見出し画像

実家が空き家になってからの3年間   ~1年目~

 この3年間、電車とバスを乗り継いで往復3時間かけて、空き家になった実家に通っています。東京都町田市、小田急線の鶴川駅からバスで10分と駅からは遠い、広めの庭付き、築36年の5LDKK+Sの二世帯住宅。空気を入れ替えようとに雨戸を開けて回るだけでも、結構な時間を要する家です。

 実家は3年前の4月から雨戸が閉めっぱなしです。

 それまでは高齢の父と母が暮らしていました。近くに住む中学生の姪っ子が学校帰りに来て、お勤め帰りの妹も一緒に夕食を頂いてから帰る・・・そのような生活を母から電話で聞かされていました。私は、当時コロナ禍で行動制限があったことを抜きにしても、そもそも母とも妹とも関係が今一つだったこともあり、実家からは8年ほど足が遠のいていました。

 ところが、3年前の2021年4月、父が庭先で転倒して右後頭部を陥没骨折し、脳の損傷によって高次脳機能障害になってしまいました。翌月にはリハビリ専門の病院に転院して、数か月間のリハビリを経て、自宅に戻る予定でした。

 父が緊急入院して10日程経った頃、母から「お父さんが注文していた球根が届いたんだけど、どうしたものか」と電話があり、数日後、私は久し振りに実家に行きました。コロナウィルス感染を警戒して、家には入らずに庭に回り、タマスダレの球根をしこたま、花壇の空いた場所に植えました。
 ふと見ると庭の端に、スコップが沈丁花の根っこを掘り上げた状態で地面に刺さっていました。父はこの沈丁花を植え替えようとしてスコップを刺したところで転倒したと想像出来ました。家の中にいる母に「お父さん、ここで転倒したの?」と尋ねると、母は「知らない」と素っ気ない返事。根っこが出たままの沈丁花は枯れていました。
 母は父のすることに関心が無かったのでしょうか。しかしながら、父の介護は引き受ける心づもりでいたと思います。
「お父さんのリハビリ中に家の中をバリアフリーにしないといけないね。」母とそんな話をして帰りました。

 その母が1週間後、急性心疾患で亡くなりました。
 妹と弟が主体となって父不在で母の葬儀が執り行われました。

 それまで実家と心理的に距離のあった私に出来ることと言えば、父がリハビリを終えるまで、父に代わって庭の手入れをすることしかないと思い、私は実家に通い始めました。妹が、弟と私にも実家の鍵を渡してくれたので、8年振りに実家に足を踏み入れました。

 しばらく見ない間に、家の中は物と収納用品で溢れていて、圧迫感が半端ない状態になっていました。
 庭は、父がまめに手入れをしていたので芝生も花壇も綺麗でしたが、自然は恐ろしく逞しいです。抜けども抜けども雑草はどんどん生えて来るし、木々の枝葉が四方八方に生い茂って剪定が追い付きません。雨の日にも合羽をかぶって鋏でチョキチョキとしていたら、荷物を取りにやって来た妹と姪っ子に笑われました。

 リハビリ専門の病院に転院して3か月後、父を退院させました。
 当初の予定は6か月でしたが、良くなるどころか状態が悪化していたからです。転院当初は介助付きでも自分で歩いてトイレに行き、食事は箸を使って食べて、簡単な会話は可能で表情もありました。しかし3か月後の父は、車椅子に乗せられたまま無表情で尿意も便意も訴えず、食事は手掴みで、意思の疎通が出来ない状態になっていました。医師は「年齢が年齢なので、回復は難しい」と言い、そうであれば続ける意味がありません。
 妹は「借り上げ社宅で父を受け入れる部屋が無い」と言い、弟は「中学受験を控えた子供がいるしマンションも手狭で難しい。施設を探そう」と言いました。うちは主人が快く了解してくれたので、父はうちに来てもらうことになりました。

 私が父の介護を引き受ける代わりに、妹と弟それぞれにお願いしたことがありました。
 妹には、家が実家に近いので実家の断捨離をお願いしました。妹は快諾して「別荘にしようと思うの」と言っていました。
 弟には、父の成年後見人になる手続きをお願いしました。弟も快諾して、さっそく裁判所のサイトから申請書類をダウンロードしたようで、医師の診断書が必要だと用紙を渡されたので、主治医に記入してもらい、弟に託しました。
 しかし、程なく、弟から「成年後見人の申請をしなくても、お父さんは大丈夫だよ」と言われ、結局申請はしていません。おそらく書類の準備が面倒だったのでしょう。決して大丈夫ではないのですが。

 父をうちに受け入れた当初、高次脳機能障害と認知症の対応以外に、既往症の糖尿病のインスリン注射や便秘ケアの浣腸など、介護初心者の私には分からないことが多かったので、ケアマネジャーがアレンジしたのは訪問看護士サービスでした。高次脳機能障害によって、父は右半分の視野を認識出来ず、数の概念が分からず、文字の読み書きが出来ず、鋏や箸などの道具の使い方や手順が分からない状態にありました。また、父はあちこちで放尿し、声を荒らげ、意味不明の行動や徘徊が見られ、対応に苦慮しました。血糖値コントロールも初めてのことでした。看護士さんにはいろいろと教えて頂いて助かりました。
 ただ、父はずっと在宅しているため、私は外出が出来ませんでした。実家に行くのは、休日に主人の車で父も一緒に行く時に限られました。実家の断捨離は妹にお願いしてあったので、私は家の中には関与せず、庭の手入れを続けました。

 こうして1年が過ぎました。

 

 

 

 


 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?