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解き放つ

 花の首を落としてしまった。

 活けるのに慣れていないせいだ、と言い訳をしてみるけれど何度目だろう。いつも活ける時に力を入れ過ぎてしまう。落としてしまった花の首にごめんね、と言ってからゴミ箱に捨てた。
 四苦八苦しながらも、何とか私なりに何種類かの花をひとつの花瓶に納めた。そう、活ける、ではなく、納めた、という言葉の方が似合う歪な仕上がりだった。

 慣れないことをしているのは、亡くなった母の仏壇に供えるためだ。
 母は花が好きで活けることも上手だったけれど、私は母とは逆で花なんて誕生日や何かのイベントでもらう以外、その存在すらあまり考えたことがなかった。飼い猫のミーにとっても毒になる花があるので選択肢も狭まる。唯一、私の大好きな百合の花も猫には毒だと言うし。そんなミーは突然、家に現われた見慣れない仏壇や仏具に興味津々なので、花と共にいつもこちらが目を光らせている。

 とりあえず、これからは私とミーだけになる。
 死んだ母はずっと入院していて、家にはいなかったけれど、それでも生きていた。人がひとりこの世からいなくなる、というのは、生きている者とのつながりのようなものが決定的に途切れてしまうものなのだ。世界が母ひとり分広く感じる。あんなに毎日入院費や洗濯のことを鬱陶しいとまで考えていたのに、もうその相手は存在しなくなってしまったのだ。そんなことを考えながらぼんやりお線香の煙の中に佇んでいると、部屋の扉を外からカリカリと引っ掻く音が聞こえた。
「あ、ごめん、ミー、お腹すいたね」
 私はすぐに立ち上がってミーを仏間に入れないよう気をつけて扉を開け、ミーを抱っこした。ミーは私に染み付いた線香の匂いをくんくんと嗅いだ。

 ミーにごはんのカリカリとお水を出して、食べる様子をじっと見ていた。
「毎日同じものなのに、美味しそうに食べるね」
 思わず自分の口から出た言葉に、母がまだ家にいた頃作っていた介護食を思い出した。入院してからは作ることはなくなったが、入院が決まる数日前、持病のせいでどんどん胃が弱くなり、食べるものが限られてきて、とことん柔らかくした野菜を更に崩したり、とろみをつけたり工夫した。それでも味が気に入らないと「お腹がいっぱい」と言って食べてくれないこともあり、あっという間に栄養が偏って貧血で倒れ、骨折したのを機に入院が決まった。
 母を病院に送った日、ミーのお水を替え、私も何か冷たいものでも飲もう、と台所に行くと、母に食べてもらうために試したあらゆる介護用の食器やスプーンが洗い物のかごにどっさり入っていて、そのカラフルなおもちゃのような介護用品を見ていると、一瞬、目眩がしたのだった。いつか母が退院した時に使うかも、と取っておいていたけれど、現在の私には必要がない。捨ててもいいのだろうか。

 しんこきゅうしよう だいじょうぶ

「え?」
 一瞬、ミーが喋ったのかと思ったが、ご近所が流している音楽が風に流れて聴こえて来たのだ。ミーがごはんを食べ終えて私の顔をじっと見ていたから、余計にそう思えたのだろう。

 これからは じぶんのために じかんをつかおう
 だいじょうぶ だいじょうぶ 
 いつも きみを みまもっているから

 ミーはこの曲が流れている間、その不思議な瞳の色でずっと私の顔を見ていた。だから、もしやこの歌詞はミーを介して母が私宛に言伝を伝えてくれているのではないだろうか、なんて思った。
 そうだね。これからはミーとふたりで暮らしていくんだもんね。お母さん、見守っててね。不器用な私とミーを。ミー、気持ちいい風を感じるみたいに無理をしないで生きて行こう。お母さんもそんな暮らしが好きだったよね。

 そうだ。もしもまた花の首を落としてしまったら、水を張ったお皿に浮かべてみよう。自由に活けて花には存分にきれいだと誇ってもらおう。母を看ていた時に凝らしたたくさんの工夫や発想を、今度は自分の人生のために使ってみようか。ねえ、ミー。



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お花を活けるのは本当に難しい。
購入時はお花屋さんで、良く見えるように束ねてくれているから見栄えも良いのだけど、家でゴムやラッピングを外し、バラバラにしたらバランスが悪くなったりしてお花屋さんで見た花とは別のものになってしまう。

現在もお花をきれいに見せる活け方には手こずっているけれど、この主人公のように花が嫌いではないので楽しく勉強中です。物語は、ところどころ母の実像のようなものが混ざり、その中には在りし日の猫たちの姿もふと見えるようで相変わらず上手くはない掌編ですが、今の私を素直に書けたような気がしています。どんな形でもこの想いはどこかで書かなければならなかった。書けて良かった。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

幸坂かゆり

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