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他の人よりも繊細だからという特別枠に自分を当てはめないで生きてみよう

楓コンサルティング代表の小暮貴恵です。
いつも読んでいただきありがとうございます。

最近、繊細だから~です、敏感だから~です、感度が高いから~です、というお話を聞くことがありました。とっても素敵じゃないですか!!というとたまに気分を害してしまうことがあります。え?それで苦しんでいるのに!!という反応も、もちろんありますよね。これ、大きな勘違いです。繊細だから、敏感だから苦しいのではないのです。繊細さや敏感さを言い訳にして正当化しようとしているから、そんな自分を許せなくてしんどいのです。

繊細なこと、敏感なこと、感度が高いことを認めてほしいのではなく、“そういう自分”を武器に苦しい私を構ってほしい!なんですよね。私もそうでした。敏感すぎて、疲れるし、繊細すぎて、すぐに傷つくんですよ。それってどういうことかというと『弱点を武器に周囲をマウントしている』ということです。他の人よりも繊細だからという特別枠に自分をはめ込むことで安心してるのよね。繊細で敏感だから苦しかったんじゃないの。それを、魅力にせずに、武器にしているからしんどかったのです。武器にすることで、人はあたかも勝ち誇ったように人より優位たったように感じます。特別になることで愛されると愛を買うのではなく、そのままの繊細で敏感という性質をもった私のままで生きていくことを選んだから、なぜか周りから愛されちゃってたというスタンスが大切です。

枠にはめて安心することもあっていいと思います。自分は○○なタイプという枠があることで、ひとつのアイデンティティが生まれてうまくいく場合もあります。だけど、枠にはめなくてもそれはそれであなた自身であっていいのです。

みんなそれぞれ繊細だし、敏感です。みんなそれぞれスゴイし、素晴らしくて、とっても素敵です。私の繊細さや敏感さは人と比べて、わかってもらえるものではない!私のほうが繊細!なんて比較はただ苦しいだけのです。

私自身も、物理性(機械性)じんまんしんという謎のじんましんで、人とぶつかったり、重い荷物持ったり、洋服やマスクの摩擦、アルコール消毒でさえも出てしまいます。とにかくピリピリ痒いんですよ。些細な物音とか乗り物の揺れにも、実は人のちょっとした表情や仕草の反応でさえも、傷ついたと思っちゃうことあります。なかなか敏感で繊細でしょw

でもですよ!!これ、ただ敏感な体質・性質なだけで、『自分が構ってほしいこと』と別なのです。自分の体質や性質を構ってもらえる材料にしていては、もっと疲れます。『なんでわかってくれないの』モードになって、自分が本心を打ち明けていないのに、わかってくれるわけないじゃんと思うのです。察してほしいクレクレちゃんです。

私の繊細さや敏感さは説明した人しか理解していません。説明していない場合は『その人に理解を求めていないだけ』なのです。つまり、相手にわかってもらえなかったり、理解してもらえないことは全部自分が理解していればいいのです。自分が自分の一番の味方なのですからね。繊細で敏感じゃない人間ってこの世に、存在していないと思っています。誰もが、繊細で敏感でその差なんてないのです。同じように繊細で敏感でいいのに、なぜわざわざ、繊細度合いや敏感度合いを比較する必要があるのか私には疑問です。

繊細で敏感な感性は、これからの表現力が求められる時代の中でとっても魅力的な才能のひとつです。人の反応やちょっとしたことを気にかけることで誰かの『喜び』にもなります。さらに、繊細で敏感な感覚は新しい価値を生み出すことに長けていて、何が売れるか?というビジネスセンサーでもあると思っています。人の心にじわっと沁みる言葉を紡ぐことができるのも繊細で敏感だからです。

どんなあなたであれ、あなたはそのままのあなたとして、そこに居ていいのです。繊細だろうが、繊細じゃなかろうが、敏感だろうが、敏感じゃなかろうが、どっちだってオッケー。私自身、こんなふうに思えるようになって、なんだか最近じんまじん殿がものすごくおとなしくなったように感じています。自分は繊細で敏感だとおもってたのもなんだか気のせいのような気もしています。つまり、あらゆることは捉え方ひとつで感じられる幸せが増えていくなあということです。


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