田中眞海老師 2

田中眞海老師 宝慶寺での20年間を語る
(宝慶寺だより より 平成29年10月)

当山廿年安居について
宝慶寺専門僧堂 堂長・田中眞海
 (※廿年;二十年)
 (※堂長;老師は住職とさえ名乗っていない、
あくまで僧堂の堂長、雲水のお世話係であるというのだろう)

 平成八年二月十三日、永平寺不老閣・宮崎禅師に拝顔した時、「お前は宝慶寺に出なさい(住職として入りなさい)」と仰いました。(当時、)五十七歳の不肖は、宝慶寺という古刹に入山する人は七十を超えた老古ばかりだと思っていたので、この時は、「少し考えさせて下さい」と申し上げてその場を下がりました。
 (※宮崎禅師;宮崎奕保(えきほ)禅師。前代の永平寺貫主。106歳で没)
 
 ところで、平成元年九月廿九日から、四国八十八ヶ所を巡拝し、その時に小豆島にも八十八ヶ所の霊場がある事を知りました。小豆島へは、時期が来ればまた廻る事もあるだろうと思っていました。不肖は、宝慶寺に入るや否やという問題を抱えた時、ふと小豆島のことを思い出しました。もしかすると解決の糸口が見つかるかもしれない、と思い立ち姫路港からフェリーで小豆島の福田港へと渡りました。巡拝三日目の朝、内海の港町歩いている時に錫杖(しゃくじょう)が「カチッ」と鳴ると、
〃先のことは考えず、日々の生活をお遍路様のつもりで過ごしていこう。いただけるものをいただいて、生かさせていただこう。それが、禅僧の心掛けで大切なところである〃
ということに合点がいきました。そして、すぐその足で、宮崎禅師の居る北海道札幌の中央寺へとお伺いしました。禅師に「宝慶寺の住職を受けさせていただきます」と申し上げましたところ、
「宝慶寺に入ると大体三年位で病気になり、五年くらいで葬式ばかり出している。お前は五十七歳と若く、托鉢もしているようだから是非とも宝慶寺へ行きなさい。人間はおだてにのる時はおだてにのらないといかんのだ」
と仰いました。

 それから丸廿年の歳月が過ぎ、薄福少徳の身が古仏の道場を護らせていただいております。毎月十三日は、当寺の御開山・寂円禅師の祥月(開山月忌)にあたりますが、この時に、曹洞宗の開祖である洞山良价禅師の自誡の偈を、香語としてお唱えさせていただいております。このようにして毎月、自己を点検しながら、修行を勤めさせていただいております。
 
 さて、この廿年間には、稀ながら芸術関係に縁のある者も居りました。その者には、滋賀県向源寺(渡岸寺)の十一面観世音菩薩の木像彫刻(の模写)を依頼しました。この十一面観世音菩薩が、此の度、廿一年目にして完成しました。人は、幼い頃からの夢を達成しようと努力します。しかし、大半の夢破れて、自分自身を泣き笑いする暴悪大笑面(十一面観音の後頭部にある一面)のような側面を抱えながら、一生を終えるのが現実です。また、国際社会の中で政治・軍事・経済・文化・芸術等々において鎬(しのぎ)を削り、いつの間にか相手が考えられないような苦しみを受けながら生きている、ということも現実です。一切衆生が救われるという大誓願のもと、この暴悪大笑面を拝むことができることは、なんとも有難いことなのです。
 (※木像製作者は村山木玄師。観音菩薩の後頭部には、爆笑する異様な顔面が埋め込まれている)
 
 今月十一日の夜には、十一面観世音菩薩の開眼式があります。また、その後には、皆様とともに世界和平の御霊(みたま)祭りをさせていただきます。どうぞよろしく、ご協力の程お願い申し上げます。合掌

   ※

宝慶寺をおいとましようとする時、老師は、木玄師に「十一面観音を見せてあげなさい」と指示された。
もう、境内は暗闇に包まれていた。
木玄師(スワミ・マジドー)は照明を点けて、詳しく説明して下さった。
後方に回ると、暴悪大笑面が異様な大笑いを見せていた。木玄師は踏み台を持ってきて、近づいて見るように促した。
「私は、ここに人間の邪悪な笑いを表現したかったのです。人間にはどうしても邪悪で残忍な一面があります。この邪悪さの正体は何なのでしょう。これはずっと私のテーマの一つであり続けています。」
「なるほど、それらを含めた全体性、聖も邪も含めた全体性を、この観音菩薩として表しているのですね。そこに救いがあるのですね」
「その通りです」
観音の正面の顔には、静謐な瞑想が、あらゆる繋縛を離れた沈黙が、吹き消された炎が表わされていた。
私は、「この横顔はOSHOによく似ていますね」と言った。
静かにうなずく木玄師。

明日は、琵琶湖の方に行く予定になっていることを告げると、木玄師は驚いて言った、
「この像は琵琶湖湖畔にある渡岸寺の国宝・十一面観音をモデルにしているのです。それなら是非立ち寄って見てください。ここでお会いするのも、今日でなければ難しかったでしょう、そして十一面観音。さすがにサニヤシンのタイミングですね」

こうして、次の日私は、渡岸寺の国宝・十一面観音に対面することになる。正直、マジドーの手になる宝慶寺の十一面観音の衝撃の前には、国宝もかすれて見える心地がした。
琵琶湖は、竹生島(ちくぶじま)が目的地の一つであったが、この渡岸寺は、竹生島に面した岸の側に立地している。この神秘の旅は、何かの意志によって仕組まれていたかのようであった。

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