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仕事の価値

これはドゥーラを紹介したいとかそういう内容ではないのでnoteに書くべきではないのかもしれないけど。

私はおうちでは偉そうに「仕事が」とか言ってドゥーラ業や助手のお仕事をしてエネルギーを使ったぶん家でのことを堂々と手抜きしたり(しすぎたり)しているけど、いうてもパートタイムワーカーで、時給で仕事している。
ヨガインストラクターの仕事も、1レッスンいくらで対価をいただいている。

それなりの時間を仕事に費やしても、手元に入ってくるお金はいわゆる正社員ほどにはならなくて、むなしくなることがある。前に、こどもの具合が悪くなって私か夫のどちらかが仕事の都合をつけなくてはいけない状況になった時、ふと正社員である夫と時給換算して「まあ私が休んだ方がいいか」という指標を思いついたことがあって、なんだかそれが妙に忘れられないのだ。
(実際のところは、病院にいて携帯を持ち歩いてない私よりもリモートワークが多くて連絡がつきやすい夫の方が保育園からの連絡は1番にくるようにしているし、どうしても学校や保育園に子供が行けないときは夫が都合をつけたり病児保育へ送り迎えしてくれたりしていることがほとんどなんだけど、それはまた別の話。)

そもそも社会人になるタイミングで稼げるような就職をしなかったせいか、自分が仕事することで得られる価値というものに自信がない、みたい。

もっと稼げたらいいなとか(お金はあるに越したことはない)思うけど、時給で働くかぎり稼ぎを増やすためにはすごい時間働くか時給が高くなるしかない。すごい時間働くって、究極的には昼働いて夜も働くっていうスタイルだよね。もちろんやりたくないし、これ以上はできない。。
時給が高くなるって、たとえば働く場所が変わったりとか、あとは自分の資格に価値があったりとかそういうことだよね。
正社員だとしてもお給料を多く設定してもらうためにはやっぱり資格なり経験なりの価値が必要なんだろう。

非雇用者として働く以外には、独立開業?する道もある。対価をいただく時には自分の仕事にこれくらいの価値がありますよって自分で決めて示さないといけない。
(これができる気がしない)

お産に立ち会うのは大好きだ。これが必要な産婦さんがたくさんいると思う。産後のお母さんたちに実際に「いなかったら無理でした」って言ってもらうことも少なくないし、価値のある仕事だと思う。でもこれに値段をつけてっていわれるととても怖い。自分がそこにいることにどれだけのお金を出してもらえるのかと考えると思考が停止する。

いつか考えなきゃいけないだろうな…

私みたいな人のために独立支援の人とかお金のこと教えますみたいな仕事してる人がいるんだろうな…でも苦手なんだよな…なんなんだろうね笑 既存の知り合いにお金はらって教わるとかだったらしたいなと思うんだけど、なんでそう考えるんだろうな。なぞ。

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