?」って聞かれる。


楽しいといえば、楽しいけど、ただ、私が東京に来て、3か月くらいして、なんとなく慣れてきた?そんな・・・
場所とか、いろんなことが少しずつわかってきたころ、コロナ感染が増え始めた。
それでも、仕事等で決められた場所に行ったりはしてたけど、余裕ありありでというよりは、行かなければいけないからそこに行く。
みたいな感じで、動いてた時期。

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◆「家の中」がすべてになって

そして、気が付けば、コロナって危険じゃない?
あまり出歩かない方がいいんじゃない?
人と会わない方がいいんじゃない?
な、感じになってきて、あれよあれよと、気が付けば、非常事態宣言発令。

相方もテレワークとなり、私の世界は、東京という場所に関係なく、
「家の中」になった。

もちろん、買い物と散歩には出かけるけど・・・

最初は、それでもそんな生活が新鮮な感じもしてた。

◆人は知らず知らずのうちに目的をもって生きてる

人って何か目的がない生き方をすると、だんだん気持ちが滅入ってくるってことを実感。

目的?なんてすごいことではなく、
例えば、

今週はずっと家だけど来週の月曜日にはあの人と合う約束がある
とか、
何日には美容院予約している。
とか、
月に2回くらいは外食をしようか・・・
とか、
毎月この日定例ミーティングでここに集合
とか、
今度あのお店に行ってみよう!などなど

そういうことがある意味刺激になってたんだなあと。

そして、そのために何を準備しなければいけない
とか、
どんな服を着ていこうか
とか、
予算はどのくらい?
とか、

いろんなことを考えていたんだなあと、そんなことに気づく。

◆stayhomeになってわかること

一旦そういうことが全部なくなり、
部屋の掃除・洗濯・食事の用意・・・
という生活していくための最低限必要なことが毎日の繰り返しになった。

ならばstayhomeでもできることを考えよう!とポジティブに取り組んでみて、
お菓子を作ってみたり、
模様替えをしてみたり、
オンライン飲み会をしてみたり、
オンラインキャリア相談会をしてみたり、

けど、何か違う。何か物足りない。

ここからどう発展させていくのか・・・発展させなければ・・・なんて考え始める。

そうすると、今度は自分自身の焦りが出てくる。

私は何もできてないのではないか?
何かしようとしているのか?
周りの人は頑張っているではないか!

そんな風に思うこともしばしば。

◆コロナ前の毎日の生活はとても刺激的だったんだ

話は長くなったけど、昨日2か月ぶりに電車に乗った。
はじめていく駅で降りて、はじめての道を歩いて、
ただただ、そこに建っている建物を眺めてみる。

でもね、それがすごい刺激なんです。

家の中にずっといること。
同じスーパーに買い物に行くこと。
散歩する場所も毎回同じ見慣れた場所。

それはそれで平和でいい。

けど、

新しいものを知ること。
未知の時間、未知の世界に入っていくこと。
誰かと会って、どんな化学反応が起こるんだろうとドキドキすること。

それを普通に毎日やっていたけどそれはすべて必要なことなんだと。

◆ちゃんと、楽しみ自分の人生を面白がるための助走期間


まだまだこのコロナがいつ収束するかはわからない。
けど、友達に聞かれた「東京生活は楽しい?」
て、聞かれてはじめて

私の東京生活は始まってるんだ。

このコロナでstayhomeというどこにもいけてない状態だけど、
たぶん、東京に出てきたばかりの時よりも、
もっともっと、いろんなことを見ていきたい
いろんな刺激をもらいたい

そんな好奇心ワクワクな、そんな感情を芽生えた。

東京生活を楽しむというか、

半世紀以上生きてきて、そんなワクワクした自由をどうせならちゃんと楽しむための助走期間をもらったのかなあと。

そんな風に思う。

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