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聞いてもらいたい「声」とそれを聞くこと


「英国王のスピーチ(The King's Speech) 」という映画が公開されたのは今から10年前の2010年。

当時、私はカウンセリングを学ぶため、イギリスの大学院へ在籍していました。

その時、映画館に観に行った映画のひとつがこの「英国王のスピーチ」でした。


吃音症のあるイギリス王ジョージ6世が、オーストラリア出身の言語療法士ライオネル・ローグや家族に支えながら、吃音症を克服していく姿が描かれた史実に基づいた映画です。


その中で、ジョージ6世とローグが激しくやりあうシーンがあるのですが(そのシーンが転機となって、物語が進行していきます)、以下、そのシーンのやりとりが非常に印象的でした。


自信をなくしたジョージ6世と、戴冠式で王が座る席にわざと座って挑発するローグとのやりとり。(原文は映画のスクリプトそのまま、日本語訳は私の意訳です)

ジョージ6世「私の話を聞け、私の話を!(Listen to me. *Listen to me!*)」
ローグ「貴方の話を?一体なぜ?(Listen to you? By what right?)」
ジョージ6世「神の権利によってだ!私は英国王だ!(By divine right, if you must. I am your king)」
ローグ「いや、違う。貴方がそう仰ったじゃないですか。王になんてなりたくない、と。何故、貴重な私の時間を使ってまで貴方の話を聞けと?(No, you’re not. You told me so yourself. You said you didn’t want it. Why should I waste my time listening…?)」
ジョージ6世「何故なら私には聞いてもらう権利があるからだ。私にはちゃんと声がある。(Because I have a right to be heard! I have a voice!)」
ローグ「(少しの間)そう、その通り。(長い間)貴方には凄い忍耐力がある。貴方は私が知る中で、最も勇気のあるお方だ。貴方はとんでもなく素晴らしい王になれますよ。([pauses] Yes, you do. [Longer pause] You have such perseverance, Bertie. You’re the bravest man I know. You’ll make a bloody good king.)」

こちらのジョージ6世のセリフ。

「私には聞いてもらう権利がある」

「私にはちゃんと声がある」


本当にその通りだと思います。

誰にでも、内側に秘められた心の声があります。

それは、自分だけのものであることもありますし、

誰かに聞いてもらいたくても、表現したくても、

なかなか出来ずに、自分の中に溜められているものである場合もあります。


自分の中だけで完結しているように思えるその「声」や「思い」も、自分以外の誰かに、聞いてもらうことで、

生き生きとした実体を伴うようになったり、

癒やされたり、

前進する力に変容したり、

外に出してあげることで、その「声」や「思い」が急に現実を変えるパワーを放ち始めます。


これは、私が非常に大切にしていることでもあります。

聞いてもらいたい「声」がある。

聞いてもらうことで起こる「癒やし」や「変容」がある。


聞いてもらうこと、ただそれだけで、

多くの人は、

自ら何かに気付くことが出来たり、

誰か(自分の場合もあります)や何かを許すことが出来たり、

自分が受け入れて貰えた、と感じる事ができたりします。


話を聞くために、

ただ、その場に存在してあげる。

それだけで、相手の人には十分なのです。


決して、

アドバイスをしよう

とか、

代替案を提案しよう

とか、

自分の話にすり替えよう

などとしなくていい、いや、しない方がいいのです。


聞いてもらいたい人が求めているのは、

アドバイスでも

代替案でも

相手の話でもなく、

ただ、自分の話を聞くために、その場に存在してもらう、それだけの場合が非常に多いのです。


勿論、共感を表現したり、労うような言葉(それがプレッシャーになる方もいるので、注意が必要ですが)を、時と場合によって掛けて上げるのも、いいと思います。


The voice needs to be heard.

聞いて貰いたい声がある。


これは、紛れもない真実だ、と思っています。



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