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What Can I Do

 そのホテルのラウンジからは、湖が一望できた。
 夏に近い爽やかな気候のその日、オレは高校時代の同級生で、海外を拠点に仕事をしている友人が一時、日本に帰って来ると連絡を受け、らしくなくこんな場所で待ち合わせをしていた。何もこんな高級感のある場所じゃなく、その辺のファストフード店でもいいじゃないか、と心の中で毒づきつつも、友人がこのホテルのラウンジを待ち合わせ場所に指定して来たのだから仕方がない。気持ちを切り替えて、慣れない雰囲気の中、コーヒーを注文した。程なくして友人である彼がやってきた。

 遠目から見ても周りにさざ波を起こすほど彼は美しい姿をしていた。
 それは学生時代から変わらない。彼が歩くだけでその場はモデルのランウェイと化すようだった。その彼が軽く片手をあげてオレのいる席に来た。彼がすぐさま麻のジャケットを脱ぐと、ふわりと上品な香りが漂う。椅子に座り、足を組む。その一連の手慣れた仕草に、一瞬見惚れた。

「久しぶりだな。元気にしてたか?」
 変わらない口調で彼はオレに話しかけた。
「元気だよ」
「男二人でこんな所に昼間っからいるっていうのもおかしなもんだな」
 屈託なく彼は笑う。しばらくしてホテルの制服を凛と着こなしたボーイがオーダーを取りに来た。
「シェリーを」
「かしこまりました」
「飲むのか?」
「ごく軽く」
 そう言いながら彼は視線を滑らせ、ゆっくり見渡すように窓に目をやった。
「いい天気だ。こんな日はこうしてゆったり過ごすのが一番だな」
「忙しいのか」
「昨日まではな。でもすべて終えた。今こうして日本に戻ってきたら安心する」
「安心ね……。たくさん泣かせてきたんだろう」
「まあな」
 臆面もなく言う。
 彼はとにかく色んな人間を夢中にさせる。誰が見ても見惚れてしまうその長い睫毛から覗く瞳で相手を見つめ、いたいけな唇から紡ぎ出される言葉で相手を抱きしめ、しなやかな長い指に狂わされる。それなのに彼は容易く、糸をほどくように去ってしまう。
 何度、友人というだけで彼と関係を持った女性から咎められたか。とばっちりもいいところだ。けれど彼はさほど気にすることもなく、そんな自分を利用し簡単に女を弄ぶのだ。その数たるや、数えたことなんてない、などと、さらりと言ってのけたりする。
「そんなことをやってるとフェミニストが黙っていないぞ」
「そんなことを言う奴は既にフェミニストじゃない」
 そんな会話もしたことがあったな、としみじみ思い出していると、彼の前に宝石のような赤いシェリー酒が運ばれてきた。透明なグラスは陽射しを浴びてテーブルに揺らめく影を作る。空調ではない自然な風が舞い込み、重厚なカーテンを震わせる。彼は頬杖をついて柔らかな表情でその風に目を細める。それだけで切ない表情になり、既に恋の雰囲気を周囲に振りまいているようだ。

「なぜ急に日本に?」
「結婚するから」
「結婚?」
 オレは驚いて思わず身を乗り出した。
 テーブルががたりと音を立ててシェリーが軽く踊った。彼は声には出さず、一瞬だけ目を閉じて頷くだけだった。彼の指に持ち上げられた華奢なグラスは彼の唇に口づけるようにあてがわれた。
「一番似合わないな。立ち入ったことを聞いて申し訳ないが、もしかしてお相手は妊娠してるのか?」
「してないよ、惚れたから一緒になりたいと思った。それだけだ」
 一体どんな相手なのだ。オレにしてみたら、彼が恋と呼ぶものなんてゲーム感覚としか考えていないんじゃないかと思っていたのだ。そんな男に結婚という決意をさせてしまう女は一体どれほどの女性(ひと)なのか。
「普通の女性だよ」
「おまえには普通に見えてるかも知れないが……」
「本当に普通なんだって。考え過ぎだよ。一緒にいたら安心するんだ」
 そう言いながら、ふっと口先で笑う。
 憎らしいほど様になる。
 
 オレはと言えば、過去に何度か彼のお下がりなんて言われた女とつき合ったことがあったが、こともあろうに振られてしまった。あなたは面白くない、なんてことも言われた。たった一度、数時間ドライブしたくらいでオレの何がわかると言うのか。しかもその女は帰り際、彼ともう一度連絡が取れないかとオレに訊いてきた。プライドも何もかもめちゃくちゃになった。この男のせいで。あとでそれを話すと唇の端に笑みを浮かべて『それはお気の毒に』などと憎らしいことまで言われた。『どっちに言ってる?』怒りの収まらなかった当時のオレは彼に詰め寄った。『どちら様にも』と言った彼は、ベッドに座って足を組んで煙草を吸っていた。そんな余裕すら怒りとなり、そのきれいな顔を殴って傷をつけてやったら、さぞ、すっきりするだろうとも思った。彼は別に空手や柔道やボクシングなどできる訳でもないのだし、多分オレが殴りかかったら吹っ飛ぶだろう。普通の人間なのだから。けれどできなかった。何故だか煙草を吸い終わるまで、ぼんやりとその横顔を睨むこともなく眺めていた。こいつはこういうやつなんだと、そう思えて、まるで絵画を見るような気持ちになった。その悟りの境地のような感情に達した瞬間から、急速にわだかまりは消え、オレたちは芯から仲良くなったのだ。

「わざわざ日本に来て結婚か。どんな豪華な披露宴なんだ?」
「披露宴はしないよ。教会で挙式をしておしまい」
「相手は納得したのか?」
「彼女がそう望んだ」
「おまえが従ったのか?」
 オレはコーヒーカップを手にしたまま、言葉が出てこなかった。そんなオレを見て彼が困った顔をした。
「普通に考えてくれよ。どんなに過去に遊んでいたって、結婚相手、増してや愛する人とはきちんと話をするよ」
「オレはてっきりおまえが六十代になっても七十代になっても女を欠かさない色男でいると思っていたんだけどな」
「考え過ぎだ。所でおまえは?」
「二年前に結婚した」
「おめでとう。知らなかった。申し訳ない」
「二年も前だ」
「祝う気持ちに年月なんて関係ない。おまえのきれいな心を射止めた女性はどんなひとだ?」
「嫌味か?」
「まさか。式を控えた新郎にはとても興味のある話題なんだが」
 彼がそう言うと変な感じがした。
「まあ、おまえは見飽きたとは思うが、とてもいい子だよ」
「そうか、似合うと思うよ」
 何か一言、からかいの言葉が返ってくるかと思ったが、真顔でそう言うので拍子抜けした。
「おまえはとても心がきれいだ。オレは学生時代、おまえのそのまっすぐで、正義感が強くて、友達を大事にする姿に、実は憧れていたんだ」
 しかし彼はそんな言葉も笑いながら話すので、つい、からかわれていると思ってしまう。そんな考えが見透かされたのか彼は急に身を乗り出し、真剣な顔をして言った。
「おい、真面目に聞けよ。オレのお遊びなんて頭のいい子にはすぐにバレたんだよ。自分が見えなくなって恋と勘違いしてオレに依存するような子だけが鬱陶しく会おうとしつこく言ってくるんだ。そんなことも言わず、多分オレに愛想を尽かして、挨拶ほどの言葉しか交わさないまま、いきなり目の前から消えてしまうような上等な子は、みんなおまえに目を向けていたんだ」
 そんな話は、たった今初めて聴いた。故に戸惑う。
「……口惜しかったよ。中には本気で好きな子もいたんだ」
「なぜその本気をその子に出さなかったんだよ」
「出せなかった」
 彼は俯いた。

「きれい過ぎて、壊しそうで、手を出せなくて諦めてしまった。そんな経験はないか?」
 まさか彼も人並みにそんな恋を経験していたなんて知らなかった。
「言い過ぎたな。誰にでも事情ってものがあるよな」
「まあな」
 自分もそうだ。すべて彼のせいにして来たように言ってきたが心底嫌いになれずに、こうして会っているのだ。今日と言う日が来るのもとても楽しみにしていた。彼もそう思ってくれていれば嬉しいと思う。
「だから、おまえも祝福だと思って一杯くらい付き合ってくれよ」
「そうするか」
 オレはコーヒーカップを脇にやり、ボーイを呼んだ。
「はい。ご注文は?」
 そして、心の中だけで呟く。
「目の前にいる彼を」



《 Fin 》

2006年5月26日
解説
こちらも大澤誉志幸さんの曲から想起した掌編で、既にタイトルも歌詞から拝借しています。当初、この掌編を以前のブログに載せたところ、「これはボーイズラブですね」と感想をいただいたことがあった。今でこそBLはジャンルのひとつとなり、気軽に読めるけれど、当時の私はボーイズラブという言葉に偏見を抱いていたのであまり良い気持ちがしなかった。多分よくわからなかっただけのことだ。けれど今読み返すと意図的にそのように書いている部分が確かにある。けれど、恋とも違う。これはやはり自分の中では友情であり、少しだけ深い古くから付き合いのある男性への憧憬を描いたものかな、と思っております。


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