人生の「底」ってある
命を絶とうとしたあの日を、病院でのあの日々を境に、風向きがふわっと変わった感覚がある。
理由は全くもって不明である。
とても苦しい出来事であったことは明らかなのに。
1日、また1日と時間が経つにつれて、みるみると前を向いた思考。固まった決意。戻る食欲。綺麗になる部屋。
理由が分からないので漠然とした言葉でしか表せない。
おそらく、あれが人生の「底」であったのだろう。そうとしか言いようがなかった。
呼吸をすることさえ苦しく、誰よりも自分自身が自分を愛せず、出口の分からぬ真っ暗なトンネルの中で闇をかき分ける。
何もできないことが当たり前になっていた毎日。
だったのに。
今では毎日決まった時間に起きて、ストレッチをして、ごはんを食べて、好きな歌を聴いて。
余っていたチョコレートをみつけてガトーショコラを作ってみたり。読書をしてみたり。歌を歌ったり。ダンスをしてみたり。
ボランティア活動に勤しんだり。事業所の見学に行ってみたり。
SNSの投稿にいいねがつかなくてへこんでいたのに次の日には乗り越えられていたり。
何年も続いた浪費癖が治ってきたり。物だらけだった部屋が片付いたり(片付けた、というより片付いたが正しい)。
自分を少しずつ、受け入れられるようになっている。
何度でも言うが、理由は分からない。
あんなに苦しかったのに、今どうしてこんなふうに過ごせているのか。
辻褄を合わせるためにはやはり、あれが自分の人生における「底」であり、そこからはもう上がるしかなかったのだと思うしかないのであった。
あの日生きながらえたこと。病院でたくさんの人に助けてもらったこと。助けてくれる人の存在に気がついたこと。
退院した日にリリースされた推しの新曲の歌詞。「生きろ」という祈りのような言葉。
不思議なほどに幸運であったと思う。
思えば昔から運が良いとは感じていたが、こんなことが起こりうるのかと今でも信じがたい。
これが自分の人生であることがすごい。
勿論あんなことはないに越したことはない、というかあってはならないのだが。
しかしながら、これが人生の転換点であることにおそらく間違いはない。
わたしはまだ何者でもない。
でも、これから、わたしがわたしであるからこそ伝えうる言葉、見てもらえる景色に気づいていきたい。
自分のことをもっと知りたい。
そしてそう思う気持ちがあればいつか何者かになれるはずだと信じている。
もはや自信しかない。
本当の意味で、人生これからだ。
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