見出し画像

『消しゴム山』に棲むヒトビト—出演俳優の3つの対話

人間の営みである演劇が「人間のスケールを脱する」ことはできるのか。モノとパフォーマンスするとはどういうことなのか。『消しゴム山』出演俳優の対話からその試行錯誤と実践が浮かび上がる——。

モノとパフォーマンスする—青柳いづみ×原田拓哉

スクリーンショット 2021-02-08 18.28.30

『消しゴム山』には金氏徹平の美術作品にも長く関わってきた美術家の原田拓哉が出演者として参加している。青柳いづみとは金氏のパフォーマンス作品『tower(THEATER)』以来、共演者として舞台に立つ関係だ。

原田  金氏さんの『tower(THEATER)』のときは内容的にも半分ノリと遊びみたいな感じだったんですけど、今回やっぱり岡田さんがいるので、そこはもう僕にとって、ピリリ感が全然違います。『消しゴム山』では何かを演じるという感じはないので、そういう意味では『tower(THEATER)』とそんなに変わらないところもあるんですけど。

青柳  そうですね。やってることはあまり変わらないかもしれない。『消しゴム山』の初演の稽古では、そのやってることがどういうことみたいなのが岡田さんによって言語化されて、方程式が出来上がっていくみたいな感じがありました。無意識でやっていたことに言葉が与えられることで、新しい発見があったり、余計に混乱したり。難しいこともいっぱい言うくるから……。

画像1

『消しゴム山』@KYOTO EXPERIMENT2019 撮影:守屋友樹

原田  そもそもやっていることが、本当は難しくないんですけど、でもすっごい難しいんですよね。考えるのを放棄したくなる。金氏さんも僕も美術系の人間で、モノを作るときにバランスを考えたり配置を考えたり、そういうのはもちろん言語化できる部分もあるんですけど、感覚にやっているところが大きい。「消しゴム」シリーズの稽古では岡田さんが言語化するのを聞いて、自分でも言語化して考えるようになるんですけど、ずっとやってると要素が膨大になってきて半分パニック状態みたいになってくる。それで感覚的なところに戻ったというのが今の状態です。

青柳   5月から『消しゴム畑』を延々と続けているうちに、みんな一回、あれ?って。どうしたらいいかわからなくなっちゃった時があって。初演の稽古から今までそういうのを何度か繰り返してる気がするけど。みんな最初の方は原田さんをけっこう参考にしてたと思うんです。俳優やってる人たちと考える回路が違うから、そっちの方が全然面白く見えて。俳優ってあんまり配置のこととか考えてないんじゃないのかなと思うことがよくあるんですよね。少なくとも原田さんみたいには考えてない。でも原田さんが人前に立つうちに段々邪念に駆られるようになってきて……(笑)原田さんうまくなりたいんですよね。

画像3

『消しゴム畑』@YouTube

原田  それはもちろんうまくなりたいですよ。岡田さんに褒められたい(笑) でも、何をもって「うまい」と言えるのかがわからないところもあって。『消しゴム山』って普通の意味での演技はしてないとも言えるじゃないですか。だから、いわゆる演技がうまくなりたいというよりは、作品のなかでちゃんと役割を果たしたい。『消しゴム山』はモノとヒト、金氏さんの美術も含めてたくさんの要素が集まって一つになってるという印象なので、その内の要素の一つとして僕がいられればという感じです。
『消しゴム畑』でひとりで家で悶々とトレーニングは積んできたけど、その成果がどうかはまだわからない。それが『消しゴム山』でみんなと会った瞬間にバーっと開く、みたいなことを期待しているんですけど……。

青柳  開くといいですね。逆にみんな久しぶりに会ってぎこちない感じになったりして!


「半透明」を体得する—板橋優里×米川幸リオン

『三月の5日間』リクリエーションのための若手俳優オーディションを通してチェルフィッチュ作品に参加するようになった板橋優里と米川幸リオン。「消しゴム」シリーズを通じてモノと関係をとるための演技メソッドとして共有されている「半透明」とはなんなのか。

スクリーンショット 2021-02-08 16.33.31

米川 「半透明」な状態ってどういうことなんだろうとずっと考えてたんですけど、ようやく自分なりの落としどころを見つけられて。初演の時は「ぼくがモノと関わる」、「ぼくがモノを使って半透明になる」みたいな自分本位なやり方でやってたんですよ。でも『消しゴム森』『消しゴム畑』を経て「モノがフィーチャーされるために僕がサポートする」っていうやり方に変わった。黒子役に徹するつもりというか。俯瞰すると、その状態が「半透明」だってことに気が付いて、それからはすごくやりやすくなりました。

板橋  最初はあまり深く考えないで、モノと仲良くなろう、仲間に入れてもらおうって心構えでやっていました。美術館の『消しゴム森』では物との関わり方が自分なりにパワーアップしたかもっていう瞬間があって。原田さんが持ってきたモノと私がお見合いする『彫刻演劇1』っていう部屋があったんですけど、そのときにただそのモノに同調するだけ じゃない、コミュニケーションを取りに行くってことでもない、そこに生まれる別の何かが あった。 何かこう、モノから来る周波数のようなものを受けとめて体に流すみたいな......。スピってるって思われたいわけじゃないんですけど、それはいつも岡田さんの演出でやってることとつながっている部分がもしかすると あるのかなと思えた。いつもは言葉から想像したものを体に流しながら演技をしてるけど、 「消しゴム」シリーズではモノからくる何かを自分なりに想像して体に流すイメージ。それを経験できて、半透明の挑み方も前進した感じがありました。

画像5

『消しゴム森』@金沢21世紀美術館「彫刻演劇1」

——  「半透明」がうまくいった瞬間というのは他の人とも共有できるものなんでしょうか?

板橋  美術館で『消しゴム森』をやったときに、私たちがひたすら半透明する部屋があったんですけど。うまくいった!ってときはお客さんからすごいバシャバシャ写真を撮られて。やっぱりお客さんも分かるんだと思います。一方で、 オンラインの『消しゴム畑』のパフォーマンスをやっているときは、本当にこれ誰か見てるのかなみたいな気持ちになってくる。もし、誰にも見られていない状態で家の中でひとり半透明をやっていたら結構すごいことですよね。ちょっとこわい。オンラインだと他の人の反応が分かりにくいっていうのもあって。そういう意味では『消しゴム森』と『消し ゴム畑』では全く違う感覚がありました。

米川  『消しゴム森』の時に、写真めちゃめちゃ撮られて、「あれ?半透明ってこれであってるんだっけ?」って思ったことは、ぼくにもありました。かといって撮られなかったら、それはそれでショックなんですけど。え、今のぼくの半透明はキマってないのかなって気になっちゃう。さっきまでいっぱい撮ってたのにぼくの番では二、三枚カシャカシャって撮っただけで終わって、あれ?みたいな。キメたつもりでも撮られなかったときは「いや、これだって間違ってるというわけではない」って自分に言い聞かせてました(笑) でもやっぱりぼくの中で「半透明」がうまくいったって思えたとき、それに比例してシャッターの数が増えるっていうのは実際にあったんですよね。だからやっぱりお客さんも「半透明」っていうのを共有しているんだとおもいます。


板橋  『消しゴム森』では映えにいってるみたいなところもあったかもしれない。美術館の空間でやると何でもOKな感じがけっこうあって。

画像6

『消しゴム森』@金沢21世紀美術館

——  東京公演に向けて

板橋  今回は感染症対策で客席の半分しかお客さんを入れられないので、客席も半分は モノがあったら面白いですよね。でも椅子もモノなので、今回はそう思って挑もうと思います。

米川 だから僕たちは、実際に観客の半分は人でもう半分はモノっていう空間で演劇をやることになる。舞台上の「消しゴム」の世界がすでに客席にも広がっている。そう考えてもいいのかもしれない。そして、そんな環境で行われる上演ってどんな感覚なんだろうって楽しみです。

全部と「半透明」になる——安藤真理×矢澤誠

無題11_20210209103849

これまでのチェルフィッチュ作品にも数多く出演してきた安藤真理と矢澤誠。「消しゴム」シリーズとこれまでの作品との共通点と差異とは。

安藤  チェルフィッチュの舞台でやってきたことという意味では、舞台の上がどういう場所かということはあまり変わってない気がするんですよね。常に客席とつながっている、今起こっていることをその場、たとえば劇場というその場所から離れないでやるということは変わってなくて。「消しゴム」シリーズでやっていることというのは、今までのチェルフィッチュの舞台でもやってきた、でもメインじゃなかったことを今回はメインにしてやっているという感じがします。

矢澤  人間中心ではないという作品のコンセプトをどう表現していくんだみたいなときに、俳優のアプローチのひとつとして、観客に向けないというところからはじまって。それがやっぱりすごく大きい違いでしたね。
モノと「半透明」になるって言っても、本当はそのときに相手にしてるのはそのモノだけじゃない。モノだけじゃなく、その場所だったり、もっと言えば岡田さんのテキストやそこからくるイメージとか、自分の動きも含めてその場で起こってること全体と「半透明」になるみたいなことができるんじゃないかと思ってます。そうすると「半透明」って、その場その場で作っていくみたいなことになるんですよね。だからその都度やらないと、これこの前半透明になったから今日も半透明になるなみたいな形でやると「あれ?」みたいなこともあります。

安藤  『消しゴム畑』のときに矢澤さんが、タオルを畳んでただその上に乗るってパフォーマンスをやってて、それがすごく印象に残ってるんです。それで「半透明」がが成立するのって、やる方の態度が大事だと思うんですよ。「半透明」になるときって相手のことを理解することが必要で。何かとうまく「半透明」、同列な関係になるには、自分をこういうふうにした方がいいっていう方向性が必要なので。

無題12_20210210112706

『消しゴム畑』atロームシアター京都 より

矢澤  当たり前だけど自分が主、主語というか、自分がまずそこにいてっていうところから、演技だったり、何かそういうものを始めてしまいがちで、そしてそれはそれで全然悪いことではないと思うんですけど、そこと違うところで何かをやるっていうことが安藤さんの言う消しゴムでの「態度」ということなのかなと思います。

安藤 今回、バリアフリーの試みが色々あるのが楽しみなんですけど、それは、舞台を見ている人は舞台上の見ている対象だけじゃなくて自分の客席周りのことにも影響されるだろうと思うんですよ。それもさっきの空間とか環境という話とつながってくる。
『消しゴム畑』は映像なんで家で見るじゃないですか。そうすると、外から聞こえる子供の声とか、自分の部屋のことに意識がいったりとか、自分がそれを見ている環境にまで意識がいくのが面白かった、自分の見ている部屋も込みで畑が成立してたって感想をくれた友達がいて。
ほとんどの演劇は静かに客席で見てるじゃないですか。ゴソゴソする人にはちょっとイラッとしたりするかもしれない。でもそれも受け入れられる状況っていうのがバリアフリーで。家で『消しゴム畑』を見ているときの環境が劇場の客席にも生まれるみたいなことが起きるかもしれない。見てる人の意識がより広がるというか、舞台と自分のことだけじゃなくて、自分のいる劇場のこと、そこにいる人のこと、もしかしたらこの舞台上や劇場にはいない、外の人やモノのこととかも考えたりする空間になるんじゃないかなと思っています。

画像9

『消しゴム山』@KYOTO EXPERIMENT2019 撮影:守屋友樹

(取材・文:山崎健太)

チェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム山』東京公演
2021年2月11日(木)〜2月14日(日)
会場:あうるすぽっと【豊島芸術交流センター】
2/11(木) 17:00
2/12(金) 12:00/ 17:00
2/13(土) 12:00★/ 17:00☆
2/14(日) 14:00☆
★:鑑賞マナーハードル低めの回、☆:ライブ配信あり

☆ライブ配信「消しゴム山は見ている」
「消しゴム」のコンセプトを体現する独自のアプローチでお届けするライブ配信は、劇場では体験できないもうひとつの『消しゴム山』です。
お取り扱い:ローチケLIVE STREAMING https://l-tike.com/play/mevent/?mid=563763

特設サイト:https://www.keshigomu.online



イベント制作やバリアフリー化などご相談はお気軽に💬 https://precog-jp.net/contact/ 会社資料のDLは📑 https://precog-jp.net/wp-content/uploads/2020/08/precog_fixed_DL.pdf