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完璧なエゴイスト

僕はファンシーな物は受け付けない。
待ち合わせている彼女は僕の苦手なその類の物が好きだった。最初は……恋のせいで瞼を閉じてしまったのだ。けれど時が経ち彼女の好きな世界が判った頃、ついて行けないと思った。好みの問題だから彼女のせいじゃない。ただ僕には無理だ。合わせられない。だからそれぞれの道を歩むしかないと思い、今日こうして彼女を待っているという訳だ。それにしてもうるさいカフェだ。店内を見回してみる。いかにも彼女が好きそうな犬も同伴できるという場所。ログハウスで沢山の花が飾られていて甘い香りが漂い、カップには店のロゴと可愛らしい模様が入っている。周りも女性客だらけで落ち着かない。おまけに禁煙だ。早い所、彼女に来てもらって出るしかない。彼女はすんなりと別れ話に頷いてくれるだろうか。

そんなことを考えていると間もなくドアベルが鳴り、彼女が店に入って来た。僕はすぐに椅子から立ち上がり、出よう、と促したが彼女は余裕すらあるようなきつい眼差しで僕を見た。思わずたじろいで椅子に座り直した。彼女はメニューを指差してウェイトレスに注文をした。甘そうなクリームがたっぷり乗った飲み物の写真が載っていた。僕の前には既に冷めかけているコーヒーがある。彼女の飲み物を待つ間に話を済ませようとした。

「話はわかってるからいいわ。さよならなんてわざわざ聞きたくない。その代わりこれを受け取って欲しいの。最後のプレゼントよ」
なんて迷惑な提案だ。目の前に差し出された小さなバスケットに僕は眉を顰めた。
「その顔があなたの本当の姿なのよね。いつもの優しそうな顔はただの演技だったのね……。」
頼むから泣き出さないでくれよ、と思いながら彼女の視線を逸らすようにバスケットの中を覗き込んだ。中を見て僕は腰を抜かすほど驚いた。中には仔猫が入っていた。
「どういうつもりだよ。僕は動物なんて、しかも猫なんて大嫌いだって君も知っているだろう?」
「だからよ」
「なんだって?」
「あなたが唐突にメールで別れを匂わせて、しかも、少し見下すような態度で言ってきた時、私がどんなに傷ついたか判る? これは復讐。それからその仔猫、ペットショップで買って来た子だからその辺の野良にしちゃだめよ。ああ、プライドの高いあなたならそんなことしないわよね」

たっぷりと皮肉を込めて彼女が言うと運ばれて来た飲み物も口にせず、素早く席を立った。僕は慌ててバスケットを抱え、後を追おうとしたが、そんな時に限ってグラスを倒したりして行動がせき止められ、結局僕の手に残ってしまった。仕方ない。後で連絡を取って引き取ってもらおう。まずは部屋に戻って落ち着かなければ。何と言ってもこのバスケットの中にあるのは命なのだ。

僕は車の助手席にバスケットを置き、落ちてしまわないようにバスケットごと丁寧にシートベルトを締めて車を走らせ、自分の部屋に戻った。運転中は気が気じゃなかった。停電でも起こして道が機能しない時なんかよりずっと生きた心地がしなかった。

とりあえず部屋の片隅にバスケットを置き、途方に暮れる。仔猫は慣れない場所のせいかバスケットをガタガタと揺らし、その中で暴れていた。するとその反動で金具が外れて仔猫が出て来てしまった。狼狽した。まさかあんなに小さな手でバスケットの扉を開けるなんて思いもしなかった。しかしどうも仔猫の方は落ち着いていて悠然と部屋を歩き回る。そして、ちらりと僕を一瞥して軽くジャンプすると僕がいつも眠るベッドの上に上った。
「おい、そこはダメだ!」
柄にもなく怒鳴ってしまった。仔猫は僕の声など耳に入っていないように丸くなった。恐る恐る抱いて下ろそうとすると仔猫は毛にまみれた丸い両手の先で僕の手を掴んで引き寄せた。細い三日月のような爪を少しだけ立てて。痛くはなかったが僕はとにかく慣れていないので声にならない悲鳴を上げた。仔猫は僕に首を撫でて欲しいらしく自分から摺り寄せてくる。また僕は仕方ないと思い、首を撫でてみるとごろごろと喉を鳴らした。またしても動揺して手を離すと、声を出さずに口だけ開いて鳴く振りなんてする。僕を見つめる神秘的な瞳の色にしばし見惚れていると、どっと疲れてベッドに横になった。

気がつくと陽が暮れていた。
ふと温かい感触を胸の辺りに感じて視線をやると、仔猫は僕の胸を枕にして無防備に眠りこけていた。改めてじっくり観察してみる。茶色と白の混じった柔らかい毛並み、大きな耳。アイラインを引いた線のように閉じた瞼。一瞬、僕の視線を感じて目を開けたが、またすぐに眠りに落ちた。僕はやはりファンシーな物は嫌いだ。それを知っていて彼女はこうして僕を困らせるように仔猫を僕に託したのだろう。たったひとつ計算が外れたとも知らずに。仔猫は雌でクールだった。僕を恋に落とすのも簡単なほどに魅力的だった。



《 Fin 》

初出 2004年頃

解説
今読むとエゴイストの彼は嫌なヤツですね(笑)
しかしこういうヤツも仔猫ちゃんには弱いのだ、と言う猫好きにとっての最強のメッセージでございます。初期の大澤誉志幸さん像はこのようにニヒルで「面倒な女は勘弁してくれ」的な要素が大いにありました。この物語は色々な部分を端折って書いたので後にこの男は猫を捨てたりしないか? など心配されないか、と思いましたが、実はこういう顛末だったのだということでひとつ……。

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