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二十歳の上京物語

ハッシュタグの企画に沿って書いてみる。

もはや東京にいる期間の方が田舎で過ごした時間よりも長くなりそうなタイミングで
忘れかけている気もするがその中でも色濃く残っている思い出を書いてみる。

上京のきっかけ

元々高校を出たら東京で一人暮らしをする!と決めていた。
わたしは電車が1時間に一本も通っていない田舎に住んでいた。

まず田舎の何もない感じが嫌だった。
ピザ屋すらない。駅前にマクドナルドと牛丼屋とコンビニだけだったので、そこは高校生の溜まり場になっていたが、もっと色々なものを食べたいしファッションも流行に乗りたい。
片道約1,000円かけて1時間くらいかけて近くの繁華街にようやく行けたが、そこも物足りない。
女子高生らしく渋谷とかめっちゃ行きまくりたーい!と考えていた。当時、矢沢あいさんのNANAも流行っていて上京したい欲は凄かった。友達も大体が大学進学とともに親元を離れる環境にあったのも大きい。

次に親の元から離れたかった。
仲が悪かったわけではないが、
親元を離れて生活してみたかった。

結局上京後に苦労するのだが、
家事がほんとーーーににできなかった。
今の自分は引くレベル。

料理もめっちゃ塩っ辛い煮物作ったり、焦げたオムライス作ったり、最初はなんだか酷かった。
洗濯も洗剤を入れずに柔軟剤しか使ってなかったことがあった。(知らなすぎる笑)
掃除も本当なんもやってなくて水回りが汚かった。
バイトしてもお金の管理テキトー過ぎて服代に4万とか使った時もあった(酷すぎるw)

今ではそんな経験を積んでみてよかったと思う。

家事は苦手なものと得意なものがわかった。
掃除は勝手がわかってきた。ズボラな性格は変わらないので如何に掃除しやすくするか?と言うことでミニマリストな思考がハマった。
もの減らしたらワンアクションで掃除できるし本当楽になった。

洗濯はなんというか、、全自動にしてしまった。乾燥まで自動化できたし、洗剤の投入も自動なので、楽になったものだ。。

ご飯作りはずっと苦手だった。なぜかわたしが付き合うメンズは料理上手と言うか料理好きが多くコンプレックスだった。
千切り怖くてできなくて「そりゃ千切りじゃなくて百切りだ!」と言われて地味に傷ついた。
だけど子どもが生まれたら生かすために作るから、なんかこれも最近習得できてきた。(千切りは今も苦手w)

少し脱線したが、きっかけは大学進学で、
「東京に憧れて」「親元を離れてみたかった」のが動機だった。

東京に慣れた!と思えた時

最初は大学のキャンパスが神奈川だったので、神奈川県民になった。地元に比べたら栄えている。なんせ5分に一本電車がくる!!

そして、20歳になったタイミングで東京に引っ越した。場所は港区だった。(え?)

私は明大前とか下北沢とかに住みたかったが、
親のゴリ押しで港区になった。
最初は家賃高過ぎて払えなかった。。
(これも私の中では自分でやりたい欲を叶えられない期間、コンプレックスになっていた。社会人になってやっとこさ払えた。)

でも毎週金曜日にクラブで遊ぶのにはうってつけの場所だった(書いていて気持ちと行動に色々と矛盾のある気がするがそっとしておいて欲しいw)

東京に慣れたと思えた時は
地下鉄の路線名で大体どこにいけるかわかるようになったことかな?と思う。
(銀座線、千代田線、日比谷線、半蔵門線、、とか住んでないとわからない。新宿駅も慣れるまではどうやったら出口に出れるのかわからず、ダンジョンだと思っていた。)

あと散歩してて気になった店がテレビに出た時は、なんだか東京の住人なんだなと感じた。
(あ!このハンバーガー屋、こないだ行った!とか。)

海外の友達に東京を案内した時もそう感じた。
(美味しい店とか、当時珍しかったメイド喫茶とか連れて行った)

今後はどうしていこうか?

今は港区ではないが都内に住んでおり、
都会の中にも地域の人たちと仲良くなれる居酒屋などで交流を深めている。
地元に知っている人が多いのは結構心強い。

実は田舎の方がそう言う関係が築きにくかったりする。車社会だし、飲み屋も少ない。

とはいえ自然の多い場所に引っ越すのも良いかなと思う時もある。
ただ便利な環境や美味しい店の多さとの天秤にかけた時に暫くは今のままで行こうかなーと思っている。

#上京のはなし

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