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許すとか手放すとかに、翻弄されてしまうときにできること。

楓コンサルティング代表の小暮貴恵です。

Twitterにこんなことをつぶやきました。許すとか手放すとかって簡単に言うけど、具体的にどうやって?とかそんなのしても意味あるの?結局自分の行動次第じゃない?という疑問はたくさんありました。

結果としては、やっぱり許して手放したら楽だったし、楽しくなったし、本音で生きるコツのひとつだったなと感じています。具体的に許すとか手放すって何なのか?と考えたときに、『心の折り合いをつける』ということでした。許すも手放すも結局、目には見えないですよね。だからこそ、どうやってやるのかとかテクニックが気になってしまうものです。小手先の断捨離に走り、何が必要で必要じゃないのか判断がつかない状態で断捨離しても、リバウンドの繰り返し。心の折り合いをつけるとは、自分の現状を認めることだと思うんです。でも、現実を見ることって怖いと感じやすいので、現実が直視できず、誤魔化してしまうのです。

許すとか手放すって、テクニックでも技術でもなくて、『自分が自分をどう思っているか』『どう感じているか』だと思うのです。必要なのは、自分の話を、自分で聞く時間で、納得いくまで自分の話を聞いたり、内観して深いところの自分と繋がってみたりする中で、自然と許しや手放しに向かうもの。許そう、手放そうとしている限り、許せていないし、手放せていないのです。許す、手放すという言葉に抵抗がなくなって初めて、許すか許さないか、手放すか手放さないかという二極の選択ではなく、どちらであろうと自分は大丈夫という自己信頼感につながります。

さらに深めていくと、私たちは何かを手放せば、何かをつかむことになるので、手放すとは『自分の持ち物をかえること』です。この持ち物とは自分の感覚、感性、思考、マインド、感情などです。例えば親を許せないという気持ちを持っていたら、許して手放せば、親を許して楽になったという気持ちを持つことになりますからね。つまり、私たちはやっぱり何も失っていないし、何も得ていない。総量はいつだって変わらないのです。

許す、手放すという言葉になんだか翻弄されているなと思ったら、方法論に意識が向いていることに気付いてみるとよいでしょう。そして、許して手放しているかいないか?にこだわるのではなく、自分の今の気持ちと現状を確認して現在地を確かめましょう。その現在地から、どんな未来に意識を向けたらよいか?を考えて、その未来に向かってできることを3つ書き出して、今すぐその3つを行動に移されてみてください。許すとか手放すとか、だんだん気にならなくなり、こだわりも昇華されて、いつのまにか許せて手放せて、自分にとって本当に必要なものを手元に残すことができていますからね。ぜひ、試してみてください。

許すとか手放すとか翻弄されている自分を卒業したいと思う人はぜひパーソナルコーチングにお申込みください。一緒に紐解きましょう。


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