見出し画像

問診で言うべき事を言わなかった⁉︎鑑別・評価がおかしくなる?悪いのは患者?から考える

SNSを拝見していて、ドクターの方のちょっと気になる投稿を拝見しました。

『わざわざ問診とってから、診察しているのに問診の際に言わなかった、記載しなかったことを、「実は…」と診察時に言うのをやめてほしい。
こちらの鑑別に影響をきたす。もちろん言いにくいこともあるが、内容的に問題のない、普通に問診で言えることを隠されることがあるのが困る』

免許証の責任があるが、故に、しっかりと鑑別しなくてはいけない・・・非常にその通りだと思います。

ただ、交通事故医療コーディネーターと言う活動を行っていた立場からすると、医療従事者側も、患者側の立場も両方の言い分と言うものを聞いてきたので、双方に対して
「そうなんだよねぇ。でもそういうことってあるんだよなぁ。」
と考えてしまうので、今回はそのことについて少し解説をさせていただきたいと思います。

①言い出し切れなかったことに対して考えてみる

②それらが、特に交通事故損害賠償の場合だったらどのような悪影響が出るか考えてみる

③悪い結果を回避するために、医療従事者側が対策できることを考えてみる。

この3本で展開したいと思います。

①言い出し切れなかったことに対して考えてみる


こと、ドクターに置かれては、3大診察の視診・触診・問診のうち、医学的な分野だけのデータだけでは判断できないことや生活においての、病状を把握するヒントが隠されている。日常生活の特徴を得るために、患者からの申告と言うのは非常に大事なわけです。

多角的に測定できる分野以外の、いわゆる生の情報が入ってくるわけですので、問診が非常に重要なのは、私の立場でもわかります。

ただ、このような内容を見ていると「先生おっしゃりたい事はわかりますけれども・・・」と言うところがあるのが正直なところです。

なんせ相手は機械ではなくて、人なもんですから・・・

交通事故の事案においては、医師に対してのみならず、弁護士や、保険会社・・・果ては裁判官にまで、まともに情報を提供しない人はいます。

珍しいことでも何でもなく、事故被害者はきちんと情報を提供しないと、ある意味、最悪説でもって私は仕事をしているというのが実際です。

そう
「事故被害者は自分にとって都合の悪いことは絶対に言わへん。事故被害者はウソを付くと思え」
これが交通事故を学び始めた頃に教わっていた師匠に、しつこく言われた事でした。
この性悪説の構えは、同時に対策の一歩目となります。


つまり
「どうせ情報を出さない。出さないのであるから、それを前提に構えておく」
言わない前提と思っておけば「本当にこんだけか?」と、出してきた情報だけ鵜呑みにしないで、終わらせなければいい。

・・・と考えればいいんですけれども、実際の患者側はなかなか気持ちを許してくれません。

交通事故の医療コーディネーターとして、情報を本人から整理していた時に、ドクターに対して大事なことを申告していなかった事故被害者がいました。

その時に「なぜ診察の時にそんな大事なこと言わなかったんですか?」と質問した私に帰ってきた言葉は・・・

「いや~・・・痛いというかつらいというか・・・・・・そういうことをお医者さんに言っちゃいけないんじゃないかなって・・・なんというかちょっとこっ恥ずかしいところもあったりして・・・」


・・・おいおいおい・・昭和世代よ・・・どうしてもこの時代層においては、なくはない話なんですよね。

今より気温が多少は低かったとしても、夏場の運動でも水を飲むなと言われていて、耐え忍んで我慢することを美徳としていた時代でもあるわけです。
そういった感覚をお持ちの人は、いとか辛いとか言わないことが正しいと言う刷り込みがあるわけです。

この刷り込みというのは非常に厄介で、今でこそバイアスですとかですかね?

そういった表現で、排除すべきものというような文化が出てきてますけれども・・・そんな考えを持っていたら、Dr.にちゃんと言わないと言う問診時の問題に繋がりかねません。

奥手でうまく伝えることができないというような方も、少しこの分野に入るのかもしれません。

他にも大事なことがあって・・・私はこっちの方が深刻だと思っているんですけれども・・・


ここから先は

3,056字

FBページから始まった「半ばブラックボックス化された交通事故対応方法」の医療従事者向け勉強会。 ・勉強会に足を運ぶことが、なかなか叶わない…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?