慧可の安心

ボーディダルマと二祖慧可(えか)の師弟間に、次のような問答があったと伝えられている。

慧可
「わたしの心は、まことにつらく苦しいのです。マスター、どのようにしたらこの状態から抜け出し、心を安らかにすることができるのでしょうか?」
ボーディダルマ
「それなら、その苦しいという心を、ここに持っておいで。そうしたら、あなたのために、それを安らかにしてあげよう」

慧可は、ダルマの教えに従って、瞑想に取り組んだ。
そして遂に言うのである、

「苦しんでいる心というものを、探し求めましたが、どうしても得ることができませんでした」
「ふむ、よろしい。それこそまさに、あなたのために、心を安心(あんじん)させてあげたというものだ」

  ※

無門関 第四十一則

達磨面壁(めんぺき)す。
二祖雪に立つ。臂(ひじ)を断って云わく、
「弟子は心未(いま)だ安からず。乞う、師、安心(あんじん)せしめよ」
磨云く「心を将(も)ち来たれ、汝が為に安んぜん」
祖云く「心を覓(もと)むるに了(つい)に不可得なり」
磨云く「汝がために安心し竟(おわ)んぬ」

   ※

瞑想は、安心のアート(わざ)である
痛み苦しむこころ、それへの処方箋が、瞑想としてある
苦しんでいるこころ、そのこころの正体は何であろうか
苦しみではなく、苦しんでいる者、そのものにフォーカスするとき
そこに苦しみはなく、したがって安心ということもないのである
それが安心ということなのだ

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