仏心 Heart of Buddha

しかも
仏心は いつも清らかに
いつも静かに
いつも明るい光明にかがやいていて
空間的には 全宇宙をつつんでおり
時間的には 昔の昔の大昔から
未来の未来の 果てしない未来までつらぬいているのです
お互いは
その尊い仏心の中に生まれ
仏心の中に住み
仏心の中に息をひきとるので
仏心のそとへは 行きたくてもゆかれないのです

朝比奈宗源老師(円覚寺派前々管長)「仏心」より

   ※

生の真実に行き着いた人の言葉であろう
我々は、何をもって真実とするのであろうか
上の言葉は、真実というよりも、生の極まりに達した時に発せられた、感動の、感嘆の言葉であるように思われる
生の極まりとは、瞑想の深まりのことである
瞑想の深まりによってしか、人は、生の真実を見ることはできない
それは、見ることであるよりは、体験することである
なるほど、と得心することである

おそらく我々は、ものごとを正反対に見ているのだ
取るに足りないつまらないものを、最高のものと思い込み
最も貴重なものを、どうでもよいものと勘違いしている

仏心というと、やや仏教臭く、現代のわれわれにはピンと来ないかもしれない
吾がインドの師OSHOは、愛の人であった
愛の価値を最大限に認めた人だ
師は、愛によって偉大であった、それ以外ではない

そのようなわけで、私はこのように言いたいのである

人は 愛の大海の中に生まれ
愛の大海の中を生き
愛の大海の中に息をひきとる
この愛の大海の外には行くことなどできない


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?