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センスを磨く方法

なぜか人からよく褒めてもらえること、それほど努力してるつもりは無いのにサクサク出来たり要領を得た判断が出来てしまうことがあるなら、それがその人の才能だと言えるだろう

「あの人は○○のセンスがある」などと言うのだが、この○○は見た目でも会話でも文章でも事務仕事でも恋愛でもスポーツでも何でもよく、多くの人が長けていると認めるものは「センスが良い」とか「センスがある」と評される

このセンスというのは実に曖昧で明確な基準がないまま用いられる便利な言葉であり、なんとなく生まれつき持ってるとか持ってないとか思いがちなのだがそんなものではない


センスとは知識の編集である

文字通りセンスとは圧倒的な知識に因って表現されたり判断の基準になるものである

人は興味があることには苦もなくお金も時間も使えるもの
努力しているつもりもなく、楽しみながらそのことに没頭・研究するし、アンテナも立ってるのでそのことに関する情報も自然に集まってくる

そうして日頃から意識的・無意識的に拾い集めた膨大な知識から、それに関する何かを表現したり判断するときに瞬時に最適なものを無意識で手繰り寄せ、組み合わせるなど編集して繰り出すのが「センス」と呼ばれる知恵である

なのでセンスが良いとされることについてはそのジャンルの脳内辞典が分厚いということがある

ちなみに私はファッションやインテリア、色彩感覚についてのセンスを褒めていただくことが多いのだが、これらを学ぼうと思ったことはこれまで一度もない

ファッション誌は中学生の頃、1,2度mcシスターを買ったことがあるくらいでその後40年ほど全く見ていないし、ブランドについても興味がないので全然詳しくない

インテリア誌も見ないが雑誌のananが何故か自宅に取材に来て特集されたことはある

どちらも興味と自分の好みはあるのでアンテナを立てて普通に生活しているだけで必要な情報は入ってくるのだ

そうそう、色彩についても習ったことはないが「彩独2」というスマホの単純なゲームアプリにはまって以来、いつの間にか微妙な石の色とかを見分けられるようになっていた



タイトルである「センスを磨く方法」には大きく次の2つが必要になってくる


①あるジャンルの脳内辞典を分厚くする
②その分厚い脳内辞典を使いこなす


①については興味のあることしか脳内辞典は充実しない

人には生まれ持ったセンスはないが生まれ持った才能がある
才能とは飽くなき興味だ

理由もなく興味を引くことは先に述べたようにいくらでも探求できるので苦もなく知識を得るし検証もする
なので経験を積んでどんどん充実した脳内辞典となり自分のものとして繰り出せるようになる、これがセンスだ

元々は興味がなくても何かをきっかけに興味があることに気づき、脳内辞典を充実させていくこともあるが、苦しいのは興味がないのにあるふりをしたり周りの環境から学ばざるを得なくて興味のないことを努力で何とかしようとしている場合である

長いこと我慢や努力が美徳とされてきた日本人はこの状態の人がすこぶる多いのだが、ここに陥る原因は親や周囲の期待に応えようとするためだったり、なんらかの損得勘定の先行に因るもので、これは苦行であり本当の意味で自分が満たされることはない

もちろん、努力でも知識は増えるが学びは楽しくなければ効率が悪い

例えば英語を同じ時間学んでも興味があれば脳内辞典にいつの間にスラングまで書き込まれるのに、興味が無ければたどたどしい、むしろ不自然でしかない文法をやっとこさ書き込むのが関の山なのだ

この場合、前者は語学のセンスがあると評されるがそもそも語学にとても興味があるのだ(無自覚でも)

なので興味がない、いわゆる向いてないと気づいたら、それまでにどれだけお金や時間を投じていたとしても徒労だし自己実現に向かわないのでやめられるならソッコーやめてしまった方がいい

場合によっては本人だけでなく周りにまで迷惑がかかるからだ

本当は興味もないし向いてないのに無理をしていることに気づかない場合も多々あるので厄介なのだが、無理をしているかどうかを判別するのは簡単で、「興味もないけどそれを学べば役に立つ(褒められる)」と思っているならそれは無理があるのだ

役に立つかなんてどうでもいいことにただ夢中で時間とお金を惜しみなくかけてるならそれは純粋な興味=才能であり、脳内辞典はよくできたウィキペディアのごとくいつの間に多くのリンクや出典も貼られ、大充実するし、結果的にひとの役にも立つだろう

興味がないものの知識は増えない



次に②の日々育っていく脳内辞典を活用する方法である

どんなに充実した分厚い脳内辞典を持っていてもそれを使いこなせなければ意味がない

センスがある人に共通するのはそれがどんなジャンルであってもそのことの真髄、平たく言うと要点とか核を捉えているということである

要点を捉えている状態にあると応用が利くようになる

例えば料理のレシピにパン粉と書いてあるのにパン粉がない場合、センスのない人はレシピ通りにしか作れないのでパン粉を買いに行くか諦めるかしかないけれど、センスのある人は他にあるもので代用しようと米粉を使ったりクラッカーを砕いてみたりして、上手くすると新しいレシピまで開発してしまうのである

このようにセンスのある無しが問われるのは教科書通りに出来ることよりも多くの場合応用力を発揮した場面である

そのためには意識的・無意識的な分析力と要点を掴むことが必要になってくる

それにはどうしたらいいか

美味しいもの、美しいもの、素敵なもの、など惹きつけられるものには必ず理由がある

よく「理由は要らない」なんてコピーがあるがとんでもない

感じるだけなら理由はいらないが理由は要らなくても必ずあるし、自分がそれを表現したいならその理由を自分なりに理解していなければ再現や応用はできやしない

なので脳内辞典を使いこなす方法、即ちセンスを磨く方法とは

自分が素敵だなと思うもの、惹きつけられるものに出会ったら、それが何故素敵だと感じるのか理由(ロジック)を自分の言葉で明確にする癖をつけることである

大切なのは自分の言葉であることだ


たとえば鳥好きの私はこのハシビロコウの特徴や可愛らしさについて聞かれたら無限に出てくるのだが、それはいつの間に時間もお金もかけて沢山見に行ってるし、見るたびにハシビロコウらしさはどこにあるのか、なぜ可愛いのかを山ほど自分の言葉で脳内に書き溜めている

誰にも頼まれないし、1円にもならないのにだ

でもそれが全く関係ないところで何かのはずみでセンスとして漏れ出て、人を笑顔にしたり、ひいてはお金になったりすることを経験として知っている

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よく「良いものを沢山見ること」と言われるしそれはもちろんそうなのだが、見てなんらかの解説を丸暗記したところでそれも知識ではあるがセンスの元でしかない
知識に自らの経験を掛け合わせて出てきた表現にしか本当のセンスは宿らないのである

素敵なものには必ず理由がある


センスは勘と捉えられがちだが一部の天才を除き、その勘と言われるものはいつの間にか膨大に集めてしまった(無自覚の)知識から一瞬にして繰り出されるひとしずくの知恵なのである


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