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保険会社は「痛い」を気持ちと考える?気持ちで終わらせないようにするには?

先月勉強会に関する動画を、元損保職員さんと撮影していました。

この動画に関しては、近々に募集が始まる新しい会員制の「ACEシステム」を紹介するステップメールでも見ることができると思います。

ただ編集をしていてその中にあった、(一部ネタバレになりますけれども)その職員さんの言葉の表現が、少し印象的だったのでそこから題材を展開して記事にしたいと思います。

まず交通事故でも交通事故以外でも、受傷をした患者さんは大概が多かれ少なかれ「痛み」というものを訴えてくるはずなのです。

この「痛み」・・・患者さんは「痛いです」という風な表現されると思いますが、患者さんの訴えに対して深掘りをしたことがありますか?

まず、そもそもなんですけれども、医科なり接骨院なり・・・まずは症状を確認しますよね?
ただその時に最初に
「今日はどこが痛いですか?」
「今日はどうなさいましたか?」

どう聞くかでまったくもって、目的と結果が変わってくるわけです。これはお分かりですよね?

質問範囲を変えてしまうことでもって、本来あるべき意図とまったく変わってしまうわけです。
当然ながら前者の質問は、医療従事者が患者さんに聞く最初の質問としては落第なわけです。

痛いという決めつけを行ってしまっているから。

ただ最初の問診等で、後者のような質問が展開され、症状の一つとして「痛み」があることが確認できたとしても、その後のカルテや提出書類等における残し方でもって、取り扱いが全く変わってしまうという例があります。

それが動画の中で元損保職員さんがおっしゃっていたこと。

「痛いとか違和感とか・・・そういったお気持ちの問題で、支払いに繋げるわけにはいかないですからね」



「お気持ち」・・・ですか・・・

正直、この表現に対してそこまで深掘りをこれまでしてなかったんですけれども、これは医療従事者が、地方や保険会社に対して症状を告げる時に、ちょっと考えるポイントなのかなと思いましたので今回の題材になるわけです。



①患者さんの「痛い」をどのように捉えるか?

②最悪な表現である「違和感」を抵抗なく表現してしまう施術証明書の怖さ

③「お気持ち」という解釈で終わらせないようにするために


の3点で展開していきます。

①患者さんの「痛い」をどのように捉えるか?


医療従事者は、とかく交通事故において自己解釈が強すぎて「自分の提出書類でもって払われて当然」というスタンスが強すぎる印象です。


しかし、勉強会の中でも申し上げていますが、交通事故は通常の健康保険の取り扱いになる受傷とは違って、損害賠償というテーブルの上に乗っかっています。

これがある限り、必ず制度と法律がしつこくつきまといます。

つまりこれらの解釈の上で「支払いとして適切である」という判断がされない限りは、出すこともできないし出さなくても良いと、裁判所ですら言ってきます。

極端な話、誰が支払いを決めるのか?療養費と違って保険者ではありません。
最終的なのは司法判断です。

保険会社が強気なのは、最終的にこれが司法判断に委ねられたとしても、同様の回答が来る、もしくは折衝になったとしても自分のところの主張が概ね通るのが分かっているから。

これは保険会社の特権ではなく、日本の制度としてなっているから。
逆に言うと保険会社も、損害賠償上のルールで払うべき事が証明されて司法判断で「払え」となったら払わざるをえません。

なので「痛み」ということに対しては・・・


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