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[掌編] 白いワンピースの少女

僕はガードレールに座って、いつ果てるとも知れない車の流れをただ眺めていた。このまま飛び出して行けばいつでも死ねる。そうだ、死は案外自分の身近なところに潜んでいる。

明里あかりが死んだ。交通事故だった。自転車に乗ってこの道を走っていた時、左折するトラックに巻き込まれてしまった。トラックのドライバーはすぐに気づいて救急車を呼んでくれたが病院に着いて間もなく息を引き取った。

その後そのドライバーがどうなってしまったのか僕は知らない。もし顔を合わせでもしたら殴るくらいじゃ済まない気がする。あの日以来何をやってもくうを掴んでいるようで、実感がわかない。それでも何かに怒りをぶつけたくて仕方がない。でもぶつける対象が見つからない。

明里は僕にとって初めての彼女だった。僕は中学も高校も共学だったけど、女の子から見て魅力がないのか浮いた話とは無縁だった。でも大学に入って明里が普通に話しかけてくれて、僕のほうも気負わず話せて、自然とつきあうようになった。

気がつけば明里のために僕の生活があるみたいになっていてた。同じ講議を受ける時は当然隣に座る。昼休みに待ち合わせて一緒に学食で過ごす。明里に恥ずかしくないように、いい成績を取る。明里とデートするためにバイトしてお金を貯める。今の僕は、舵取りを失った船みたいにふらふらしている。

「ねえ、そんな所にいつまでもいると干からびちゃうよ」
突然声がして、振り向いた先には同じくらいの年恰好の女の子がいた。
ノースリーブの白いタイトなワンピースを着ている。Vネックでミニ丈、一見テニスウェアのようだが、スカート丈はそこまで短くない。ワンピースから伸びた手足はすらりと長く、こんがり日焼けしている。髪の毛と瞳の色は茶色というかはしばみ色でどことなく日本人離れしている。

「きみ、まさか死ぬつもりじゃないよね」
ことばが出なかった。死ぬつもりではないが、死を比較的身近に感じていたのは確かだった。その子はおいでおいでというジェスチャーをするので、僕はガードレールから降りてその子のいる木陰まで歩いた。
「こんな所で出会ったのも何かの縁だからさ、近くでお茶しない?きみの奢りで」

僕たちは近くのカフェに入り、彼女がアイスティー、僕がアイスコーヒーを頼んだ。
「ごめんね。声をかけた私のほうがご馳走するのが筋なんだけど…お金持ってなくてね」
いいですよ、と僕は首をふった。
近くで差し向いに座ると、その顔をどこかで見たような気がした。
「あの?もしかして女優さんとかモデルさんですか?どこかで見たような気がして」
「ええー?!なんか嬉しい。ただの女子大生だよ」
「へえ、大学どこ?」
富貴フウキ短大」

富貴短大?聞いたことある。誰かがそこに行ったような気がする。中学か高校の同級生だったかな。だがまてよ、短大生ってことは最高でも二十歳、僕よりも年下なんだ。
「へえ、じゃ僕より年下なんだ。僕は大学4年なんだけど、きみは同じか1、2歳上かと思ってた」
「わたしもきみが同い年か年下かと思ってた」
「でもなんで短大?四大じゃなくて?珍しいね」
「そお?親が女だから短大くらいでいいって。それにうち割と貧乏だし、わたしそんなに頭良くないし」
知らないだけで貧困って身近な問題なのかもしれない。そういえば高校の同級生で経済的理由で大学進学を諦めたやつがいたな。

しばらくとりとめもない話が続いた。店の窓に刺す日差しが傾いてきたころ、彼女がぽつんと言った。
「よかった。笑ってくれて」
虚を突かれたように僕は黙り込んだ。
「さっきは本当に死ぬんじゃないかって顔してたから」
心配してくれてたんだな。見ず知らずのこんな僕を。
「いや、死ぬつもりはなかったよ」僕はなんとなく、彼女には個人的なことも話せるような気がした。「彼女が死んだんだ。交通事故だった。この通りの少し先で」

白いワンピースの彼女は、僕の話を聞かなくてもすべて了解しているように頷いた。
「ねえ、天国って信じる?死後の世界とか?」
「わからない」
「人は死ぬと今と別の世界に行って、そこで少し前に死んだ自分の親とか友達とかに会えるんじゃないかと思うじゃない。でも会えないんだよ。会いたいと思う人には会えない。そういう仕組みみたいなの」
「そうなの?」
「わたしもよくわからないけど。何かの本の受け売り」
つまり仮に僕が明里を追って自殺したとしても、あの世では会えないんだと言いたいのかな。だから生きろと。

その女の子とはそのあとも少し話して、ごく自然に店の前で別れた。別れ際に僕にキーホルダーを手渡した。
「これ、お守り。きみを不幸から守ってくれるよ。よく効くんだから」
「えっ、悪いよ」
「いいの。今はきみがこれを必要としてるんだから。必要がなくなったら誰かにあげても捨ててもいいよ」
キーホルダーは銀色の宇宙人がついていた。二つの大きな目は青かった。


家に帰ると母親が僕の顔を見てなんだかほっとしたような表情をした。僕はふと、さっき引っ掛かってたことを思い出した。
「ママ、大学どこだっけ?」
「私?富貴短大よ」
ああ、やっぱりそうか。
「今日、ママの短大の後輩に逆ナンされたよ」
「短大?富貴女子大でしょ?」
「いや、短大っていってたよ。四大入るお金ないとか」
「だって短大はもうずいぶん前に閉校してるのよ。四年制の富貴女子大だけは残ってるけど」

僕は母親に白いワンピースの少女の話をかいつまんで話した。
「あ、そうだ。別れ際にお守りだって言ってこれ渡された」
僕はポケットから例のキーホルダーを出した。それを見るなり母親の顔は凍り付いた。
「これ、私が持っていたの」
母親はキーホルダーを手に取り、穴が開くほどいろんな方角から見入った。
「左手が欠けてる。これ、やっぱり私が持っていたやつだ」
宇宙人の頭は体とほぼ同じ長さ、二頭身だ。その頭に比べてあまりにも華奢な腕のうち、確かに向かって右側の手の先が欠けていた。

母親は納戸の中をごぞごそと探って一冊のアルバムを持ってきた。開かれたページには3人の少女が写っていた。母親の若い頃の写真だろう。
「これ、千草ちぐささん。こっちが玲子れいこさん」
千草さんは知っている。母親の大学時代の親友で家に遊びに来たこともある。問題はもう一人、玲子さんと言われたその少女は・・・紛れもなく今日会ったばかりの、あの白いワンピースの少女だった。母親と千草さんに比べて、その少女は背も高く垢抜けて写っている。

「私達三人、とっても仲良くしていたの。玲子さんは仲間内でも背が高くてきれいでね、スチュワーデス、今で言うキャビンアテンダントを目指していてね、私達彼女ならきっとなれると信じていた。」母親の声からは懐かしさよりも痛ましさを感じた。「でも、やっぱりこんな時期、夏休みの初め頃、亡くなってしまった。交通事故だったの」

「このキーホルダー、あの頃流行っていてね。私が青、千草さんが赤、玲子さんが緑の目の宇宙人だった。お葬式のあと、ご家族が彼女のお気に入りのキーホルダーを棺に入れていたので、千草さんと私も一緒に入れたの。3つの宇宙人が仲良く並んでた」
それじゃあ、そのキーホルダーは本来焼却されてこの世にはないはずだ。でも…

「玲子さん、守ってくれたんだ」
母親は溢れる涙を抑えきれずにいた。あの人は、親友の子どもである僕を助けに来てくれたというのか?
「それ、もともとママのだったんでしょ。ママが持っていたら」
母親はキーホルダーを僕に手渡して言った。
「あなたがもらったんだから、あなたが持っているべきよ。でも、もし気味が悪いんならお寺にでも持って行って供養してもらう?」
いや、別に気味が悪いとは思わない。
「せっかくもらったんだから大事に持っているよ。いつか、これが必要な人が現れたら、その人に渡すよ。あの人がそう言ったんだ」

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