見出し画像

OSHOのエンライトメント

1976年、8月31日から9月10日にかけて、インドの師・OSHO(旧名バグワン・シュリ・ラジニーシ 1931 - 1990)は、仏典「四十二章経」を紐解いた。師がまだ45歳のときの非常に情熱的な講話である。講話を締めくくる最終日(9月10日)のことである。四十二章経の19章と20章が唱え出されると、師は突如、自らの悟りの体験を語り始めた。それは1953年、師21歳の時の出来事であり、この日の講話において24年前の記憶が語られたことになる。この体験が、師のすべての教えが依って起ったところの源泉である。OSHOは完全な無となった。人がそこまで無になるのは、何千年に一度のことだったのかも知れない。
この講話シリーズは、「The Discipline of Transcendence」(超越の修練)と題して出版された。しかしながら、悟りの体験の記述を、我々から懸け離れた特別に優れた人のものと見るのは正しくない。これは師が何生にも渡って求め続けたのに、なぜ悟ることができなかったのかという失敗談、しくじり先生の告白ともいうべきものである。さあ、悟りとは何なのかという旅に出ようではないか。
弟子・印度沙門・SWAMI PREM ALOL、謹んで師の言葉を訳す。

   ※

私は思い出す。1953年3月21日のあの運命的な日を。
何生にも渡って私は働き続けてきた。自分自身に働きかけてきた。苦闘し、なされ得ること全てをやった。が、何も起こってはいなかった。

今では私はなぜ何事も起こらなかったのかを理解している。まさにその努力そのものが障壁だったのだ。成し遂げようとすることが妨害をしていた。探し求めようと急くその欲求そのものが障害だったのだ。人が探求なしで到達できるというのではない。探求は必要だ。しかし探求が落とされなければならない地点というのがやって来るのだ。川を渡るのに船は必要だ。しかし、船から降りなければならない時がやって来る。そして船のことはすっかり忘れて、あなたはそれを後にする。努力は必要だ。努力なしでは何事も可能にはならない。そして同時に、努力だけでは何事も可能ではないのだ。

1953年3月21日の少し前、7日前に、私は自分自身に働きかけることを止めた。努力というものの空しさ全体を、あなたが見なければならなくなる時というものがやって来る。あなたはできる事の全てをやったけれども何事も起こっていない。あなたは人間として可能なことをすべてやった。もうこれ以上何ができる? 全くの救いようのなさの中で、人は全ての探求を落とす。

そしてその探求の止んだ日、私が何をも探し求めなくなった日、私が何かが起こることを期待しなくなった日、その日それは起こり始めた。新しいエネルギーがどこからともなく起こってきた。それはどこかの源泉からやって来たのではない。それはどこでもない所から、そしてあらゆる所からやって来た。それは木々の中に、岩の中に、大空の中に、太陽の中に、空気の中に、あらゆる所にあった。私は懸命に探し求めていた。それはとても遠くにあるのだと思っていた。だがそれはとても近くに、身近にあったのだ。

探し求めていたために、私は近くを見ることができなくなっていた。探し求めるのは常に遠くに向かってであり、常に離れたところに向かってだ。しかしそれは離れてなどいなかったのだ。私は遠視になっていた。私は近くを見るという質を失っていた。私の目は、はるか彼方、地平線を凝視していて、近くにあるもの、身近にあるものを見るための質を失っていた。

努力の止んだその日、「私」もまた止んだ。なぜなら「あなた」は努力なしには存続できないからだ。あなたは欲望なしには存続できない、戦う事なしにはあなたは存続できないのだ。
自我・個我という現象は「もの」ではない、それはプロセスだ。それはあなたの中に居座っている実体ではない。あなたはその時どきにそれを作り出さなければならない。それは自転車を漕いでいるようなものだ。ペダルを踏めばそれはどんどん進むだろう、しかし踏むことをやめたならば止まってしまう。なおも少しは進むかもしれない。過去の慣性力があるからだ。しかしペダルを踏むことを止めるやいなや、事実、自転車は止まり始める。もはやそこにエネルギーはない。どこかに行こうとするパワーはないのだ。それは倒れて崩れ去ることになる。

自我が存続するのは、我々が欲望のペダルを踏み続けるためだ。何かを得ようとして戦い続け、自分自身をも飛び越えて行こうとする。自我の現象とは、まさにあなたがあなた自身を追い抜いて、未来や明日に向かって飛び越えようとすることだ。実在していないものの中に飛び込もうとすることが自我を作り出している。それは実在していないものからやって来るので、幻影のようなものなのだ。それは唯一欲望によって成り立っている。それ以外ではあり得ない。それは唯一渇望によって成り立っている、それ以外にはないのだ。

自我は現在の中にはない、それは未来の中にある。もしあなたが未来の中にいるのなら、自我はとても実質的なものに見える。あなたが現在にいるのなら、自我は幻影にすぎず、それはやがて消失し始めるのだ。

私が探求を止めた日・・・私が探求を止めたと言うのは正しくない、探求が止んだ、と言うのがより正しいだろう。繰り返して言おう、探求そのものが止んだのだ。なぜなら、もし私がそれを止めていたなら、依然として「私」がそこにある。そうならば、止めることは私の努力になってしまう、止めることは私の欲望になってしまう。そして欲望は、とても微妙なやり方で存続し続けることになる。
あなたは欲望を止めることはできない。あなたにできることは、それを理解することだけだ。まさにその理解が、すなわち止めることであるのだ。憶えておきなさい、誰も欲望を止めることなどできない、そして同時に、真実が起こるのは欲望が止んだ時だけだ、ということを。

さあ、これはジレンマだ。どうしたらよいだろう? 欲望は確かにそこにある。そしてブッダは言い続けている、欲望は止まなければならないと。そして息つぐ間もなく次のように続ける、あなたが欲望を落とすことはできないと。だからどうせよと言うのだろう。人々をジレンマに陥れたいのだろうか。彼らは確かに欲望の中にある。それは止まなければならない。わかった。しかし、それをあなたが止めるのではない。それなら何がなされ得ると言うのだろう。

欲望は理解されなければならない。あなたはそれを理解することができる。その不毛さを見さえすればよいのだ。直接的な知覚が必要だ。即座に見破ることが求められている。欲望を見つめなさい、それが何であるのかを。するとあなたはそれが虚偽であることを、それが実在などしていないことを知るだろう。すると欲望は落ち、同時にあなたの中で何かが落ちてしまうのだ。

欲望と自我は協力関係にある。両者は協働している。自我は欲望なしには存在できない。欲望は自我なしには存在できない。欲望は外に投影された自我であり、自我はまた内側に投射された欲望だ。それらは一緒であり、一つの現象の二つの側面にすぎない。

欲望が止んだ日、私は望みのない、救いのない状態にあった。望みがない、なぜならそこには未来がなかったからだ。望むべき何ものもない、なぜなら、望むことの一切が不毛で、それは人をどこにも導かないと分かったからだ。
あなたは円の中を進む。希望はあなたの目の前にぶら下がり、新たな幻影を創り続ける。それはあなたを呼び続ける、さあ来なさい、速く走るのだ、そうすればもう少しで到達できるよと。しかしどんなに早く走ろうとも、あなたが到達することはない。

そのようなわけで、ブッダはそれを幻影と呼ぶのだ。それは大地の向こうに見える地平線のようなものだ。それはそのように見える、しかしそれはそこにはない。もしあなたが進むならば、それはあなたから遠ざかり続ける。速く走ったならば、それは早く遠のいてゆく。ゆっくり行ったならば、それはゆっくりと遠ざかってゆく。一つのことだけが確かだ、あなたと地平線の間の距離はまったく同じであり続ける、ということが。あなたはその距離を1インチたりとも縮めることができない。

あなたは、あなた自身とあなたの希望との間の距離を縮めることはできない。希望とは地平線なのだ。あなたは自分自身を地平線と、希望と、投影された欲望と橋渡ししようとする。欲望とは橋、夢幻の橋なのだ。なぜなら地平線は実在などしていないし、それに向かって橋渡しすることなどできないからだ。あなたにできることは橋について夢見ることくらいだ。あなたは実在していないものと繋がることはできない。

欲望が止んだその日、私が欲望を見つめ深く了解したその日、欲望は単に不毛なものとなった。私は無力で望みのない状態にあった。しかしまさにその瞬間、何かが起こり始めた。何生にもわたって働きかけ続けたのに起こっていなかったそのことが起こり始めたのだ。
あなたの希望のなさにこそ、唯一の希望がある。あなたの欲望のなさこそが、唯一の達成なのだ。そして途方もない無力さの中にあって、突如、全存在があなたを助け始める。

それは待つことなのだ。あなたがあなた自身に働きかけている間は、存在はそれに干渉しない。存在は待つ。それは無限に待つことができる。なぜなら何も急ぐことなどないからだ。そこには永遠性がある。あなたがあなた自身のことにかかずらわなくなった瞬間に、あなたがあなた自身を落とした瞬間に、あなたが消え去った瞬間に、全存在があなたのもとに駆け付けて来る。あなたの中に入り込む。そして初めて、ものごとが起こり始めるのだ。

7日間、私はとても望みのない、救いのない状態の中に在った。しかし同時に何かが私の中で立ち起こりつつあった。望みがない、と私が言うとき、いわゆる「絶望」という意味で言っているのではない。それは私の中に単に、希望がなかったということだ。希望を欠いていたということだ。私が絶望して悲惨だったということではない。実際には私は、幸せであり、非常に穏やかで静かであり、落ち着いて中心に根付いていた。望みがない、しかしそれは全く新しい意味だったのだ。「望み」がない、だとすれば、どうして「絶望」があり得るだろう。両方ともが消え失せてしまった。
望みのなさは絶対的で全面的だった。望みは消え失せ、それと一対になっている絶望もまた消え失せてしまった。それは望みを伴わないという全面的に新しい体験だった。それは否定的な状態ではなかった。私は言葉を使わなければならないのだが、それは否定的なものではなく、絶対的に肯定的なものだったのだ。それはただ欠いていたということではなかった。実在が感じられていた。私の中で何かが溢れ出し、私を押し流していたのだ。

そして救いがない(無力である)と言う時、私は辞書的な言葉と同じ意味で言っているのではない。私は単に「個我がない」ということを言っている。それが、無力さということで私が意味していることだ。私は「私」がないということを認識した。それゆえに私は私自身に依拠することもできないし、私自身と言う地盤に依って立つこともできない。足元には地面がなかったのだ。私は深淵の中にいた、底なしの深淵の中に。しかし、そこには何の恐怖もなかった。なぜならそこには何の守るべきものもなかったからだ。そこには何の恐怖もなかった。なぜならそこには恐れを感じる当の者がいなかったのだから。

この7日間は途方もない変容、全面的な変容だった。そして最後の日、この全面的に新たなエネルギーの現存、新たな光と新たな歓びの現存はほとんど耐え難いほどに強烈となった。まるで私が爆発して行くようだった。まるで私は至福のために気が狂ってしまうかのようだった。西洋の新しい世代には、打って付けの言葉がある。・・・私は blissed out(幸福感に浸ること)した、stoned(酔った)したのだ。

そのことから、その起こっていることから、どんな意味を見つけ出すことも不可能だった。それはとても無・意味な世界だった。それを表すのは難しいことだった。それは範疇に入れたり、言葉や言語を使ったり、表現したりするには難しいことだったのだ。あらゆる経典は死んでいるように映った。この体験のために使われたあらゆる言葉もとても青ざめて血が通っていないように見えた。この体験はとても生き生きしていた。まるで至福の潮流のようだった。

その日一日が奇妙で、素晴らしかった。そしてそれは粉々に打ち砕いてしまう経験だったのだ。過去は消え去りつつあった・・・まるで一度も私のものではなかったかのように、まるでどこかで読んだことがあるものであるかのように、いつか見た夢のように、誰か他人が話してくれた他人の物語であるかのように、そのように消え去りつつあった。私は過去を失いつつあり、私自身の歴史から根こそぎにされつつあり、自伝というものを亡くしつつあった。私は、非在のものに、ブッダが「アナッタ(無我)」と呼んだものになりつつあった。境界が消え去って行った。区別するものが消え去っていった。心が消え去っていった。それは何万マイルも離れたもののようだった。それを捉えるのは難しかった。それはどこまでもどこまでも遠くへ駆け抜けて行った。そして私にはそれを近くにつなぎ止めておこうとする欲求もなかった。それらのすべてにただ無関心であったのだ。過去を継続させようという欲求はなかった。

夕方にはそれを耐えるのがとても困難になってきた。それは傷つけるもの、痛みのあるものになってきた。それはまるで女性が出産する時、子供が生まれ出ようとしていて、女性が途方もない痛みに、産みの苦しみにある時のようだった。

当時私は、夜12時か1時頃眠りに就いたものだが、その日、目覚めていることは不可能だった。私の目は閉じつつあり、開けたままでいることは難しかった。何かがとても差し迫っていた。何かが起ころうとしていた。それが何かを知るのは難しかった。おそらく、これが私の死になるのだろう・・・しかしそこに恐怖はなかった。私はその用意ができていた。

その7日間はあまりに美しいものだったので、私は死に行く用意ができていた。それ以上に必要なものなどなかった。あまりに至福に満ちていたので、あまりに満足していたので、もし死がやって来るのだとしても、私はそれを歓迎しただろう。

しかし何かが起こりつつあった・・・何か死のようなものが、何か劇的なものが。それは死なのかそれとも新しい生なのだろうか、十字架上の受難なのかそれとも復活なのだろうか。ともあれ何か途方もなく重大なものが、すぐそこまでやって来ていた。私は目を開けておくことができなかった。私は酔いしれていた。

私は8時頃に眠りについた。それは眠りのようではなかった。私は、パタンジャリが睡眠とサマーディは似ているところがあると言った意味を理解することができた。そこには一つだけ違いがある・・・サマーディにおいてあなたは完全に目覚めていて、かつ眠っているのだ。目覚めと睡眠は一つになる。全身はリラックスしていて、あらゆる細胞までもが完全にリラックスしている。すべての働きもリラックスしている。そして尚かつあなたの内側では、気付きの炎が燃えている・・・その炎は透明で、煙を出さない。あなたは油断することなく留まって、しかもリラックスしている。あなたは失われているのに、目覚めているのだ。身体は可能な限り深く眠っていた、そして意識はそのピークにあった。意識のピークと身体という谷間が出会っていた。

私は眠りに就いた。それはとても奇妙な睡眠だった。身体は眠っていた、しかし私は目覚めていた。それは全く奇妙だった。まるで一つのものが二つの方向に、二つの次元に引き裂かれているかのようだった。両極がそれぞれ完全に極り、そして私は同時にその両方であるかのようだった。陽と陰が出会っていた。睡眠と覚醒が出会っていた。死と生が出会っていた。それは、もしそう言うことができるならば、創造者と創造物が出会っていた瞬間だったのだ。

それは不可思議な体験だった。初めてそれは、あなたのまさに根元に衝撃を与え、基盤を揺さぶる。その体験の後では、あなたは決して以前と同じではあり得ない。それはあなたの生に新しい展望を、新しい質をもたらす。

12時近くに私の目は突然開いた・・・私が開けたのではない。睡眠が何かによって破られたのだ。私は部屋の中、私の回りに大いなる現存を感じた。それはとても小さな部屋だった。私は、私の回りに脈打つ生命を、ほとんどハリケーンのような大いなる波動を感じた。それは光と歓びとエクスタシーの巨大な嵐のようだった。私はその中に飲み込まれていた。

それはとてつもなくリアルなものだったので、あらゆるものがリアルではなくなった。部屋の壁は非現実となった。家も非現実となった。私自身の身体も非現実となった。すべてのものが非現実となった。なぜなら、今初めてリアリティーが現れたからだ。

そうしたわけで、ブッダやシャンカラは、世界はマヤだ、幻影だと言ったのだ。我々にとって、それを理解することは難しい。なぜなら我々が知っているのはこの世界だけで、比較する術を持たないからだ。この世界が、我々が知っている唯一のリアリティーだ。この人たちは一体何を言っているのだ? マヤ?幻想だって?この世界だけが唯一現実じゃないか。あなたが本当にリアリであるものを知らない限り、彼らの言葉は理解されない。それは理屈に留まるだけだろう。それは推測でしかない。たぶんこの人は、世界は非現実だという哲学を述べているのだろうと。

西洋においてバークリーが、世界は非現実だと語ったとき、彼は友人の一人と散歩をしていた。その友人は大変な理論家であり、ほとんど懐疑論者だったが。彼は道端の石を拾うと、バークリーの足をそれで思い切り叩いた。バークリーは叫び声を上げた。血が噴き出していた。すると懐疑論者は言った「世界は非現実なんだろう? そう言ったよな? それならどうして君は叫んだのだ、この石は非現実なんだろう? 叫ぶことなどあるまい。なぜ君は足を抱えてそんなに痛がり、顔には苦悶の表情を浮かべているのだ。そんなことは止めなさい、すべては非現実なのだろう?」

さあ、この手の人間は、ブッダが世界は幻影だと言ったその意味を理解することができない。それはあなたが壁を通り抜けられるということではない。そうではない。あなたがパンを食べるように石を食べられるということではない。ブッダはそんなことは言っていない。
彼が言っているのは、本当のリアリティーがあるということだ。一たびあなたがそれを知るようになると、このいわゆる現実はただ青ざめ、非現実なものになってしまう。高次のリアリティーが見えるようになると、そこに比較が生じるようになる。それ以外ではないのだ。

夢の中では、夢はリアルなものだ。あなたは毎夜夢を見る。夢見は、あなたがし続けている大きな活動の一つだ。もしあなたの人生が60年だったとして、ほとんど20年は眠りにあてられ、そのうち、ほとんど10年あなたは夢を見ているだろう。人生の内の10年もの間そんなことばかりをしていることになる。10年間もの絶えることのない夢見・・・ちょっと考えてみなさい。毎夜だ。そして朝起きるごとに、あれは非現実だったと言う。そして夜になると、あなたはまたしても夢を見、その夢はリアルになるのだ。

夢の中では、それが夢であると自覚することはとても難しい。しかし朝になればそれはたやすいことだ。何が起きているのだろう? あなたは同じ人物だ。夢の中では、たった一つのリアリティーがあるだけだ。どうして較べられるだろう? どうしてそれが非現実だと言える? 何と較べるのか? それが唯一のリアリティーなのだ。あらゆるものごとが非現実である時に、そこに比較はない。朝にあなたが目を開ける時、もうひとつのリアリティーがそこにある。あなたは今や言うことができる、すべては非現実だったのだと。このリアリティーに比して、夢は非現実なのだということだ。
そこに目覚めがある・・・まさにその目覚めに伴うリアリティー、それに比較すると、これまでのリアリティーはすっかり非現実になってしまうということだ。

その夜、初めて、私はマヤと言う言葉の意味を理解した。その言葉を私がそれまで知らなかったというのではない。その言葉の意味を知らなかったというわけではない。あなた方が知っているように、私もまたその意味を知っていた・・・しかし私は決してそれを理解してはいなかったのだ。体験すること無しに、どうして理解することができよう。
その夜、もう一つの別なリアリティーの扉が開かれたのだ。別な次元に手が届いたのだ。突然それはそこにあった。既存のものではない別個のリアリティーが、真実にリアルなものが。あなたは好きなように何とでも呼ぶがいい、神と呼んでもいいし、真理と呼んでもいい、ダンマと呼んでも、タオと呼んでも、何と呼んでも良い。実はそれは名付けようのないものだった。しかしそれは現存していた・・・伝えることができず、実体も見えない・・・しかし尚それは確固としていて、触れようと思えば触れることさえできそうだった。

部屋の中では、それは私をほとんど窒息させんばかりだった。それはあまりのものであり、私はそれをまだ吸収しきれないでいた。私はその部屋から飛び出してしまわずにはいられなかった。大空の下に・・・さもなければそれは私を窒息させんばかりだった。それはあまりのものなので、私を殺さんばかりであった。もしほんの数瞬でもそこに留まっていたなら、それは私の生きの根を止めていただろう、それはそれほどまでに見えたのだ。

私は部屋を飛び出し、通りに出た。大空の下へ、星々や木々や大地へと、私は激しく急き立てられていた・・・自然とともにありたいという。そして外に出るやいなや、窒息するような感覚は消え失せた。そのような大きな現象にとっては、その場所は小さすぎたのだ。その現象にとっては、大空でさえもが小さすぎた。それは天よりも大きかった。それは大空をも抜きん出ていた。しかしそこでは、私はだいぶ楽に感じた。

私は近くの庭園に向かって歩いていた。それは全く新しい歩みであり、あたかも重力は消えてしまったかのようだった。私は歩いていた、あるいは走っていた、もしかすると飛んでいるかのようでもあり、どうだったのかを判断することは難しかった。重力がなくなったかのように、自分の重さが感じられなかった。何かのエネルギーが私を運んでいるかのようだった。私は何か別のエネルギーの手の中にあった。

初めて、私は一人ではなかった。初めて私は個ではなくなり、一滴の水は大海の中へと落ちて行った。今や大海全体が私のものであり、私が大海そのものであった。そこに区切るものはなかった。途方もないパワーが沸き起こって来て、何であれやろうと思えば出来るのではないかとさえ感じられた。そこに私はなかった、ただパワーだけがあったのだ。

私は庭園に到着した。そこは毎日のように私が行っていた場所だった。庭園は閉ざされていた。夜には閉まっていたのだ。もう遅い時間だった。ほとんど深夜の1時だったろうか。庭園を管理している人たちは眠りに就いていた。私は泥棒のように庭園に侵入しなければならなかった。私は扉をよじ登った。何かが私を庭園に引き入れようとしていたのだ。それを止めることは、もう私の側ではできないことだった。私はただ運ばれていた。

それが、私がいつも繰り返し言っているように「川にただ浮かんで、川の流れを押さない」ということの意味なのだ。私はリラックスして、レット・ゴーの中に在った。そこに私はなかった。「それ」が在った、もしそれを神と呼ぶのなら神が、在った。私はそれを「それ」と呼びたい、なぜなら神というのはあまりに人間臭い言葉だからだ。それは使われ過ぎてあまりに汚くなってしまった、多くの人々によってあまりに汚染されてしまった。クリスチャン、イスラム教徒、聖職者や政治家たち、彼らはその言葉の美しさを台無しにしてしまった。そういうわけで、それを「それ」と呼ばせてほしい。その時「それ」が在り、私はただ運ばれていた。押し寄せる潮流によって運ばれていたのだ。

私が庭園に入った瞬間、すべては輝きとなった。あらゆる場所が祝福に、神聖になった。私は初めて木々を見た、木々のその緑を、その生命を、樹液が流れる様を。庭園全体が眠っていた。木々は眠っていた。しかし私は、庭園全体が生命に息づき、小さな草の葉っぱさえもが美を放っているのを見ることができた。

あたりを見まわすと、一本の木が、それはマウルシュリーの木だったが、途方もなく輝いているのが見えた。それは私を魅了し、私を側に引き寄せた。私がそれを選んだのではない、神それ自身がそれを選んだのだ。私はその木の根元に行って、そこに坐した。そこに坐ると、ものごとが落ち着き始めた。全宇宙が祝福となった。

どのくらいの時間私がその状態の中にいたのかを言うのは難しい。私が家に帰り着いた時、朝の4時頃だった。だから私は時計の時間にして、少なくとも3時間はそこにいたのに違いない・・・しかしそれは無限の時間であった。それは時計の時間とは何の関係もない。それは無時間であった。その3時間は、全きの永遠性、終わりのない永遠性となった。そこに時間はなく、時間の通り道もなかった。それは無垢な、汚染されない、触れることも測ることもできないリアリティーであったのだ。

あの日何かが起こり、それは起こり続けている。しかしそれは連続性としてではない。そうではなく、底流としてなおも起り続けているのだ。不変のものとしてではなく。瞬間ごとに何度も何度もそれは起こり続けている。それは瞬間ごとに奇蹟であり続けている。
あの夜、そしてあの夜以来、私は決して身体の中にはいない。私はその回りに舞い上がっている。私は途方もなく力強く、そして同時にとても壊れやすくなった。私はとても強くなった。しかしその強さは、モハメド・アリの強さではない。その強さは岩の持つ強さなのではなく、薔薇の花の持つ強さだ・・・それはその強さのなかにあってとても壊れやすく、繊細で、デリケートな、そのような強さなのだ。岩はそこに留まり続けるが、花はいかなる瞬間にも逝ってしまい得る。それでもなお、花は岩よりも強いのだ。なぜならそれはより生命に溢れているからだ。あるいはまた、草の葉の上の朝露、それの持つ強さがある・・・朝日に照らされたその美、その貴さ、そしてそれはいかなる瞬間にも滑り落ちてしまい得る。それは、その優美さにおいては比較にならない。しかしわずかなそよ風によって、朝露は滑り落ちて、それは永遠に失われてしまう。

ブッダたちは、この世的なものではない強さを持っている。彼らの強さは、全くもって愛のものだ・・・薔薇の花や朝露のように。彼らの強さはとても壊れやすく、傷付きやすい。彼らの強さは、生命の強さであって死んだもののそれではない。彼らの力は、殺すものの強さではない。彼らの力は暴力や攻撃性のものではない、それは慈悲の力なのだ。

しかし私はもう肉体の中にはいない。私は肉体の回りにまさに舞い上がっている。そしてそのようなわけで私は言うのだ、それはとてつもない奇跡であり続けている、と。いかなる時にも私は驚いている・・・私はまだここにいるのだろうか、いやそんなはずはない。私はいかなる瞬間にも逝ってしまっていたはずだ。それなのに尚、私はまだここにいる。毎朝目を開けるごとに私は自らに言う、「それでもまだ私はここにいるのだろうか?」 それはほとんど不可能に見える。奇跡はいまだなお続いているのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?