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「経験」はどうやって作られているのか?


以前ご紹介した「過去は変えられる」という記事に関連するお話です。

突然ですが、「経験」とはなんだと思いますか?

息子の国語辞典(例解学習国語辞典第11版 ドラえもん版 小学館)を借りて引いてみたところ、

実際に自分で見たり聞いたり、やったりすること。また、それからえた知識や技術。

とあります。

私達は日々、多くの情報、そして、無数の出来事の中で生きています。

すべての事を意識的に認知しているわけではなく、自分が「選んだ情報」だけを抜き取って、そこに意味を与えています。

例えば、同じ絵画を見ても、受け取り方が千差万別だったり、

同じ小説を呼んでも、記憶に残ったところが人によって全く違ったり。

ある人は、オフィスに飾られた花が新しくなっていることに気が付き、「綺麗だな」と思うのに対し、また別のある人は、花がそこにあることすら気付かないかもしれません。

こうして、自分というフィルターを通して見た世界の中で、自分が意識的・無意識的に選び取った情報が、自身の経験となるのです。


では、こうした「経験」ですが、「ただの事象」が「経験」となり得るために必要なものがあります。


それは、「言語」です。


あらかじめ「経験」は存在している訳ではなく、言語によって「語られる」ことで経験が生まれます。

語っていくことで、枠組みが出来上がり、そしてそれが経験としてカテゴライズされていくのです。

例えば、

「過去に大恋愛した」

という経験があるとして、

その「大恋愛した」という経験は、事象を「大恋愛」という言葉を使って表現したので結果的に、「大恋愛した」という経験になりました。

これが、別の言葉、「身の破滅」という言葉を使って表現したのであれば、この人の経験は全く別の性質のものになります。

見たこと、聞いたこと、起こったこと、自体は、ただの出来事に過ぎませんが、言葉を使って認知する、表現することで、それが経験となっていくのです。


ここで、「過去は変えられる」というテーマに戻ってみると、言葉によって経験が作られるのだとすると、言葉を変えることによって、経験も変えられることになります。

言い換えると、過去のストーリーを修正していくことで、自分が今より更に心地よいストーリーと共に生きていくことが出来るのです。


私自身の体験になりますが、10年以上前、私はある人に「裏切られた」「騙された」と思い、深く傷つき、その人を恨むだけでなく、自己嫌悪に陥るような出来事がありました。

お互いが、信頼の上で成り立っていたと思っていた関係性が、そうではなかったと思った自分。

相手が悪者で、自分が被害者、と決めつけた自分。

悔しいし、なんて自分はバカなんだろう、と嘆いた自分。


10年前の私は、この事象に、

「自分が騙されて、悲しくなり、相手を恨んで、自己嫌悪に陥った」という言葉を与え、そうした「経験」として記憶しました。

それは長いこと、自分の中で暗黒の歴史とされ、負の出来事であった、と処理されていました。


しかし、それこそ10年越しに、あることがきっかけで、この認識が覆るということが起こったのです。

その思考プロセスが、新たなる結論を出すまでに、私は10年かかった訳ですが、その10年以上前に起こったことは、

私が試されている場だったのに、最後まで向き合わなかった

実はとるに足らないことだったのに、自分の経験不足だった

相手も自分の悪くなかった

相手のことも、自分のことも許してあげよう

そう、認識するようになり、

「騙された」のではなく、「チャレンジだった」と私自身の過去のストーリーが塗り替えられたのです。


私の場合は、自問自答を10年間繰り返し、ようやく書き換えられた過去でしたが、他の人に語ることで、自ら気付けることがたくさんあります。

一旦自分の外に声(言葉・経験)を出してみることで、

客観的にそのものを観察することができ、

それによって、物語を書き換えていくきっかけとなり得るのです。


言葉にすること、は本当に様々な可能性をもっています。

私のように自問自答したり、

文章に書いたり、

そういったことも然り。


でも、声を発し、誰かに聞いてもらう。

そのことで起こる気付きは、まるで落雷のように感じられることすらあります。

もし、変えたい過去の経験、書き換えたいストーリーがあるのなら、「語る」ことが大きな第一歩になることを、こっそりお伝えしておきます。





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