誰がクラリネットを壊したのか
かつてジャズのメインストリームにはクラリネットがありました。
ジャズのメインストリームにはスウィングがあったと言っても良い。
Benny GoodmanベニーグッドマンがGlenn millerグレンミラーと競り合っていたスウィングジャズのビッグバンド全盛時代です。
グレンミラーはクラリネットではなくトロンボーン奏者であり、音楽愛好家向けというより、より大衆向けに活動作曲していたアーティストです。
moonlight Serenadeなんか一度は耳にしたことはあるんじゃないでしょうか。
彼のキャリアハイは37年から42年の陸軍入隊までの間で、その名声と比べると非常に短い期間ですので、今回のテーマからは外します。
クラリネットといえばBenny Goodman、Benny Goodmanといえばスウィングと言えるほど、スウィングジャズのメインストリームはクラリネットの時代がありました。
情感を揺さぶる大衆向けのグレンミラーより、テクニカルでロジカルに作品を作り上げるBennyはスウィングの王様として君臨しました。
クラリネットがスウィングのメインだった時期は40年代がピークで、後半にはCharlie Parkerによるビバップなどに押され始めます。
どの分野でも神様がいたり王様がいたり、聖人がいたり天才、鬼才、父や母がいるのですがやはりBennyは王様でした。
気難しく頑固でした。そんな頑固な王様が、ジャズの神様であるLouis Armstrongと共演する計画がもちあがります。
Louisは神様でもありましたが、その温厚な性格は聖人とも評された人でした。
一説には自分のバンドだけを優先するBennyに、Louisが腹を立てたという話や、
当時Bennyに皮肉を言っていたArtie Shawアーティショウが言うように、あまりに機械的で緻密過ぎた演奏に、即興スタイルのLouisが辟易してしまった、などいろんな話があります。
面白い説としては、リハの時に体調不良を訴え離脱したBennyですが、実はLouisのバンド演奏がBenny のバンドを圧倒してしまい、へそを曲げて帰ってしまったというものです。
53年はすでにクラリネットはメインから外されかけ、サックスやトランペットが主流の時代であり、40年代に生まれてきたビバップを代表するCharlie Parkerチャーリーパーカーが絶大な人気を誇っていました。
Charlieの人気もその即興演奏というプレイスタイルであり、Louisの即興演奏は当時一番求められていたスタイルにぴったりあったのでしょう。
何はともあれ、これを機に、Benny Goodmanは 聖人とも言われたLouis Armstrongと一切の親交を絶ってしまいます。
Goodmanグッドマンなのに…
クラリネットは50年代に入ると衰退の一途でしたが、その反撃の一手をBennyは自らの手で閉じてしまいます。
一方でLouisは47年にはニューオリンズジャズ、スウィングで活躍したEdmomd HallエドモンドホールとLouis Armstrong All Starsツアーを続けていました。
all starsの活動期間は55年までですので、Bennyとはダブっていたわけです。
また、温厚で柔和で謙虚と言われたらedoはLouisとも非常に上手くやっていたわけです。
時はCharlieを代表するビバップが隆盛を極め、Miles Davisマイルスデイビスという革新の神様が台頭してきます。
ここからMiles以降をザザっと紹介します。
Milesはジャズ史における分岐点です。彼のクインテットの参加ミュージシャンは第一期においてはJohn ColtraneジョンコルトレーンとPaul Chambersポールチェンバースがいました。
John Coltraneの名作
お、お、俺ジャズとかしか聴かないから…!!と背伸びしてしまった若い君が失敗しない盤選びの為にJohnが居るのです。
Rudy Van Gelder刻印盤として有名なPaul Cambersの名作です。
ちなみにVan Gelderカッティングって名称で、勘違いしてる人も結構多くて、先日universalから発売された宇多田ヒカルのvinylのカッティングミスについて、このRudyが引き合いに出されてたんだけど、あのミスとRudyの仕事は全く違うでしょw
Rudyはマスターを作る際のマイクポジションとか機器セッティング、部屋の湿度とかが皇室や王室の作法レベルで精密って人で、超絶録音技師なんです。俗にVan Gelderカッティングと呼ばれているのは、彼が録音してマスター作った盤って意味で、名前を盤に刻印してるだけだから注意しようね。
Miles Devisカルテットの第二期メンバーは、60年代に入りまたひとつジャズが進化していきます。
Herbie HancockハービーハンコックとRon Carterロンカーターです。
Herbie HancockのHEAD HANTERS
ファンクを取り入れよりモダンジャズが古典化する前により先進的に進化したヒットナンバーですね。すばら。
Ron Carterといえばこのcmですね。ウッドベースに負けない長身がかっこよ。
他に共同作品ではBill Evansビル エバンスやCannonball Adderleyキャノンボール アダレイも居ました。
Billといえばこれっていうくらい有名すぎる曲ですね。こんな甘く緩いピアノはブルックリンの地下にあるBARなんかがめちゃくちゃ合うんですよ。
行った事ないけど。
SOMETHING ELSE
Cannonball Adderleyがリーダーとして出した名作中の名作ですが、実際Milesからの贈り物だろ、なんても言われてる作品です。
言葉は要らない。
良い。
これに参加してるメンバーに、Hank Jonesが名を連ねてますね。ついでなのでいっときましょ。大物だし。
Hankのこのアルバムは何度かリバイバルされてるので、今でも良い状態のvinylが手に入ります。
新品もあるところにはあるので探してみてね。
Benny Goodmanは頑固でした。そしてリベラルでした。
38年にはカーネギーホールで初めて黒人と一緒にステージに立ち、音楽の世界を一気に広げました。
40年前半をピークに戦争も激化し、50年に入る頃はアメリカ経済は好景気に突入します。日本もそうですが、景気によって音楽の質はガラッと変わっていきます。
伝統的なスウィングやディキシーランドジャズ、ニューオーリンズスタイルなどはもはや古典でありレガシーになりつつあり、それはクラリネットという楽器も同じ運命でした。
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50年代はその他にロックンロールが生まれ同時にElvis Presleyエルビス プレスリーが60年代にはThe Beatlesにバトンが渡される時代になります。
黒人音楽をルーツにするスウィング、ジャズやブルース、ロックに至るまで、アメリカでは特に音圧を重視していたようです。
というのも60年代のBeatlesの名盤はこぞってUKや他のヨーロッパ盤であり、アメリカ盤は物凄く悪い評価ばかりです。
それは黒人音楽をルーツとしたアメリカのロックまでの道のりには、音の太さと音圧が最上とされた時代が確かにあったからです。
他方でヨーロッパはクラシックルーツのロックが多く、バッハなどのチェンバロなどをオマージュした音作りも盛えました。
そうなるとそもそも録音技術の基準が変わってきます。
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閑話休題
結論
クラリネットは音圧優先の歴史によって殺されたのです。
柔らかな音色で、音域も3.5オクターブだせるクラリネットは、より音圧が高く音の太いトランペットとサックスに殺されたのです。
ちなみに日本国内て元々フランスの曲
クラリネットこわしちゃった
原曲名『J’ai perdu le do de ma clarinette(クラリネットのドをなくしちゃった)』
が発表されたのは1963年です。
この時すでにBennyは引退はしていないものの過去の栄光と伝統的なジャズの奏者としてのレガシーであって、商業的活動も成功と呼べないものに終わっていました。
1986年6月13日
Benny Goodmanはその生涯に幕を閉じます。
Bennyは亡くなる前の夜、マンハッタンの「ミスター・サムズ」ナイトクラブで過ごし、ジャズ歌手マーリーン・ヴァープランクのパフォーマンスを観賞し、彼自身のバンドのツアーに彼女を参加させるか検討していました。
その後ブラームスのソナタをしばし練習したあと昼寝をし、友人のそばで静かに息を引き取ります。
偉大なスウィングの王は77歳のその日まで、クラリネットを手放しませんでした。
葬儀は近親者のみの慎ましい葬儀で、コネチカット州の小さな墓地に、小さな石板に本名と生没年のみというこれまたシンプルで小さい墓石の下に眠りました。
その年の9月に、Miles Davisによって最先端ジャズアルバム『tutu』が発表されます。クラリネットどころか、アコースティックはMilesのトランペットのみで、あとはシンセサイザーやプログラミングドラム、エレキベースで編成され、ビバップですら嫌悪したBennyはきっとあの世で怒り狂っていた事でしょう。
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