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夢とか希望とか志とか“ない自分”を称賛しよう。

本音で生きる存在美学コンサルタントの小暮貴恵です。
いつもありがとうございます♡

20代の頃から、成功哲学や自己啓発のセミナーに参加してきて、いつも思っていたことがあります。夢とか希望とか志って私にはないなって。いや、あるふりはできたんだよ。愛とか義理とか人情とか誠実が大事とか、きっとあったのに、いつのまにか、“私にはないこと”を探すことに酔いしれていくよになったの。これが私の自己啓発中毒のはじまりでした。


あるものを“ない”と偽造していく生き方がまるで夢心地のように気持ちよくてつい“ないこと”を叶えていく体質になってね。私には、愛がないから、技術がないから、影響力がないから、誠実さがないから、と学ばなければいけない理由を探したときに、どんどん自分が悲しい気持ちになることには当時は気が付いていませんでした。


学ぶ意欲を見せれば、称賛され、思ってもない誉め言葉をかけられることに違和感を覚えながらもどこかいつも“他人と自分との間の境界線”を感じていました。そして、学ばない意欲を見せたとき、強烈に批判される。


『一生懸命教えてやったのに、恩を仇で返すのか?』

『決断が大事だよ!今やらないと後悔する!』


この時に感じたことは、契約をすれば仲良くなれるけど、断ると、途端に人は素っ気なくなる。視線が冷たくなる。私はこんなに空しい気持ちになるくらいなら、学びなんてしなければよかったと心底後悔しました。まるで、時間とお金と健康をすべてどぶに捨てたかのように。


『私は一体、何を間違えてしまったんだろう?』


そんなふうに自責の念にさいなまれていた時に、生きる気力をどんどん失っていって、回復するまでに過ごした時は、まるで別世界に移行したかのように穏やかで、ふと、とても大切なことに気付いたのです。


時間もお金もエネルギーも健康も、今の私にはない。夢とか希望とか志とかも今の私には考えられないし。もう、そんなものいらない。ふてくされて居た自分の幼い心に喝が入ったような感覚で自分の腹の声を感じたのです。


『ないなら、自由だよ』

『ないことを埋めるのではなく、ないことを活かそう』


この時に思ったのです。ないことは“無限の財産”なのだと。ないなら、ないまま生きればよいと思ったのです。命ははじめから、自由でした。誰も何も、私のことを、縛ってなんていなかったんです。錯覚だったと思わず、自分の浅はかさに、笑みがこぼれました。心が軽くなった瞬間。


ないことを、受け入れて、ないことを楽しみながら生きていると不思議で、私に残った財産に気付いたのです。それは、友達、経験、家族、仲間、今まで感じたことを綴っていたSNS、そして、無駄に学んだと思うことしかできたかった学びでさえも、すべて“能力”“知識”“技術”となり今に生きていると。


“ない”も“ある”もなんとも自分に都合がよい捉え方だったと思うのです。ないこともある。ひっくり返したら、全部があることに、そして、願いが叶い続けていることに気が付いたときに学びの本質を感じたのです。

誰かに勧められたから、その雰囲気に任せて契約をしたり、自分にないものを埋めるために学ぶという“誰か”や“何か”に後押しされた決断には、不満が募り、その決断を実行しないということです。

だから私はこんなふうに決断したのです。

決断するときは、いつも私を主語にするということ。私は楽しく学べる!自分も周りもさらにハッピーになれる!と思ったことにだけ“YES”を伝えようと決心したときの爽快感は今でも鮮明に覚えています。自分を、後押しするのは、自分です。


するとYESを伝えることが減り、NOを伝えることが増えました。最初はどきどきしながら断っていたけど、慣れると強いものです。びくびく伝えると批判されたり、反論処理されますが、腹をくくったNOには誰も反論しなかったんです。


これが自分で生きるということなんだ。本音を伝えることで、人生がどれほどスムーズになるのか?ということを体感した瞬間です。いかに自分が他人の目の中に生き、執着と嫉妬にまみれ被害者意識をもったまま生きていたのだろうかと知ったときのもこの瞬間。そんな自分も不思議なくらいまるっと受け止めることができました。心がすーっと楽になります。本音で生きることの虜になりました。無駄だと思っていた自己投資が、実はちゃんと今に帰ってきてくれていました。この経験があったからこそ、本音と出会えたのです。


この出来事をきっかけに、私は、夢とか希望とか志とか、目的とかありません。と答えるようになりました。ないことで未来が自由に描けるし、途中で方向性かえるのも自由。人はそれをブレていると表現するのかもしれませんが、私はとことんブレていきたいと願います。目的が“必ずそこへ行かなければならない”という制限になるくらいならです。夢とか希望とか志とかない自分で、目的もビジョンに固執することなくいつでも“ルート変更”できる柔らかく、しなやかな心を大切に生きたいと思うのです。


そう生きていたら、自然と、ビジョンに向かって歩いています。だから私は思うのです。夢とか希望とか志とか“ない自分”を称賛しようと。そして自由に、未来を想像しながら、今この瞬間に夢中になろうと。自分の心と体に嘘のない生き方に、ビジョンはきっと手を取り合ってくれるのだと思います。


夢とか希望とか志とか、つくろうとするものではなく、自然と生まれるもの。何もしなくていいわけではなく、自然と生まれるようになるには、日常を大切にすることが、一番大事なんだよね。神は細部に宿るといいますが、私は神は日常に宿ると思っています。


今日もそんな自分に称賛を送りながら、穏やかな一日を過ごします。みなさまも笑顔のあふれる素敵な1日でもありますように。


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