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高尾山ノスタルジア

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東京都南西の端、神奈川県にその境を接し、東京都心の程近くにありながら多くの自然が残されている高尾山。いにしえより人の往来があったことから、様々な資料が残されています。記録に残る古…
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#高尾山薬王院

高尾山ノスタルジア No.21:高尾陣馬山塊

多くの方は「高尾山」と言うとき、それは高尾山口を起点とし、高尾山頂とそれに至る登山道の総…

悠星 Yusei
10日前
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高尾山ノスタルジア No.20:高尾山はどこからきたのか

関東山地は関東平野の西部、群馬埼玉東京神奈川長野山梨1都5県にまたがり、関東地方と中部地…

悠星 Yusei
3週間前
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高尾山ノスタルジア No.19:十三州見晴台

高尾山山頂の大見晴台は、かつて、「十三州見晴台」の呼び名が付けられていました。文字通り山…

悠星 Yusei
1か月前
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高尾山ノスタルジア No.18:奥之院から高尾山山頂へ

御本社の脇を進み、石の階段を上がると小高いところにささやかな平地があり、そこには奥之院な…

悠星 Yusei
1か月前
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高尾山ノスタルジア No.17:高尾山薬王院(2/2)

(前回からの続き) 黒門から道を引き返してお札授与所手前まで戻り、階段をあがって仁王門を…

悠星 Yusei
1か月前
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高尾山ノスタルジア No.16:高尾山薬王院(1/2)

一礼し、四天王門をくぐるといよいよ薬王院の境内へと足を踏み入れます。 安政2年(1855)の…

悠星 Yusei
2か月前
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高尾山ノスタルジア No.15:浄心門から薬王院へ

日本の町の成り立ちには城下町や宿場町などいくつかのパターンがありますが、そのうちのひとつに、門前町があります。門前町は、伽藍の門前につながる表参道沿いに参拝者を迎えもてなす宿場や商業地が発達することで形成されます。お伊勢さんや金毘羅さんがそうですね。薬王院有喜寺においては、表参道(1号路)の起点である清滝周辺にまず門前町が形成されましたが、近代、高尾山ケーブルカーの開業に伴い霞台も商業開発されます。そしてその先浄心門までは高尾山サル園などの施設が続き、世俗的な雰囲気です。

高尾山ノスタルジア No.14:たこスギ

霞台から山頂方面に1号路を進み、サル園をちょっと過ぎたところ、左手に存在感抜群の杉の巨木…

悠星 Yusei
2か月前
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高尾山ノスタルジア No.13:表参道登山口から霞台へ(2/2)

「八王子名勝志」にある「七曲」の説明を読むと、おもしろいことが書いてあります(資料①)。…

悠星 Yusei
2か月前
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高尾山ノスタルジア No.12:表参道登山口から霞台へ(1/2)

昭和2年(1927)の高尾山ケーブルカー開業からまもない頃と推定される絵葉書に、ケーブルカー…

悠星 Yusei
2か月前
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高尾山ノスタルジア No.11:蛇滝(2/2)

明治維新に伴い小仏関が廃止され、周辺の通行に制限がなくなったことで旧甲州街道の人の往来が…

悠星 Yusei
3か月前
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高尾山ノスタルジア No.10:蛇滝(1/2)

高尾山の行場としては琵琶滝がよく知られていますが、もう一つ、裏高尾にあるのが蛇滝です。 …

悠星 Yusei
3か月前
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高尾山ノスタルジア No.8:幻の琵琶滝駅

資料①は、帝国陸軍陸地測量部(戦後は国土地理院に改組)が昭和7年(1932)1月30日に発行し…

悠星 Yusei
3か月前
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高尾山ノスタルジア No.6:高尾山ケーブルカー開業

高尾山ケーブルカーが開業したのは、昭和2年(1927)。大変興味深いのが、ケーブルカー敷設を推進した中心人物が、当時薬王院有喜寺山主であった27世武藤範秀貫主とされていることです。 高尾山ケーブルカーを運営する高尾登山電鉄株式会社が編集し昭和54年(1979)に発行した社史、「高尾登山電鉄復活30年史」に、以下の記述があります(*1)。 「武藤貫主は大変開明的で新進の気性に富んだ方であったと伝えられている。当時薬王院の信徒は30万人と称せられ、関東各地に散在していた。信徒