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レモン・シャーベット

年々、暑さが増して行くような夏だ。

私の職場の窓からは、向かいの公園でランチを食べている社員が目に入る。
彼らの目の前には噴水があり、目には涼やかに見えても多分水はぬるま湯に近いだろう。何より木陰でも十分暑いのに、よくあの場で食べる気になれるものだと思う。

昭和頃の日本では37度なんて気温、なかったはずだ。
だからと言って、地球温暖化だのと色々言いたくない。もちろん大事なことなのは判ってる。
ただ、今それを考えるには暑すぎる。この暑さが落ち着かないまま考えてしまうと、体はもとより脳みそが沸騰してしまう。とりあえず、私も気分を変えてランチを食べよう。先ほどコンビニで買って来たばかりなのだ。その時のことを思い出すと笑顔になる。


そのコンビニは会社のすぐそばにあり、時折利用している。
そこまでの道のりで既に汗だくになったが、コンビニの中は冷風の天国のようだった。
涼しい顔をした若い女性店員が、髪をひとつに纏め、背筋を伸ばして接客している。それだけでも涼しさが増すほど爽やかだった。
私は暑さで食欲がなかったけれど、食べなければ力がつかないので、おにぎりがふたつと軽いおかずが入った小さめのお弁当とお茶とスタミナドリンクをカートに入れ、涼やかな彼女の前に置いた。
「いらっしゃいませ」
高音で若い人独特の張りのある声に、40代の私なんかは思わず新鮮さを感じてしまう。
彼女は余計な口を利かず、器用そうな長い指で商品を袋に入れ、慣れた速度でレジ打ちを済ませ、値段を告げた。私はちょうどの金額をトレイに乗せた。

「外はまだ暑いですか?」

彼女が突然話しかけて来た。驚いた。
これまでクールでとにかくマニュアル以外は話しません、という雰囲気だったからだ。
「あ……、はい」
咄嗟に返事をすると彼女は続けた。
「明日はもっと気温が上がるそうですね」
「あら、そうなんだ。続きますね。気をつけましょうね。お互い」
「本当にですね」
マスク越しでも判る少し困った笑顔が人懐こかった。
そして、そのほんの少しの何でもない会話が予想以上に私の心を解きほぐしてくれた。その後は、マニュアル通りの挨拶で送り出してくれた。
コンビニを出ると息苦しいほどの真夏の気温が体を包み、うんざりする。
けれど、どこからか吹いて来る風は涼しく感じた。


はっと我に返り、ペットボトルのお茶を開けて口に運んだ。
社内には私ひとりだけだった。今日は昨年まで祝日だった日なのだが、
日本きってのイベントのおかげで突如平日に変更され、既に休みを取っている社員が多く、出勤する人数が少ないせいだ。その代わり、私は明日休みをもらった。私ひとりしかこうして残らないくらい少ないのなら、コンビニで甘い物でも買えば良かったな。
しん、とした職場には空調の淡い音だけが響く。
それはとても私を落ち着かせ、普段は思わないようなアイディアも浮かぶようで、なかなかいい時間だと思った。彼女との会話がくれた健やかな感情を憶えておきたくて、何かしるしになるような物を仕事を終えたら帰りにまたコンビニに寄って買おう。

私が退勤の時間にはもう、先ほどの彼女は労働を終えているだろうけれど、
またいつか会えたら、私はとても嬉しいです。

そこでしるしになる食べ物を思いついた。
レモン味のシャーベット。あの彼女によく似ている。


〈 了 〉

※ ※ ※

お久しぶりです。おなじみ(?)コンビニシリーズです。
最初は「私」は「僕」でしたが、急に女性に替えたくなりました。
日常のふとした、そんなにぐいぐいと押してこない会話をできる人っていますよね。
そんな爽やかな人に会えた日は何もかも景色が変わり、素敵に思えます。
そんなちいさな事柄をこれからも探していきたいと思い、書いてみました。
ご一読いただき、どうもありがとうございます。

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