見出し画像

[掌編] 雨の七夕

青ブラ文学部の企画に参加してみました。

七月七日正午、その日が何曜日であっても私は必ず銀座に行く。この日は年に一度の決算報告の日だ。例年のように銀座四丁目の交差点、和光の前で待ち合わせる。この年は雨だった。私は以前この近くのデパートに勤めていた。結婚後、夫が埼玉に家を買ったのをきっかけに川口や浦和の店舗に移ったが今も変わらず同じ店で働いている。

その当時、私は紳士服売場の担当で、客の一人であった彼とごく自然に交際するようになった。そのまま何もなければ結婚していたと思う。しかし彼は同僚の女性とふとした弾みで関係を持ち妊娠させてしまった。責任を取る形で彼はその人と結婚した。その後私は知り合いの紹介で夫と出会い、結婚して子どもを二人授かっている。

「待った?」
チャコールグレイのチェック柄の傘を手にした彼が現れた。銀行に勤めている彼は、いつもそれなりに根の張るスーツを着ている。新品ではないが、毎年違うスーツだ。私たちはいつも通り彼がリサーチした店に向かいそこで昼食を摂る。

食事を取りながら私たちはまず近況を報告しあう。お互いの連合いのこと、子ども達のこと、仕事のこと。ふとした弾みで結婚した割には彼は奥さんのことを愛しているようだ。もともと惹かれ合うものがあったのだろう。結婚後専業主婦になった奥さんが子ども達を小学校から名門校に行かせて立派に育て上げた話を私は知っている。彼のほうも私の家庭のおおまかな歴史を捉えている。

デパート勤務は土日祝日の休みが取り難いぶん、平日の好きな日に休みが取れるのが便利だ。この日が土曜日曜の時は、家族には仕事に行くと言っておけば知られずに済む。しかし彼のほうはどうしていたのだろう。平日は有休を使い、土日はやはり家族に出勤とでも告げていたのだろうか。山形に転勤になっていた時も広島に転勤になっていた時も、彼は七月七日にはここへ来ていた。

昼食を終えると、晴れているなら銀座をぶらぶら歩きながら話すのだが、今日は雨が降っているので、カフェを何軒か梯子した。午後はいつもこの一年に見た映画のこと、読んだ本のこと、流行りのドラマのこと、最近始めた趣味などを話題にする。お互い相手が読んだ本を次の時までに読み、見た映画を翌年までに見る。そして感想をぶつけ合う。

本当は二人の共通の思い出を語り合って懐かしさに浸りたい。でもなぜかそれはいけないことのようになっている。将来の話もできない雰囲気になっている。話題は常に今、直近一年に起こったことだけだ。そんなことを20年、いやかれこれ30年近く続けている。

私はすっかりふとっちょのオバサンになっているし、彼も多少は太った。髪の毛は黒いが染めているのはわかる。二、三年くらい前から彼はソロキャンプに行くようになった。子ども達と過ごす時間も減ったようだ。同時期にうちの夫もソロキャンプに行き出した。流行りなのかもしれない。

五時になると私たちはそれぞれ帰路に着く。
「もう、今年で終わりにしよう」
帰り際に彼がぽつっと告げた。どうして?!私は目で尋ねた。
「癌が発見されたんだ。来年はもう来られないかもしれない」
今は医療も進んでいるから来年も元気でいられるかもしれないじゃない。私は抗議したが彼は自分の考えをかえない。
「私、来年も必ず待ってるから。あなたが来なくても待ってるから」


一年後

私は和光の前で待っていた。今年もまた雨が降っていた。

五時まで待ち続けた。結局彼は来なかった。

私の彦星は永遠に消えてしまった。
そう確信した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?