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がんと向き合う 家族がサポートできること

家族が寄り添い、元気になるよう祈ることは、病気の人にとって何よりの励みとなり生きる力となるでしょう。

しかし力になりたい・支えたいと思っていても、長期戦になってくると、家族自身が疲れてしまうこと・無力だと感じてしまうこともでてきます。

患者本人と家族の立場や状況によってできることに違いがありますので、メンタル的なことについて話を進めていきます。

結論を先に言いますと、家族自身ができる限り、いい状態でいることをこころがけ、そこを第一に考えます。

そんなことか・・・とか、それができれば苦労はしないという声が聞こえてきそうですが、その一言に尽きるというほど大事なことなのです。

人と人は「言葉」だけでコミュニケーションをとっているのではありません。
「以心伝心」という言葉があるように、非言語の部分から伝わるものも多いのです。

日々接する中で、心配や不安の思いを家族の方が持っていれば、その恐れは伝わってしまいます。

たとえば、調子が悪そうな時に「大丈夫?」と声をかける場面があります。
もちろん、そのような声かけをすることは、病気の人にとって大きな安心感につながり、心強く感じるでしょう。

その時に、家族が「悪くなっているんじゃないか」「こんなにつらそうで可哀そう」と感じて発する「大丈夫?」には、家族自身の心配・不安・(症状への)否定などネガティブなエネルギーが乗っかっています。

一方で、同じ「大丈夫?」という言葉でも、今の状態は、患者本人の身体・感情・精神からのメッセージだと受け止めて発するものであれば、家族のネガティブなエネルギーがのることはありません。

たとえば、身体的なメッセージの場合です。
風邪をひけば鼻水が出て、咳が出て、熱がでます。
ひきかけから、完全にひいて、治っていく過程の中で、どの段階でどの症状が一番顕著に現れるかは、その時々で変わります。
症状のひどさが、病気の進行と必ずしもイコールというわけではありません。

ほおっておいて大丈夫ということではなく、神経質に心配しすぎることがないようにということです。

また感情や精神からのメッセージの場合です。
病気という出来事は本人にとって、何かの気づきのために必要なプロセスかもしれません。
あるいはその人の、心の奥に秘めた、声ならぬ思いの表現かもしれません。

そういった患者本人の都合によって病気を体験しているのだとしたら、目の前の症状も、必要な体験の一部として受け止めることができます。

「大丈夫?」はこちらの不安や心配を解消してほしいために発するものでなく、相手のこれらの思いを受け止めるという形で発することが望ましいのです。

「こういう形で表現しているんだね・・」「必要なプロセスが順調に進めばいいね・・」という思いをもって「大丈夫?」と声かけするのです。

心配の「大丈夫・・・?」ではなく、大きい視点でみて「大丈夫!」のエネルギーを与えてあげるというイメージです。
本人が、言葉にはできない自分の思いを受け止めてもらえたと、心の深い部分で感じることができれば、とてつもなく大きな安心感に包まれるでしょう。

同じように、食事の世話や身の回りの世話をするケースでも同じです。

患者本人を「病人」と見て、家族がサポートしてあげなければいけないのだという強迫的な気持ちで接していると、健康的なエネルギーが病的なエネルギーへとどんどん流れ、家族は疲れていきます。

「病人」ではなく、その状態を「生きている」「表現している」ととらえます。

身体からくる表現が「自分では食事をとることができない」状況だから、家族が食事のサポートをするという形です。

赤ちゃんは、自分で食事をすることができません。
まわりの家族が、ミルクを飲ませてあげたり、スプーンで口の中に入れてあげたりします。

赤ちゃんは未発達という事情で、自分で食事をしないという表現をしている。
病気の人は自分で食事がとれないという身体の事情を表現しているのです。

赤ちゃんは健康で、患者は病人だから違うのだ・同じように接することはできないと思わないでください。

見た目が違うだけで、赤ちゃんや患者本人が生きるサポートを家族がするという形は同じです。

サポートをしている家族自体の思いが違うだけです。

食事もとれないような状況になってつらいとか、これからもっとサポートが必要になったらどうしよう?というようなネガティブな思いを手放すようにします。

手放すとは、そういう思いをもったことを責めることではありません。
心配や不安の感情が沸き出ても、それを否定せず、自分は今そういう気持ちなんだ・・・と感じるのです。

そして、その後で、「今の状況はサポートが必要だから、それを提供するだけでOK。それを患者本人が、いい方向で受け取ってくれるのだから大丈夫・・」と思い直します。

もちろん、時間的な制約や身体的な疲労があることは否めません。
しかし、そこで家族のエネルギーが低下してしまえば、支えてあげることが難しくなります。

家族ができることは、あの手この手で、自分たちが楽になれる方法や考え方をさがし、その上で、患者本人に寄り添うことです。

楽になる手段として、
マッサージなど身体のケアを受ける・つらさを他で語る・自分が楽しいと感じる時間を持つ・自然の中で英気を養う・・
など、できれば・・のレベルではなく、「必ず」のレベルで取り入れるようにします。

ここに罪悪感をもたないように気をつけてください。
大切な人が病気なのに、自分だけ楽しむとか楽するのは、あってはいけないことだと思うのは間違いです。
自分を癒すことが、患者本人にとってもいいサポートの提供につながるのです。

環境的に直接寄り添うことができない場合は、「祈り」の効果も十分にあります。
祈りと聞くと、宗教的に感じて敬遠する人がいるかもしれません。
しかし、私たちは身近に祈りを取り入れています。

親が子供に「気をつけていっておいで」と言う。
妻が夫の仕事の成功を願い「うまくいくといいね」と言う。
孫がおばあちゃんに「長生きしてね」と言う。
元旦に「いい一年になりますように」と挨拶をする。

そういった思いを凝縮させたものが「祈り」です。

日々の中で、「○○さんが、早く元気になりますように」
「健康になりますように」と思いをはせるだけで充分です。
ご祈祷したり、護摩をたいたりする必要はありません。

それをすることで自分の気持ちが少し楽になるのであればすればいいという感じです。

結論は、家族ができることは、家族自身のケアをまず行うということにつきます。

自分たちの状態をいかに、レベルダウンさせないか、いい状態に保つか、ここがポイントです。
その状態であれば、「今・できること」は見つかってきます。
その上でサポートを提供していきます。

介護などの具体的なサポートであっても、言葉かけなどの精神的なサポートであっても、そのエネルギーにネガティブなものが乗らないようにすること!

そして「祈り」の気持ちをもって接していれば、患者本人に思いは届き、それが、生きる力になっていくでしょう。


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