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魂のやるべき仕事

ヨガをしてはいるけど、スピリチュアル方面には全く疎い。けどこのタイトルにしてみたのは、私にとってバースドゥーラを広めることは「魂のやるべき仕事」なんじゃないかなと感じているからだ。

自分がドゥーラに向いてるとは思ってない

バースドゥーラをやりたいんですと言ってドゥーラを生業にしてみたけれど、正確にいうとドゥーラを私自身がしなくてもいいと思っている。産婦さんを支えてお産の現場にいることは好きだけど、すごく好きだけど、向いているとは思ってない。私よりももっと向いてる人がいっぱいいると思う。助産師さんたちの中にもいっぱいいると思う。分娩の進行をアセスメントして医学的な方向から介入するよりも、ママと赤ちゃんのお産を見守りたい、支えたいことが気持ちのメインにきてるような方は助産師じゃなくてドゥーラをやる方が幸せかもしれない。助産院の助産師さんなら見守るタイプの関わり方ができると思うけど、今クリニックでドゥーラしてると自分の考えとは違うけどドクターの指示で医療介入してる助産師さんってかなりいるんだなと知った。助産院でのお産が全体の1%しかない中で、どれだけの助産師さんが自分のしたい関わり方ができてるのかなと思う。
産婦さんがお産に対してあまりイメージが湧かないまま当日を迎えてて、なるべく痛くないように早く無痛してほしいんですっていう空気の中でお産を「進める」ことに麻痺してる助産師さんを見ると切なくなる。
それともお産はもともと自然なものっていう考え方がもう古いのかな。古くて何が悪いのともおもうけれど。
こういうニーズがあるのもわかるんだけどね。これを多様性っていっていいのかな。

話が逸れたけど、とにかく自分がドゥーラのスペシャリストにならなきゃとはあまり思ってない。「こういう役割の人がお産にプラスされたらすごくいいな」と感じたことを、自分がやって「ほら、やっぱりね」と思っているだけだ。プラスに感じているのは主に産婦さんで、助産師さんの中では「助かるわー」と思ってくれてる人もいるしやりにくいと感じている人もいるようだ。助産師さんに厭われるのは避けたいけど、私は産婦さんの満足度が高まれば本当にそれでいい。
日本だと人権意識が低いからこういうこと言いにくいけど、出産の現場において一番大事なのは安全の次にママとベビーの益だと思うのよ。医療者のやりやすさじゃない。ほんとに。

ほいでね、ドゥーラがいたらいいっていうのを日本に広めることが自分の仕事だなって思っているのだ。広めることもあまりうまくはなさそうだけど、一翼が担えたらそれでいい。

魂の仕事

突然だけど、ヨガをやっていると魂だとかカルマだとかいうワードがでてくる。ヨガ哲学では魂は輪廻転生をしている。身体はただの乗り物で、魂が何度でも生まれ変わる。いつまで生まれ変わるかというと、その魂がやらなくてはいけない仕事を終えるまでだ。それを終えたら輪廻転生から解放される。サンスクリットで「モクシャ」という。
モクシャについてヨガの師匠から聞いた時はへーとしか感じなかった。自分の魂にも仕事があるんかとも考えなかったくらいで、あるとしたら何かも全然わからなかったし、母としての立場を全うすることもヨガの先生をすることも私の魂の仕事とは思えず、まだ今世でやるべき何かに出会ってないんだなと時々思い出す程度だった。大学生で就職について考えた時もやりたいことはなかったし、社会人になってもやりたいことないんだよなあと思っていた。

ドゥーラに関わることが私の魂を浄化させるような仕事なのかもしれないなと思う。少なくとも、今世の仕事はこれなのかなという程度には感じている。だって、社会貢献とか子供の頃からこれっぽっちも本気で考えたことないし会社が社会貢献とか言ってると「うそつけ」としか思えなかったけど、そんな私がはじめて人のために何かしたいと思っているし、これが社会に貢献する、したいってことなんだなって感じている。
もちろん目の前の産みたてママたちに「ありがとうございました」って心から言ってもらえることはかなり大きい。ありがとうと言ってもらえることは人のエネルギーの源だよね。自分もいっぱい言おうっと。

なんか中途半端だけどこのへんで。

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