田中眞海老師 4

宝慶寺でのしくじり

宝慶寺に着いた時には、午後2時半くらいであった。
酷暑の中でも、とりわけ暑い日だった。
その日は、飛騨高山から、深山の中に抱かれた九頭竜湖の湖畔を抜け、車は大野市に向かって、森の中の坂道を延々と下降し続けて行った。
山中で食事をするところも見つからず、大野市のコンビニで昼食にありついたのは、宝慶寺に到着する直前のことであった。

禅堂の日課は、午後の坐禅が、3時40分~4時20分となっていることを、予め調べていたので、それに参加したいと思っていたのだ。
本堂にお参りしてから、庫裏の入り口で、板木を木槌で三回叩いた(来客を知らせるためのものだ)。こういうものも油断できない。叩き方のその音や間(ま)で、どんな修行者がやって来たのか、すぐに推し量られてしまうものなのだ。

しばらくすると奥から、小柄だが眼付きの鋭い、やや年輩の僧が静かに現れた。それが村山木玄(サニヤシン名  マジドー)師であった。坐禅させていただきたい旨を告げるが、いいかげんな者には許可しないぞ、といった警戒の眼差しが見て取れた。いくつかの質疑応答の後、それではということで、禅堂に案内され、坐法についてのガイダンスを与えて下さった。臨済宗とは異なる点もあるのである。しばらくすると、先ほどの庫裏の方から、また版木が鳴ったので、「あとはお好きなだけお坐りください」と言い残すと、村山師は去って行った。この日は、坐禅する人が他になく、広い禅堂のはずれの所で、アラハタと二人、一時間ほど坐らせていただいた。暑いが、禅堂の中は風が通り、深山の気が炸裂してゆくように感じられた。

庫裏に戻って、村山師にお礼を述べた。
「ありがとうございました。これで帰らせていただきますが、一つだけお聞きしたいのです」
「はい何でしょう」
「こちらのご住職は、田中眞海老師さまだとお聞きしています」
「あなたはどういった関係で、堂長さんのことをご存じなのですか?」
「実はインド関係でして」
「ん?サニヤシンですか?」
「ええ、そうなのです」
「何だ!私もそうなのですよ。・・・。堂長さんにお会いになりますか?」
「え?いらっしゃるのですか。はい、もし可能ならお願いします」
この時期は、安居(修行期間)が終わって、次の安居までの中休みの期間(制間という)になっているはずなので、老師は下山されている可能性もあつた。

村山師は、奥へ引っ込み、しばらくして現れると、
「お会いになるそうです。こちらへどうぞ」
と言って、奥の庭に面した書院に案内して下さった。
やがて法衣をまとった老僧が、やや不審そうな面持ちで、油断なくゆっくりと歩いて来られた。
サニヤシンということで、特に会って下さったのかも知れない。
村山師も「私もご一緒させて下さい」ということで、4人での対話となった。

簡単な自己紹介の後、私の最初の質問は、どのような経緯で老師が
OSHOのもとに行かれたのですか、ということであった。
老師は村山師に言われた、
「この人に質問されたなら、ワシはちゃんと答えなければなるまい」
老師のお話しは、若いころ出家した当時のことから始められた。例の「婆子焼庵」の話は、ここでのことだ。(その後に続く話は、また別の機会に)
私が、OSHOが逮捕された時の抗議文について質問するのは、会見の後半でのことだった。私はその機を逃さないようにと窺っていた。

話の途中で、老師は村山師に、薬石(夕食)の支度を始めなさい、と指示された。
「あなた方も食べていきなさい」
「いえ、突然参りましたので」
「いいじゃないか、二人くらい増えても同じことだ」

やがて我々は、食堂(じきどう)に案内された。
老師は長い飯台の上座中央に、飯台の上座には村山師が、そして反対側の上座にはあなたが、と私が坐らされた。アラハタは私の隣である。
雲水さんと居士の人が、他に4人ほどいて、まず全員での自己紹介となった。ひと癖もふた癖もありそうなユニークな面々であった。
臨済宗に長くおられたという雲水さんが、私に、
「あなたのシャツはニンジャですか?」と言われた。
私自身、忘れていたのだが、今見ると、Tシャツの表には、「THE NINJA 忍」と、裏面には、「The NINJA There is nothing permanent except change 云々」と書かれていた。
お寺に入る時には、着替えていくつもりであったが、着替えるタイミングを逸してしまった。ザ・ニンジャとして、老師や修行僧の方々とご対面したことになる。まあいいか(笑)。
質問をされた雲水さんは、どうも忍者の里ご出身の方であるようだった。袖触れ合うもニンジャの縁である。

飯台には、カレーの餡がかけられた山盛りのそうめん、りんごの入ったサラダ、そしておひたしが並べられた。来客のために奮発されたのかもしれなかった。禅堂の夕食などというものは、残り物等、粗末なものであるはずなのである。
最初に述べたように、私たちは、ここにやって来る直前に食事をしてきたのだ。さあ大変なことになった、食べきれるか?
経文が唱えられ、食事となった。禅寺の食堂というのは、基本無言でなければならない。老師を筆頭に、ズズーと勢いよく麺をすすり始めた。さすがに皆早い。
私も負けじと必死に?いただく。しかし、アラハタにはさすがに無理であった。泣きそうな顔(こそしていないが)で残す羽目に。雲水さんたちは、大丈夫気にしないで、と言ってくださった。
食後、老師は言われた、
「うむう、特別によいというわけではなかったが、なかなかユニークな面白い味だったな」
「はい、自慢のエスニック風そうめんです」と木玄師。
「おお?自分で言うか?」
一同にドッと笑いが起こった。

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